朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -122ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。


大原温泉 大原の里から大原バス停へと戻る途中で渡る呂川。



人と自転車以外は通ってはいけないと書かれていても、猪とか鹿は渡るだろうな。熊は出るのかなとか(爆)しょうもないことを考えていた。

大原からは国際会館行きのバスで地下鉄に乗り継ぎ、京都市役所前から歩いて寺町通りへ。

そうしてみたら、なんだか京都駅行きのバスでも近くを通るような気がした。調べてはいないが、もしそうならその方が絶対早いだろう。



駅からは一回北上して妙満寺前町あたりから寺町通りを南下。気になったお店を覗いてはみるけれど、何が欲しいのか、どんな物が欲しいのか特にあるわけではないので、ぶらぶらと眺めて通り過ぎて行く。



こちらには世界の民族楽器が売られていたけど、なかなかのお値段だね。



姉小路通りもちょっと歩いてみた。良いなと思うと、それなりに高い^ ^。これはどうだと値段を見ると傷物で500円だったりする。そんなのでも良いのだけど、大きさとか色々迷って結局買わない。



寺町通りという名の通り、街中にいくつもお寺があった。本能寺にも入ってみたが、御朱印所がそこそこ混んでいたので信長の墓に参っただけで出て来た。

矢田地蔵尊はお参りしたが、御朱印はお休みだった。



蛸薬師如来

正しくは永福寺。境内になで蛸があって左手でなでるとどんな病も平癒するという。

昔はこうしたお寺がいわゆる「駆け込み寺」で、色々な相談事を持ち込まれたんじゃないかなと想像をさせられる。最初は相談だったことが、願掛けのような形で変化して御守りに至ったのではないかと思わせるような御守りの種類の無秩序に感じる多さなどは、なかなか面白い。



蛸薬師如来の御朱印。

賑やかを通り越して、歩き難くさえある錦小路通りから適当に逃げ出してみたら



自転車洋品店ナリフリがあった。

これ、知ってる!

ね。

寂光院からの帰り道、日帰り入浴ができますという看板に心が揺れて立寄ることにした。



京の民宿 大原の里
075-744-2917
京都府京都市左京区大原草生町31 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260504/26009018/

下調べの段階で引っかかってはいた温泉だが、日帰りについてはそこそこの値段の食事付のプランだけがホームページで紹介されていた。入るか入らないかといえば、入らない方向で考えていたので、これは予定外のことであった。

ちなみに日帰り入浴は1000円だった。



暖簾をくぐり、正面が帳場なのでそちらで入浴を申し込んだ。食事付きもあって、簡単なのはおにぎり昼食付き入浴や蕎麦昼食付き入浴だという。それなら手頃だなと思って、1600円の蕎麦昼食付きでお願いした。



貴重品はリターン式のロッカーへと収め、お風呂は右の出口から廊下をかなり歩いていった先にあった。



27.9℃の冷泉で、ラドンがもう少しで放射能温泉のレベルにあるという。もちろん加温していて、源泉そのままには入れないのが残念である。



源泉名  大原温泉
泉質  単純温泉
泉温  26.0℃  pH 8.7



自慢の露天風呂は五右衛門風呂。

浴槽内の撮影へ禁止されているので、画像は公式ホームページから加工して載せている。



大原の里の前には大原味噌のお店があって、このお店もその裏のお店も大原の里の系列のようである。

京都大原の味噌鍋専門店 雲井茶屋
075-744-2240
京都府京都市左京区大原草生町41 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260502/26001812/

食事はこちらでの提供となった。



一応、このようなメニューかある。



うどん/そばにもこのようなメニューがあるが、入浴とセットなのは山菜かきのこ、あるいはざるということだった。



大原の里で飲んだのは、何故か町家麦酒という地ビールであった。



こちらがざるそばである。



バス停への帰り道、古い蔵なのだろうか。



基礎を修復していた。普通なら建て替えてしまうと思うけど、このようなことが普通に行われているから、里が残っているのであろう。

ね。



里の歌声を聴きながら、大原の里の道を歩いております。こちらに降りたら念仏寺に行くのが大変だということを、この後で気がついてしまいました。

でも、また来れば良いかという気分になりました(爆)。

三千院と寂光院はバス停を挟んで反対側にある。その距離は徒歩30分だろうか。



寂光院

天台宗の尼寺で、建立は聖徳太子(注、ここから余談。現在の教科書では厩戸王(聖徳太子)と表示されているらしいが、我々の頃は聖徳太子(厩戸皇子)でしたよね、同年代諸氏!)。

その理由は、研究が進んだ結果、聖徳太子は実在した人物ではないが、厩戸王は実在した人物だからだといいます。あれだけの大改革を1人の人間がやるのは不可能だとかいろいろ理由があって、後の時代に政治的な目的で作り上げられたのが聖徳太子だというのが、その理由らしいです。

さらに余談ですが、最初の遣隋使も小野妹子ではないのだとか。日本の記録は607年の遣隋使が最初の遣隋使ですが、中国には600年にやってきた遣隋使の詳細な記録が残っているのだそうです。

歴史って為政者の都合の良いように書き換えられるのが常のようですもんね。明治維新ですら、そうだっていうのだから、全てを鵜呑みにするのは危険ですね。

以上、余談のコーナーでした。

ただし、その建立よりも建礼門院徳子の寺としての方が有名である。

山門をくぐり右手の受付で拝観料を払い御朱印帳を預ける。



本堂は淀君再興だったが、平成12年放火により焼失。5年後に再興された。

旧本尊 木造地蔵菩薩立像は収蔵庫に保管されている。内部に収蔵されていた3000体を超える地蔵菩薩の小像は無事であった。

新本尊は旧本尊を忠実に再現したもの。建礼門院と阿波内侍の木造も安置されている。



千年の姫小松

平家物語の中に御白河法皇が大原に行幸されて建礼門院を訪ねる場面があり、そこで
「中嶋の松にかかれる藤なみの」と歌われた松。もともと老木で危うかったところに本堂の放火でダメージを受け、倒壊を危惧されたことから伐採され、現在はその根のみが残っている。



建礼門院徳子の庵があった場所。



普段は立ち入り禁止の茶室。



御朱印を受け取り山門を出て、寂光院手前右手の狭い石段を登っていくと建礼門院の墓陵がある。



御朱印は地蔵尊である。

ね。
再び三千院の門前に戻り、更に先へと進む。



鉈捨藪跡

熊谷直実ゆかりの史跡。熊谷直実は熊谷駅に銅像があり、一時期毎日のように見ていた鎌倉武士である。

かの大原問答は、その熊谷直実が帰依した法然が天台僧顕真に招かれ専修念仏に関する議論を行ったことを指す。

その大原問答が行われたのが勝林院である。



勝林院

拝観料を納め、御朱印帳を預けて境内へと進む。



本堂には右に勝林院、左に大原問答と書かれている。

本尊は阿弥陀如来で、835年に慈覚大師により開かれた。



また後年、春日局の願いにより、お江の方の菩提を弔うために本堂が再建されたということで、お江の方の位牌が安置されていた。



御朱印も大原問答である。


山門を出て右に進むと、


勝林院の僧坊のひとつである宝泉院がある。

参拝料にはお茶席代が含まれて800円。興味はあっても、こんな機会がないとなかなか有料のお茶を飲むことに踏み切れなかったから、これは有難い。



玄関正面には樹齢700年の五葉松が見える。

大原や 無住の寺の 五葉の松    高浜虚子



右手の書院に入る。



庭の沙羅双樹は樹齢300年。



石盤

サヌカイトという石で、叩くと美しい音が出る。 



お茶席。正面は庭園 盤桓園と五葉松。

このように書院の鴨居を額縁に見立てて鑑賞することから、額縁庭園と呼ばれ親しまれている。



お茶席の抹茶とお菓子。



傍には水琴窟があり、竹筒に耳を当て、その金属的な水音を聴くことも出来る。



御朱印には仏心とある。



こちらは玄関の左側、枯山水の鶴亀庭園である。


玄関を出て三千院へとは戻らず、右手の狭い石段を下っていくと里の道があった。


近くで祭りが行われているらしく、里の歌声が山間に木霊して良い雰囲気だった。

ね。
三千院の次に向かったのは来迎院である。

参道方向へと戻り石段を降り、左へと進むと、三千院の門前の喧騒から離れてひっそりとした道が続いた。



浄蓮華院には宿坊の文字が見える。写経やお勤めは希望者のみというとめも緩めな宿坊らしいが、部屋は襖で仕切られるのみ。最近自分のみたてでは上咽頭炎だと思っているが、鼻が詰まって鼾をかくようになってしまったので、隣に迷惑だなと思う。目的地の来迎院はまだ先である。



比叡山延暦寺坂本登山口とあるが、バスで来た登山者らは皆2つ前のバス停で降りていった。



来迎院の山門



参拝料を払い、御朱印帳をこちらに預けて参拝を行う。



本堂には薬師、阿弥陀、釈迦三如来坐像が安置されている。特に撮影禁止などとはなっていないが、仏様を撮るのもなんなんでそれは控える。



それでは位牌はどうなのかということになるが、この徳川家の葵の紋が気になって撮影した。はっきり言うと、ちょっと雑だなと思った(^^)。



本堂の右奥へと延びる聖應大師御廟へと続く参道。橋を渡り反対岸へと一歩足を踏み出した時になんとなく異変を感じて片足を上げかけたまま立ち止まり足元を見ると蛇がいた。

蛇もこちらに気がついてするすると川に向かっていったが、金運付くかな(爆)



聖應大師とは、天台宗の僧侶で、融通念仏宗の宗祖である。天台宗の僧侶は、弁慶家の日蓮宗の宗祖、日蓮もそうだったように他の宗派の開祖となる人が多い。実は比叡山では数珠を買い、三千院では腕数珠を買ったが、日蓮さんの居た宗派だからそれで良いんじゃないの思ったからだ。



来迎院の御朱印も薬師如来とある。ただ天台宗では特にご本尊様は定められてはいない。

ね。