秩父方面に歩けばいいやということになり、歩き始めました(爆)。←普通の人の展開ではないよな。
まずは寄居に向かって歩いて、途中から円良田湖方面へと進みます。
美里町の畑の中の道を歩いていると、さっき寄居本庄線ですれ違ったパトカーが視線の先を通り過ぎて行きました。ことあと、待ち伏せされたかのようにまた出会ったのですが、不審者と思われたのでしょう。街中でもなく山里でもないような場所を歩いている人は、普通はなにか理由のある人なんだろうね。私の場合、職質されたって、どうせ鞄の中は観音霊場の御朱印帳と線香と蝋燭しか入ってないし(爆)。
八高線を越えて進みます。

なんと、若い頃に聞いたことがあるけど、その時に既にもう無いだろうという話だった、曾祖父(ひいじい)さんが寄贈した二宮尊徳像がまだ現存しているのを見つけちゃった。裏書から推測すると、爺さんが亡くなった後で、母校だったこの小学校に曾祖父さんが寄贈した物らしい。ショックで何かせずにはいられなかったんだろうな。爺さんが亡くなった時、うちの父親はまだ4歳だった。
たまには歩いてみるもんだね。歩きじゃないと見つけられない物もあるからね。
通りすがりのお寺の満開の梅の木とか
西大澤神社は猪俣小平太範綱が鎌倉時代に作った神社で新編武蔵風土記には天王社と記載されているというから、牛頭天王(=素戔嗚尊ということになっている)が祀られていたのでしょう。明治5年に八坂神社と改称、さらにいくつかの神社を合社し、現在の西大澤神社になった。なんだなんだ?と思うだろうけど、徒歩しかなかったような時代に、こんな地方にも都と同じ物が伝わっているあたりが、なんとなくすごいなぁと思う。妖怪堂さんの説によれば、京都の祇園祭りは、本来はこの牛頭天王をお迎えする祭りなのだそうだ。四条大橋で神輿を鴨川の水で清めるけれど、あれこそ川から神輿への牛頭天王を移す神移しなのだと。そうして普段は川におわします牛頭天王が居なくなった期間だけ、川床を出して川で遊ぶのだと。
ちなみに、ここにも祇園祭りはあって、縁日は7月25日。
で、この猪俣小平太さんなんだけど、閻魔大王に仕えた小野篁の子孫なんだそうで、今をときめく鎌倉殿に仕え軍功をあげた人。
全面通行止めだったが、円良田湖は湖畔の周回路で迂回して越えられた。

そして波久礼駅に到着。
距離にして15キロメートル、ちょうど4時間だったが、休むことなく、たまに立ち止まって写真を撮りながら歩いた。
実は無闇に歩くことを思い立ったわけじゃなくて、秩父観音霊場を歩いて回ることにしたわけだけど、それならば、家から歩いて繋いでこそだよなと思ってたんだよ。それで歩いちゃったんだよ。だからいずれこの先もきっとまた、歩くの😊。馬鹿だなあ。
ね。






