愛知県 蒲郡市
宗徳寺
ワタシ一人ではちっぽけな事しかできませんが、続ける事で何かを動かす力添えになればと考え、お盆参りにも平和の御朱印を授かりました。
爆撃の 空蘇り 蝉時雨
米寿の目にや 今も離れぬ
当時、学徒動員として器材部で働いていた方が、平成23年83歳の時に詠まれた句です。
蝉時雨に暑さしか感じない自分に、突き刺さりました。
愛知県 豊川市
桜ヶ丘ミュージアム
今年も 豊川海軍工廠展 に足を運びました。
毎年エントランスで使われているこのデザインは、豊川海軍工廠の従業員募集の為に製作されたパンフレットである事を今年の展示で知りました。
展示は撮影禁止の為、貴重な展示は公式より拝借したもの、頂いたリーフレットよりご紹介させて頂きます。
昭和20年8月6日 広島に原爆が投下
翌日8月7日 愛知県豊川市の豊川海軍工廠 は124機のB29爆撃機による空襲にて工廠が壊滅。2500人以上の人が犠牲となりました。
(再度集計され2800人を超えるとも言われます)
工廠(こうしょう) 最近では聞かない言葉ですが、軍隊の軍事工場です。
東洋一の兵器工場と言われた 豊川海軍工廠 は海軍兵器の生産を目的とし昭和14年12月に開庁。
ポスター「海軍工廠男女工員募集」
最盛期には5万人以上の人々が、昼夜交代で働いていました。
その内の4万人 の徴用工員と呼ばれる人々の中には、大陸より強制的に連れてこられた人々も含まれています。
徴用工員、6000人の動員学徒は寄宿舎住まいで厳しい労働と不衛生な食生活を強いられ、耐えられない生徒には罰則が科せられました。
命、歴史、文化を失った戦争。
戦争を知らない私たち世代が、平和への思いを抱き続けること。
戦争を知らない世代が、次世代に伝える、そんな時代になったのだと感じます。