元日は動画編集で幕を閉じた。
学生の頃は、お正月番組に心を踊らせ、朝から深夜までテレビに夢中だった。
大晦日の夜からテレビを観続けていたせいで、元旦の朝にはもう眠たい。
しかし、僕は睡魔と闘いながら、テレビを観ていた。
最大の敵はCM。このタイミングで夢の中へ引きづり込まれそうになる。
歯を食いしばって、その2分から3分の時間を過ごしていた。
一体何をしていたのか。
あの頃の僕の敵は睡魔で、闘う理由は《お正月番組》を観るため。
実に平和な戦争だ。
そして、今年は一日仕事をしていた。
YouTubeに投稿するための動画編集。
今年の敵は?
締め切りという名の《時間》だった。
締め切りは社会生活において必ず出てくる。
学生であれば宿題やレポートの提出。社会人であれば資料作成など。
《締め切りという時間に追われている》と感じる時、僕はいつも『不思議の国のアリス』のヒロインを思い出す。
アリスはハートの女王率いる、ハートのトランプの兵士に追われる。
追われる側としては、トランプのマークがハートであろうが、スペードであろうがどっちでもいい。
しかし、受け手である視聴者はそうであってはいけない。
必ずそこに製作者の意図が隠れているのだ。
それを汲み取ることで、解釈が生まれ、その作品を通して自分の糧になる。
どうせ観るなら、糧にした方が良い。
この場合、トランプのマークは《ハート》でなければならなかった。《スペード》でもなく《クラブ》、《ダイヤ》ではダメだったのだ。
ここからは僕の解釈。
つまり、【《締め切りという時間に追われている》と感じる時、僕はいつも『不思議の国のアリス』のヒロインを思い出す】理由につながるものだ。
重要なのは、締め切りが迫ることとは苦しさだけでなく、そこにハート(愛)がないといけないということ。
締め切りというのは、社会でいえば、仕事を円滑に回していくための予定の一つである。
それを与えられた側としては「義務」を感じる人もいるし、そこに「面倒臭さ」を感じる人もいる。
「守らないといけない」からそれを守っている人が多いのではと思う。
ただ、それを設定した人もいるのも事実。
その設定者に対して「めんどくさいけど、義務だからやりました」と締め切りに間に合わすのか、その設定者のために間に合わすのか。
仕事をする過程において、どちらの思考で行動するかで、結果は大きく違ってくると僕は思う。
だからこそ僕は、《締め切りという時間に追われている》と感じる時、そこには《ハート》があることを忘れないようにしているのである。
最後に!
先月、YouTube上に「キューブリック・ムービー」というチャンネルを立ち上げました。
よろしければ、こちらも是非一度お立ち寄り下さい。
今後の動画制作のモチベーションにもなりますので、【コメント】や、もし良ければ【チャンネル登録】、【高評価】もよろしくお願いします。
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