朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -6ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

比叡山坂本の駅を降りた時に、「もしかして、今って葛川夏安居?」って思ってスマホで確認するとまさにその期間。


葛川夏安居とは、回峰行者が夏のこの期間に集まり、坂本の生源寺を出発し葛川の明王院に参籠し、断食とか滝行とかの荒業をすることをいう。



ケーブル延暦寺駅


ここから鳥居の方角に進むと無動寺谷があり、無動寺明王院には輪番の大阿闍梨がおられまして、護摩業とお加持をして頂けるのだが、夏安居とあっては、その大阿闍梨もご不在。


それでもせっかく来たから降るかー、と



谷だから、せっかくケーブルカーで登ったけれど、約15分降るの。



無動寺明王堂。



お堂の中に入ってお参りをして御朱印を頂き、護摩木も頂き祈願分を書いて納める。1本200円だったかなぁ、あまり気にしてないから覚えていないけれど、実際護摩に参加したとしても、お金は必要ない。


それ以上のこと、大阿闍梨さんに話を聞いて頂いたりする場合はお布施が必要。



お堂の正面には琵琶湖が綺麗に見える。



同じ無動寺谷にある弁財天。弁財天さんは女性の仏様だから弁財天女と書いてある。ヒンドゥー教のサラスヴァティが仏教に取り込まれて弁財天となった。


弁財天は頭に白蛇を被っているので、まさに今年の干支にそった仏様。


比叡山には三大弁財天と呼ばれる弁財天があって、こちらの無動寺弁財天はその一つ。


ここは霊感を感じる人はみんなすごい場所だと言うけれど、弁慶は不感なのでわからない。


坂を登り返して一般の観光客が進む東塔エリアへと向かう。



根本中堂は、まだまだ改修中。まだ一度も本来の姿は見たことがない。


11時から根本中堂でも護摩が行われるので、到着した頃はまだ煙い状態だった。



とりあえず叡山そば。


そしてバスの集約券を買って一番遠い横川へと向かう。横川まで行かないのなら、周遊券は買わないほうがお得。



横川でも観光客の向かう方向から外れて、まずは元三大師御廟へと向かう。



鳥居とお堂。その奥が廟所となっている。比叡山四大魔所の一つに数えられる場所である。


廟所を時計回りに3回回ると、ちょうど般若心経を1回唱えられると言われる。確かにそんな感じ。



四季講堂は元三大師堂とも呼ばれる。ここでは予約する元三大師の本来のおみくじを引くことが出来る。


元三大師はおみくじを開発した人でもある。



箸塚弁財天。三大弁財天の2つ目。


元三大師が千僧供養を行い、その際に使った箸をここに埋め、弁財天を祀ったのが始まりとされる。千僧供養とは、千人の僧を招いて食事を供し法要を行うことで、元三大師は最澄に倣い行ったという。



横川には曹洞宗の祖、道元禅師が得度した場所もある。


ここから谷に降る。いや、降るということは登るので嫌なんだけど😓。



ここがその場所。観光客はあまり来ないかもね。



とても静かである。



登り返した(笑)。息を切らしていたら赤山宮があった。何回も来ているのに初めて見た。


円仁さんが遣唐使で留学していたとき、中国の赤山で新羅明神を仏法研究の守護神として崇め、無事に10年で勉学を達成できたことから帰国後にこの場所に祀ったと書いてある。



その場所は、横川の本堂、横川中堂の正面。だから1回行けば良いってことではないんだろうね。もちろん周囲の物を全て網羅できてしまう人は別だけど、そんな存在は、もはや人ではないのではないかと😓。


ね。


山から降ってきて、とりあえずお昼になりました。



勢吉うどん

0977-21-0098

大分県別府市小倉4-2 

https://tabelog.com/oita/A4402/A440202/44001707/



だんご汁定食


だんご汁は大分の代表的な家庭料理なのだそうです。


別府は離れる前に最後の立ち寄り。



桜湯



宿泊施設の立ち寄りで、家族風呂もあります。場所は高速出入口のすぐそばで、来るにも帰るにも便利。



入口。


大浴場は内湯と露天があって、泉質は炭酸水素塩泉。これだけの施設なので入浴料も700円します。


これにへ別府を離れる帰りましたが、



帰ったところで、そこも小麦文化圏なので、似たような物を食べました。


さて、最後に桜湯ひとつだけ残して、なんか中途半端なところで切ってしまったと後悔しておりますが、ひとまず記憶が完全に消える前に残せてなにより。


ね。

さて、翌朝は岩風呂で朝風呂を浴びたあと、てくてくと散歩。



永石温泉は、なげしと読む。ながいしが転じた物と思われる。


建物は風格はあるけれど、平成3年の建築。



やはり半地下の温泉で、温泉は別府温泉。それのほぼ東の端にあたる。


暑い最中に朝から立て続けに温泉に入ったらのぼせてしまったので、



ジョイフルで朝食。


一回、宿に帰り荷物をまとめてから徒歩で再始動。



春日温泉



地元に愛されている感じが良い。



こちらも半地下。清々しい温泉。



ここが湯口で出る時無人である時は、栓をする。たぶんそうしないと、しばらくすると熱くて入れなかなっちゃうのだと思う。


こちらも別府温泉。



温泉スタンプのもらえる足湯がいくつかあるのだけど、こちらはその一つ。


トキハ別府店足湯



ショッピングモールにある足湯。これでスタンプ一個ゲット。


今度は車で移動して次へと向かう。



奥みょうばん山荘


内湯と露天があるのだけど、なんの因果が露天を選んだ私😓



炎天下で湯浴み(爆)。


明礬温泉は白濁するイメージだけどここはもっとも奥だからそんなに白濁しないのかなぁ。


明礬は強酸性硫黄の湯だからか、弁慶的には一番ガツンと響く温泉で、けっこう消耗するのです。



こちらはトイレと内湯。



山荘はこちら。受付と休憩ができる。



地獄プリンと地獄たまごがあったので、頂きましたが、これで180円。インフレなんてどこ吹く風。


ね。


話は相当戻ります。それは宇佐神宮に行ったあとのこと(爆)。


別府に到着して最初に訪れたのは



浜田温泉


新たに建築された鉄筋コンクリートの建物。



なんと一番風呂ゲット。ナトリウムー塩化物泉、適温の湯船でした。


浜田温泉の歴史は古く、亀川温泉のシンボル的な温泉だったそうです。



こちらが旧浜田温泉で昭和10年に建築された建物で、現在は浜田温泉資料館として、歴史的な資料が見学できます。


地域住民の反対運動により取り壊しを免れたとのこと。



別府らしい半地下の浴室です。右側には脱衣する場所と着衣を置く棚。



こちらは蒸し風呂。今の施設にはないのが残念。



これは天井から灯を取り込む穴です。上部に硝子が嵌め込まれています。



昔の写真もいっぱい掲示されておりました。



左から2番目は日産パトロール(サファリ)の二代目だと思われます。だから1960年代かな。



上総堀りの仕組み。上総と名がついているのは、千葉県君津市で考案された技術で、少人数で掘削できる特徴があるそうです。



さて、この日の宿は加賀屋さん。館内には3つの浴室があり、外来も受け付けておりますが、宿泊者も外来も貸切での利用となりますので、予約が必要。



到着して最初に入ったのはヒノキ風呂。



翌朝は岩風呂。共に別府温泉。


ナトリウム・マグネシウムー炭酸水素塩・塩化物温泉


泉温は52℃だというけれど、浴槽は適温。



なんだか高級旅館だったことを思わせます。



さて、夜なんですが、


ファンクオールライトジャズカフェバー


竹瓦温泉の裏にあります。



別府の老舗のジャズバーです。


ね。

この日の最大の目的地は山鹿である。



山鹿の八千代座



明治43年(1910)に建設された芝居小屋・八千代座は開業以来様々な興行を行い、山鹿に賑わいをもたらした。地元の有志が一株三十円を出し合って合計二万数千円。当時としては相当な金額でした。山鹿は豊前街道の要所であったので、裕福な商人が多かったのです。


しかし昭和には映画館になり、テレビの普及により客足が減り閉館。小屋は荒れ果て、屋根には穴があき床は抜けた。不要といわれた八千代座を救うために立ち上がったのが、何事も事なかれで過ごす公僕どもではなく、この八千代座と共に育った老人たちと、永六輔の講演でその価値に気がついた青年部のメンバーでした。



平成になり重要文化財に指定され、平成13年、当時の姿を再現復興された八千代座。



この枡席に当時は8人座ったのだとか。今は4人で運用されている。



正面は上座の桟敷席。役者が花道で目一杯な演技をするのは、正面に上座があるから。



奈落も見学できる。



ドイツ製の回転舞台の装置。もちろん回すのは人力。



そしてやはり人力であげる、すっぽん



上演される芝居の内容を検閲する臨検席は時代を感じさせますね。



舞台の袖にある影拍子の席



花道。このように舞台の進行を見てタイミングよく登場するのだろうね。



てけつ。てけつ=チケット。つまり券売所。


視覚的に美しいし、保存されている歴史も素晴らしい。



そして、こちらは山鹿灯籠民芸館。セットで観ると少し安くなる。


旧安田銀行山鹿支店の建物なので、内部には重厚な金庫が現存しております。



山鹿灯籠というものは、和紙と糊だけで作られているので非常に軽い。これを頭に載せて踊るのが、山鹿灯籠踊り。


8月の山鹿灯籠まつりで夜通し踊られます。山鹿灯籠まつりの期限は、第12代景行天皇が山鹿に巡幸された時に山鹿の人々が松明を掲げてお迎えしたことが起源といいます。



この石門は金剛乗寺の石門で、1804年の作られた物。



こちらは山門です。


金剛乗寺は、空海によって開山された由緒ある寺院で、かつては西の高野山とまで呼ばれた寺院でした。一度衰退してしまってのですが、山鹿の温泉が枯れてしまった時に祈願によって復活させた、宥明法印が再興しました。



宥明法印が遷化された時に紙細工職人の名人、山口兵衛が数百の神灯籠を作り霊前に捧げたことが、山鹿灯籠の起こりとも言われています。


2つの出来事が融合して、現在の山鹿灯籠まつりとなったのでしょう。


ね。