朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -63ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

三峯神社へ練習に行ってきた。狭い区間は思いの外、走りやすかったよ。



三峰神社の駐車場は二輪車は210円なんだが、サイドカーは二輪車の同じでお得感あり。


ちなみにフェリーだと軽自動車と同じ料金になっちゃうのだよね。それは高いだろ。



登っていくと子供の鹿が草を食べていた。



弁慶氏もまだ朝御飯を食べていなかったので、まずは腹ごしらえに大島屋に立ち寄る。



胡桃汁のそばを頂きました。ちょうど良い席が空いていなくて景色を眺めようとするとそこには必ず人がいる。



もう屋外ではマスク外しましょうということになってるはずだが、ここはまだマスクすることになっていたし、誰もがマスクをしていた。ここに至る駐車場からここまでの間もそうだった。


苦しくないのかな。弁慶氏はそれでは苦しいので、外して良いなら外したいんだけど。



この石段は築地市場の組合でお金出し合ったのだろうか。名前がみんな築地市場の店の名前だ。



温泉はまだ日帰りでは入れないし、御朱印も書置きしかもらえない。



三峰神社の狛犬は狼です。ちなみにこちらの口を開けているのが阿。



こちらは吽。というのは最近知りました。



帰りは小鹿野ルートを走ったら小鹿野の観光交流館にウラルの姿が見えたので立ち寄りました。このカラーリングは昨年秋に南牧から上野村を通って帰ってきた時に、万場あたりですれ違ったウラルではないかと思ったのです。


しばし待つとオーナー氏が戻られたのでご挨拶してお話しさせて頂きました。やはりすれ違ったウラルでした。


ここへの途中で、側車輪が浮きました。右に曲がるのにエンブレで減速しながら気を抜いてハンドルを切ったらふわっと浮きました。予期していなかったので、怖かった😱。


減速中なので、過重が前。そこでハンドルを右に切ったので、慣性の法則で過重は左斜め前に。必然的に右後方の側車輪は過重が抜ける。それが限界を越えたので浮いたというふうに分析しました。


やはり曲がる時は充分に減速するか、アクセル空けるのが原則ですね。



十輪寺


小鹿野町のお寺に寄ってみた。秩父十三仏の七番 法養寺、薬師如来の納経所となっているが、納経帳は持ってこなかったよ(爆)。



また、廃仏毀釈で廃寺になった旧十五番札所、蔵福寺の本尊であった十一面観世音菩薩を本尊としている。


蔵福寺は秩父神社のそばにあったというが、なんでここまで来たのだろう。現十五番は少林寺。


本堂の庇に描かれた絵が素晴らしい。

まだ日陰は涼しかった頃の思い出(爆)。

ね。








新型コロナが流行してからというもの、本社で行っていた会議はリモートになったり、わざわざ参加しなくても良くなったので、帰り道に寄り道して新木鉱泉に行くことも無くなってしまった😢。

久しぶりに開催された本社での会議に参加してみれば、ここぞとばかりに新型コロナウイルスに感染してしまうし。

ね。


今週はなんだか倦怠感があるし、頭痛もあって、これはコロナの後遺症なのかなとも思うんだけど、元々頭痛持ちだし、倦怠感だって鬱なんだろうかとか男の更年期なのかと思うほどあったので、なんとも言えないなあ😂。

 

10時には眠くなってしまうのも以前からあったけれど、それで夜中に眼が覚めて寝られなくなったのが、眼は覚めるけどまた寝られて朝起きるのが辛いのはやっぱり後遺症かな😯。

 

実は復帰直後はぜんぜん元気で出勤4日目には業界の総会に出かけました。五霞から高速乗って昼に阿見あたりを通ったので、下に降りて昼食がてら初めて前から牛久大仏を眺めました。

 

 
牛久大仏
 
最初にみた大仏は小学校の修学旅行で行った鎌倉の大仏。次は中学の修学旅行で行った奈良の大仏。その後は現在も続く大人の修学旅行でみた伏見の大仏。
 
実はこれらの大仏達はみんな座っている座像なのに、牛久大仏は立像なのですよ。だから群馬県に近い弁慶にしてみると、感覚的にはむしろ高崎観音に近しく感じられます。
 
 

牛久大仏がどこの宗派なのかも知らずに立ち寄ったのだが、東本願寺派だったのですね。大谷祖廟に行ったばかりで、なんだか縁(えにし)を感じますね。

 

 
桜並木があって、春は混むのだろうね。
 
 
前側の右側は花畑みたいになっていて、有料ながら摘むこともできます。

 

 

正面の大香炉からの大仏。有料で大仏内に入って写経もできるし、遠くを眺めることも出来ます。このへんも高崎観音に通じますね。

 
ずいぶん前から後ろを走る圏央道からは何回も眺めていたので、前から見られて良かったですね。

今回の総会は初めて成田で開催された。プレコロナ時代は鬼怒川、伊香保が定番だったが、それだと複数人部屋になっちゃうので、シングルで大勢泊まれて、まだインバウンド需要がほとんどないという理由で成田なのかな。



ここは結婚式場かな。一応スクリーンで遮蔽しているけれど、これは無意味だろうね。


14時から総会。17時30分から懇親会。



当然、お酒も入ります。久しぶりにあいさつさせて頂いて、「元気そうで何より」とかって話になると、実は先週までコロナでしたみたいな話になって、「あー、そうですか。実は私も罹患しまして」みたいな。


ここに集まる人達って人と会うのが仕事みたいな人達だからねえ、感染率も高いんですかね。



懇親会の様子はあまり詳しくは書かないけれど(爆)。



過去の総会とそれほど変わらないですね😂。



パーティールームに移動して二次会。病み上がりなのに、コロナ感染者が希少な存在じゃないんで、連れて行かれました💦。



モーニング付きでした。事務局からいわれた制限時間に間に合わなかったけれど、普通のテーブルで頂けました。どうやらゴルフがあるので一気に朝食に来るだろうということで、協会で別のパーティールームを押さえていたらしいのですね。そ制限時間はそこを借りてる時間だったみたいです。私はゴルフは引退中ですから😆。


ね。



 

 

朝食を食べる前に高瀬川沿いを散策。夜はただの歓楽街化するこの木屋町の高瀬川沿いは、彦根藩邸の跡とか土佐藩邸の跡があります。


朝方でないと、落ち着いて眺められないからね。その足で八坂神社を抜け、円山公園を通って雙林寺の特別公開の最終日に行きました。


天台宗 霊鷲山法華三昧無量寿院沙羅双樹林寺(通称 雙林寺)

名称からしてなんだか由緒あるお寺のように感じますが、805年桓武天皇の勅願により最澄が創建したのが始まりと伝わります。

平安後期になると後白河天皇に仕えた平康頼、西行などが隠棲した記録があり、1384年、国阿が入寺して時宗の道場が置かれましたが、その後衰退しました。

江戸時代には高台寺や大谷祖廟の造営で寺地を献上し、明治初年に天台宗に復帰したものの、円山公園の造成に土地を上地、現在の本堂と飛地境内のみとなりました。

円山公園から高台寺までのエリアが寺領であったとすると、ずいぶん大きな寺院だったことが伺えるが、現在は観光客も少なくひっそりとしたお寺で、実は弁慶はかなりお気に入りのお寺なのである。


その「誰だお前」って目で見ないでよ。3年ぶりなんだけど、君はあの時ずっと寝てたからだよ。

なぜか飛地との間には石屋さんが2軒もある。この犬は隣の石屋の飼犬らしい。


飛地の花月庵(西行堂)。石塔に書かれた文字は「ニラ、ニンニク、肉食ったら入っちゃダメだかんね」という意味らしい。左手奥は雙林寺の墓地になっていて、右隣は西行庵。


北面の武士だった西行は23歳の時に突然出家し、その翌年から雙林寺塔頭、祭華園院に止住した。この花月庵は元々はその祭話園院の跡地に建てられたが、のちに現在の場所に移された。


雙林寺がその土地を献上した大谷祖廟は、雙林寺の背後側に参道がある。祖廟とは宗祖親鸞の墓のことである。

大谷祖廟は真宗大谷派(東本願寺)に属す。実は西本願寺の浄土真宗本願寺派には、大谷本廟というもう一つの親鸞の墓があり、それは清水寺の五年坂の入口のところにある。


本堂。

本来は修行のお山なのに観光色の濃い比叡山などと比べると、訪れる人は神妙な雰囲気をもっている。花を供えたりして拝礼する参拝者からは親鸞への帰依を強く感じられたので、なんだか肩身が狭いから早々に立ち去ることにした。



時宗 黄台山 長楽寺

雙林寺と同じ805年に勅命により最澄が延暦寺の別院として創建したと伝わる。その境内は円山公園の大部分や大谷祖廟の大半を含む広大なものだった。つまりこの一帯はもともとは雙林寺と長楽寺だったことになる。


山門から石段を登って本堂へ。山の斜面に張り付くように境内が続いている。本尊の准胝観音は、天皇即位時にしか開帳されない勅封厳秘の本尊である。

1385年、時宗の僧、国阿が中興し、時宗に改めた。

1745年、徳川吉宗が一万坪を長楽寺から没収し、それを大谷祖廟に寄進した。さらに明治4年の上知令により没収された土地は円山公園へとなり、このような斜面だけが残ったというのは、少し寂しさを感じる歴史である。


石積供養は白い石を本堂と鐘楼の周りに撒いて供養する。

とにかく静寂なお寺である。


頼山陽、頼三樹三郎の墓、および松平昭訓の墓など幕末期の水戸藩の関係者の墓がいくつかある。この墓地へも石段を登っていく。


建礼門院御塔は、本堂の左奥に建っていて、建礼門院の毛髪を埋めたとされている。


平安の滝は、その建礼門院も打たれたという滝行の場。

時は流れ1906年、時宗遊行派の七条道場金光寺を合併した。本堂左奥の収蔵庫には、この金光寺より受け継いだ仏像が安置されている。


書院の庭園は相阿弥の作庭で、足利義政が銀閣寺の庭園の試作として作らせたとされる。

長楽寺の小一時間の散策の間、見かけた人はたった2人だけであった。

木屋町に戻り、ブランチというには遅い朝食兼昼食は、簡単に王将で済ませた。


微アルコールドリンクなど、飲んでみた。けっこう美味しい。


先斗町歌舞練場。初回は12時30分開始なので、12時過ぎに到着。



さすがに4回目なんで、り列13番がど真ん中だということは理解できた。



パノラマで撮るとちょっと遠く見えるけれど、そんなことはない。


右の舞台と同じレベルの席は北席で、一番最初にインターネットで予約した時はここの前から3番目だった。けっこうよく見えたし、地方さんの席が、左の同じ場所になるので、よく見えた。花道は左の地方さんの席の前。背後には二階席もあって、ちょっとお安く観ることも可能。


三幕の山吹は松尾大社のしゃもじを持って踊るんだけど、その中でしゃもじを徳利に見立て、扇を大盃に見立てて皆んなで酒を注ぎ1人が飲み干す場面があって、亜弥さんは飲み干す役だった。3組の中で一番酔っ払っていたように思う(爆)。


秀芙美さんは組が違うと役も変わるので、よく間違えないなあと関心した。3組全て観るとわからないなりにもなにか感ずるものはあって、それはどういうことなのかなぁとか、また興味が湧いてくる。


ちょうど今日が千秋楽でこれから幕が開くけれど、無事最後まで公演できて良かったと、コロナを感染させかねなかった弁慶は思うのでした。


ね。



10日間も部屋に閉じこもっていたら、それこそ入院したのと変わらないです。体力は激落し、ふらふらしてしまいますし、動けばすぐに疲れます。

 

そこで、解除後はリハビリに散歩をしました。だからすぐに会社に行かなくて良いのはちょうど良かったかも知れませんね。

 

 

まずは近所への買物がてら出かけたりしました。次は水澤観音。

 

 

平日だと人が少なくて良いよね。

 

ちなみにすでに書いた通り、保健所から自由を言い渡されたあとは90歳の親父とも普通にマスクなしで接しましたが、感染(うつ)りませんでしたよ。

 

 

土曜日は少し足を伸ばして鴨川沿いを散策しました。(少し、なんだ💦)

 

ギリギリ鴨川をどりの最終回に間に合ったので当日券で観覧しました。この土曜日は2組目の日で、亜弥さんが笛担当の日なのです。亜弥さんにお願いして初回の席を押さえていたのですが、検体を送る都合がありそれは間に合わず。なんとか最終回に間に合ったので当日券でしたが、ち列(8列)6番とかなり良い席でした。通路右側の最初の席なので、左に身体を向けることも出来て、地方さんの席にいる笛の亜弥さんも良く見えた。この日も埼玉出身でなんだか良く出会う秀好さんと、なんとなく艶のある踊りの市兆さん、あとインスタライブ組の市結さん、あや野さんを注目して観せてもらいました。

 

 

さて夜ですが

 

 

日知庵

075-231-0374

京都府京都市中京区河原町六角あじびる北東入ル 河原町ビル 1F

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26007161/

 

流山の「いろは鮨」さんに教えてもらった串焼のお店に入ると、なんとその「いろは鮨」さんが翌日来店するとのこと。ハーレー乗りのご夫婦は今年は恒例の関西ツーリングに3年ぶりに出かけられたようで、良かったですね。

 

 

おまかせの串焼き、一皿目。

 

 

同、二皿目。

 

 

同 三皿目と追加のだし巻き卵。

 

腹ごなしに先斗町を二往復して、ラウンジの客引きに3回声をかけられて(笑)、4回目は流石にスルーでしたけど、

 

 

亜弥さんに行ったら病み上がりだからってホットウーロン茶しか飲ませてくれなかった(笑)。

 

で、店をでるとまたもや秀好さん、あと秀芙美さん秀澪さんの集団下校に遭遇して途中まで一緒に帰る弁慶でありました。

 

ね。