3ではないけど連休の弍 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

秩父方面に歩けばいいやということになり、歩き始めました(爆)。←普通の人の展開ではないよな。

 

まずは寄居に向かって歩いて、途中から円良田湖方面へと進みます。

 

 
美里町の畑の中の道を歩いていると、さっき寄居本庄線ですれ違ったパトカーが視線の先を通り過ぎて行きました。ことあと、待ち伏せされたかのようにまた出会ったのですが、不審者と思われたのでしょう。街中でもなく山里でもないような場所を歩いている人は、普通はなにか理由のある人なんだろうね。私の場合、職質されたって、どうせ鞄の中は観音霊場の御朱印帳と線香と蝋燭しか入ってないし(爆)。

八高線を越えて進みます。
 
 
なんと、若い頃に聞いたことがあるけど、その時に既にもう無いだろうという話だった、曾祖父(ひいじい)さんが寄贈した二宮尊徳像がまだ現存しているのを見つけちゃった。裏書から推測すると、爺さんが亡くなった後で、母校だったこの小学校に曾祖父さんが寄贈した物らしい。ショックで何かせずにはいられなかったんだろうな。爺さんが亡くなった時、うちの父親はまだ4歳だった。
 
たまには歩いてみるもんだね。歩きじゃないと見つけられない物もあるからね。

 

 
通りすがりのお寺の満開の梅の木とか
 

 

 

野仏とかも良いもんです。


 

 
西大澤神社は猪俣小平太範綱が鎌倉時代に作った神社で新編武蔵風土記には天王社と記載されているというから、牛頭天王(=素戔嗚尊ということになっている)が祀られていたのでしょう。明治5年に八坂神社と改称、さらにいくつかの神社を合社し、現在の西大澤神社になった。なんだなんだ?と思うだろうけど、徒歩しかなかったような時代に、こんな地方にも都と同じ物が伝わっているあたりが、なんとなくすごいなぁと思う。妖怪堂さんの説によれば、京都の祇園祭りは、本来はこの牛頭天王をお迎えする祭りなのだそうだ。四条大橋で神輿を鴨川の水で清めるけれど、あれこそ川から神輿への牛頭天王を移す神移しなのだと。そうして普段は川におわします牛頭天王が居なくなった期間だけ、川床を出して川で遊ぶのだと。

ちなみに、ここにも祇園祭りはあって、縁日は7月25日。
 
で、この猪俣小平太さんなんだけど、閻魔大王に仕えた小野篁の子孫なんだそうで、今をときめく鎌倉殿に仕え軍功をあげた人。
 

 

 

石仏もいっぱいあるね。


 

 

全面通行止めだったが、円良田湖は湖畔の周回路で迂回して越えられた。

 
 
末野神社は寄居町末野にあって、当地にあった鎮守三社を合祀した神社で、その三社とは飯玉神社、箱石神社、諏訪神社だという。西大澤神社もそうだったが、明治時代には合祀政策というのがあり、それに従った。ここまで来ると国道140号が見える。

 
 
そして波久礼駅に到着。
 
距離にして15キロメートル、ちょうど4時間だったが、休むことなく、たまに立ち止まって写真を撮りながら歩いた。

実は無闇に歩くことを思い立ったわけじゃなくて、秩父観音霊場を歩いて回ることにしたわけだけど、それならば、家から歩いて繋いでこそだよなと思ってたんだよ。それで歩いちゃったんだよ。だからいずれこの先もきっとまた、歩くの😊。馬鹿だなあ。
 
ね。