木屋町界隈、翌日は伏見へ | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

結局飲まずに京都に帰った。別に京都から向かったわけではないけれど笑



木屋町の桜


空腹には程遠く、でもちょっとは食べたい気がして彷徨った。たどり着いたのは一軒のバー。



コルドン ノワール

075-212-3288

京都府京都市中京区木屋町通三条下ル石屋町121 松嶋屋ビル3F

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26004606/


ここのマネージャーさんは、アメブロにブログ書いている。


お酒とシガーの楽しめるバー。弁慶はヘビーのつくスモーカーでシガーもパイプも経験したが、禁煙して8、9年になる。もともと好きだから、ちょっとのつもりで手を出してしまうと、また抜けられなくなりそうで怖いのである。



だから、とりあえず鰯と良質のオリーブオイルと、ラフロイグを補充して、シガーに心が揺れるのをぐっと堪えて席を立つ。


先斗町のホームバーと会員制バーをハシゴしたら、ちょうど帰る客がいて、その方の為にと明後日にお見世出しをする舞妓さん(ただしくは仕込さん)を、仕込さん最後の日(翌日は休み)ということで、ご挨拶に呼んでくれたので、弁慶も挨拶した。噂には聞いていたが、鶴ヶ島出身。



翌朝、少し早起きして藤森駅に移動。



古御香宮神社


秀吉が伏見城を築城したのち、御香宮神社を今の場所から伏見城の鬼門の位置に当たるここに移した。秀吉は、伏見地震は身分の低い者が天下を治ることに対する神の怒りという風評に対する答えとして、地震後3日で伏見城の築城に着手したと同時に、そこにあった桓武天皇の墓陵を破壊することで、神へ抗うことを宣言した訳だ。


この古御香宮神社の社の前の足の板は、破壊した桓武天皇の石棺の蓋なのだとか。


ちなみに御香宮神社を元の場所に戻したのは、家康である。天下をとったらそれまでの天下人とは逆をやるというのは、まあ某合衆国大統領を見ていると今も昔も変わらない。



そのまま息を切らしながら大岩山を登って見晴台へ。眼下に見えるのは今の伏見城。



ここは京都トレイルとして設定されている京都を徒歩で一回りできるルートの一部でもあった。そこから降って大岩神社へ。



大岩神社、大小の岩を御神体とする(というと私は縁があるような気になるが)珍しい神社である。



左は本殿で、神棚の手前には大小の石が並んでいた。疫病平癒に御利益がある。



社務所なのか休憩所なのかわからないが、猫がいた。無人のはずだが、なんだか気配があるような無いような。まあ、三峰山の旧神農の家のようにムササビとか住みつくこともある。



堂本印象の献上した鳥居。鳥居はもう一つあるらしいが、弁慶の通った経路では発見出来なかった。



もう1匹は黒猫で、こちらは警戒心が強い。



印象の鳥居を抜けて奥へと抜けて行くと



こちらの大きな鳥居のある林道へと出た。そのまま、林道を降り、大通りを西に進むと、こちらの鳥居があった。



ここからお詣りすると、堂本印象のもう一つの鳥居があるのだろうか。堂本印象と母親が敬虔なる信者で、病気平癒の御礼として寄贈したらしい。


いまは荒廃してしまっているが、かつては信者が多くいたのであろうことは、石の柵などに大阪など京都以外の地名が掘られていることからもわかる。


更に歩く。



墨染寺 通称 桜寺。あっさり言ってるが、けっこう距離がある。



翌日はお釈迦さまの誕生日なので、甘茶が用意されていた。なぜ甘茶をかけるのか。上に立つ者が良い政治を行い平和な世が訪れると、甘い露が降るという言い伝えがあることに因んだという説があるとか。最近の雨は苦いんだろうな。


ね。