朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -45ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

奈良は大学の卒業旅行(といっても当時も一人旅なのはなんもかわらん(爆))以来だから、40年ぶりか。恐ろしい笑。



ここは御所の新地商店街。近鉄の御所の踏切を渡ってたいした開いてる店の無い商店街を抜けて、



モリソン万年筆&カフェ

0745-63-1881

奈良県御所市西町1069 

https://tabelog.com/nara/A2903/A290303/29010302/


モリソン万年筆って知らなかったけれど、ジャパンメイドの高級万年筆だった。ここは、その工房であったが、現在はカフェ・バーを経営している。



マスターの似顔絵。良く似てる笑



モリソン万年筆はすでに販売していないが、店内では万年筆の販売も行われている。お酒もいっぱいあるしね。



ボールペンもある。


居合わせたお客さんがこちらで購入した万年筆について話していたが、その話の中で今はなきイタリアの万年筆メーカー、デルタのドルチェビータの話が出て来たが、弁慶もドルチェビータは大好きさ。



シーフードのカレー。有頭エビは全部食べましょう。お酒は飲みません!



隣は宿泊施設だった。



飲まなかったのは、カーシェアを利用するからでした🤭。



葛城坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)


奈良は徒歩では攻略難しい。卒業旅行では明日香を歩いて回ったけれど、もうそこまで若くない笑。そのためにだけカーシェアのTimesにメンバー登録した。



苔むした階段が良いなあ。



ロシアの大砲は日露戦争の時の戦利品で、政府から奉献されたそうだ。



拝殿は更に階段の上



拝殿奥の本殿



笛吹神社古墳


なぜいきなり笛吹神社になるのかといえば、ここは元々は笛吹神社なのであって、末社の火雷社を合祀したのち、現在の葛城坐火雷神社となった。


この古墳は笛吹連の祖、櫂子の父である建多析命の墓であるとされる。よって、笛吹神社。



社務所には音守りがあったので、笛吹く人々の為に購入した。奈良の旅は続く。


ね。




北上から湯田高原を抜けて、目的地の横手に到着。


予約したホテルが賑やかではない方面だったのだが、ホテルには温泉もあるしステーキ屋もあった。


でも大動脈が石灰化してるので、肉じゃなくて魚が食べたい。付近を検索して歩き回る。そうそう、運動も大切なので🤭



うん、怪しい。弁慶はこういうのに誘われてしまう癖があるが、今は魚だぁ〜笑笑



ふぁみり~れすとらん いなほ

0182-33-2180

秋田県横手市安田字堰端97-3 

https://tabelog.com/akita/A0505/A050501/5003251/


なんか良さそう🤭



なんだ、このメニューは!手作りのファイル。



なんかこだわり!



まあ、でもハイボールは飲むかな。



鯖定食をご飯半分で。

大盛まで無料。普通盛りまではおかわり無料という、不思議なシステム。


翌朝、現場まで1時間掛けて歩いた。歩くことは健康維持の基本です(爆)。


で、しごおわ!



秋田県で初めての現場立会だったので、終了時間を遅めに予定したこともあり、北上で予約した新幹線まで2時間待ちの早めに移動できた(早めることが出来るのを知らないわけではないが、どうせ早めても帰りは夜だしね)。


で、ちょっと散歩。



俳人山口青邨宅、雑草園


東京都杉並区にあった邸宅を移築したそうで、ここは日本現代詩歌文学館の敷地の中で、没後に遺族より蔵書とともに寄贈されたのだという。


なぜここかって言うと、まあ、親父も俳人だったし、蔵書いっぱいあって、どうすっかなと悩んどるんだわ。



ポレール

0197-64-3957

岩手県北上市大通り1-2-12 

https://tabelog.com/iwate/A0302/A030202/3002419/


駅まで帰って来て、どこかコーヒーの飲めるところないかなあと探してこちらに入った。



ウインナーコーヒー。これで帰る。


ね。



平泉、最後の訪問先は毛越寺。やはり円仁さんの作ったお寺で創建は850年。その後の大火で荒廃したところを、2代基衡、3代秀衡で再興。



本堂。薬師如来が本尊。天台宗は本尊を特に決められていないが、根本中堂も薬師如来なので、ああ、一緒なんだという気持ちになる。



中尊寺もそうだったが、線香に火を着けるのに、香炉の真ん中にある炭を使う。



浄土庭園の築山。



開山堂は円仁さんを祀っている。



あやめの花壇。6月後半から7月前半まであやめ祭りがある。



嘉祥寺、講堂、金堂円隆寺など、大火や戦で焼失した寺院の後が続く。



遣水は平安時代の洋式そのままで発掘された貴重なもので、新緑の頃には曲水の宴が催される。



常行堂。といえば四種三昧のなかの常行三昧(90日間、堂の内周を回りながら念仏を唱える。卧してはいけないので、どうしても耐えられるない時は平行棒の中に身体を置き両脇の下に並行棒を抱えて立したまま休むらしい)を行うお堂のこと。延暦寺西塔エリアに行くと、常行堂と法華堂の2つが渡り廊下で繋がっていて、それを弁慶が天秤棒のようにして担いだということで、弁慶の担い堂と呼ばれているが。



そんなことを思っていると、この鐘楼の次に



常行堂と法華堂が並んでいた遺構があった。まさに比叡山の担い堂と同じ洋式である。法華堂で行われるのは21日間の半行半座三昧ということである。



隣(駅寄)にある基衡とその妻の建立した観自在王院跡。



最後にもう一度、池を眺めて思っていたよりも時間がかかったので、急いで駅に向かった。



これ、逃すと到着時間が2時間くらい遅くなってしまう。



湯田高原の雪景色。




ね。




中尊寺の鎮守、白山神社へ向かうと、まずは能楽殿がある。



能楽殿正面。この能楽殿は白神神社が嘉永2年に火災で焼失したのち、嘉永6年伊達藩主伊達邦公によって寄進された仮宮だった。



能楽殿の正面側は観覧しやすいように階段状になっている。



白山神社は、天台宗、第3代座主の円仁さんが勧進した。



中尊寺全景。現在地が参道。そこから下側に分かれる月見坂方面。



八幡堂は、月見坂にひっそりあった。



大夫黒

0191-34-4280

岩手県西磐井郡平泉町平泉字坂下31-2 

https://tabelog.com/iwate/A0303/A030303/3007018/


中尊寺から降って周りを見渡すと食堂があった。



今日は帆立が入ったといわれて、つまみに注文したした。



海鮮丼の静。静、義経、弁慶の中から静を選んだ。もう量はいらない。



熊野三社。清衡が勧進した平泉の鎮守の熊野社と、後に野火で消失した末社の子守社と勝手社を合祀し現在の熊野三社となった。



千手堂は金鶏山の麓にあって、藤原三代の位牌など安置されているが、ひっそりとした小さなお堂であった。



人の姿は見えないが、日頃から大切なされていることがわかる。


御本尊は千手観音像。弁財天尊像、愛染明王像、不動明王像、秀衡木像なども安置されている。



左手には義経妻子の墓。もともとは金鶏山の上の方にあったが、供養を怠らないようにするためにこちらに移設された。


まだ続くのだが、タイトルは、変えよう。


ね。



なんだか忙しいので、間が空いたがつづき。


筋トレで大胸筋が痛いまま、電車に乗って新幹線に乗って、また電車に乗った。



ここは一ノ関駅、電車は快速リアス


ここから平泉駅に移動して、徒歩で向かったのは



我が墓、もとい、武蔵坊弁慶の墓である。



その背後にあるのが中尊寺の登り口。坂道をしばし登って息が切れて若い人たちに追い越され、



最初にあったのは弁慶堂。本尊は勝軍地蔵菩薩。もともとは愛宕堂だったが、義経・弁慶像が置かれており、明治以降に弁慶堂と呼ばれるようになった。



地蔵堂。本尊は地蔵菩薩で、左手には道祖神が祀られた祠があり、共に御朱印がもらえる。



薬師堂は建て替えられたばかりだが、HPには古い御堂のまま掲載されているので、よくわからないが、薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、熊野権現が祀られているはず。



観音堂


本尊の観音像は讃衡蔵に収蔵。



本坊表門。伊達兵部宗勝の屋敷門を移築したと伝わっている。



本堂。本尊は丈六の釈迦如来。本尊の両脇の灯籠には比叡山より分灯された宗祖伝教大師より続く不滅の法灯が灯されている。



不動堂は新しい建物だが、1684年に藩主伊達綱村により新調された不動明王が本尊。



峯薬師堂。本尊の薬師如来は讃衞蔵に安置されている。



ここで目の御守りを頂く。



大日堂は1802年再建。金剛界大日如来。ここまで全て御朱印を頂いておる。



旧鐘楼は1343年建造。ここは御朱印は、なかった。



阿弥陀堂。1715年、阿弥陀如来。



弁財天堂。1726年。弁財天十五童子。ここは授与所が閉まっていたので、御朱印は頂いていない。



讃衡蔵は宝物館。ここと金色堂は有料エリアとなる。



覆堂(金色堂)。なかには金色堂があるのだけど、写真は撮れないので



讃衡蔵の中に写真撮影用の作り物がある。



経蔵



芭蕉像と句碑



旧覆堂。


1288年に初めておおいが造られるまでの約50年は金色堂は金閣寺のように普通に建っていたようで、それ以降、何度かそのおおいが掛け替えられて、この旧覆堂は室町時代の物らしい。


中に入れるが、この中に金色堂があったということは、ミイラもあったんだよな。


ここまでが有料エリア。



塔頭の大長寿蔵


 1107年、清衡が創建した阿弥陀堂をその始まりとしている。本尊は胎蔵界大日如来。比叡山四季講堂から拝領した元三大師御影がある。普段見られるのかどうかはわからないが、同日は山門不幸の掲示あり。



釈迦堂は1719年再建で本尊は釈迦三尊。


ここから左に向かうと鎮守の白山神社がある。


後半へ続く(笑)


ね。