一筆書きの旅2 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

虎姫駅前には大きなモニュメントが設置されている。


虎姫は元三大師の御誕生の地で、そこには玉泉寺という元三大師を本尊とした寺があり、私は一度訪ねてみたかったのだ。




駅から想像していた道より狭い路地のような道を玉泉寺方面に向かう。途中で渡る道路の方が幅の広いバイパスのような道であった。道端には元三大師道の石碑があった。横川まで続く道である。




寺らしき建物が家並みの向こうに見えたので意図せず左の路地に入ってみると、そこには「月子の墓」があった。(本来の参道だとここは通らない。)元三大師の御母堂様の墓所である。手を合わせ、更には進んで右に折れると正面に玉泉寺が見えるのだった。




栄光山 玉泉寺


開山は良源(元三大師)。元三大師が生まれた産屋後に建立された。元三大師は幼名を観音丸といい、幼い頃から優秀であったことから母、月子は大津市志賀に引っ越して伝手を探し、ようやく12歳で比叡山に登ることができた。




17歳で得度して僧になった。そういえば西塔エリアに元三大師得度の地という石碑があった気がする。その後、数々の業績を上げた良源は、第18代天台座主となり、荒廃していた比叡山の建物を再建し、また乱れていた規律を建て直したことから、比叡山中興の祖と呼ばれている。



死後、慈恵大師の称号を贈られたが、元日3日に亡くなったことから、通称を元三大師と呼ばれ親しまれている他、角大師、豆大師などとも呼ばれるが、特にこの角の生えた姿は、良源が夜叉となって疫病を追い払った時の像だという。




本堂の左側の建物に入ると護摩台があり、奥には不動明王が祀られていた。




本堂の横に並べられた綺麗な飾り瓦。奥に見えるのは本堂の床下。充分参拝させて頂いたので、おいとましようとしていると御住職が近寄ってきて本を下さった。




元三大師の生涯をマンガで綴った物で、巻末には全国の元三大師にゆかりのある寺院がまとめられている。




いとまこひの橋。

元三大師が出家するにあたり、この橋の袂で故郷にお別れをしたという橋だが、別の話もある。母、月子が病に倒れた時に比叡山を降りた良源は自らの姿を彫った木像を身代わりとして残し、山に戻ったのだが、その木像は、この橋まで良源を見送ったのだという。



川沿いの道を駅へと向かう。気がつくと、少し長居しすぎたようで、どうも予定していた電車には間に合いそうもない。一瞬走ったけれど暑さで死ぬかもと思ってやめた(爆)。



駅に着いた。虎姫は、その地名から阪神タイガースと関連付けられて、2003年のリーグ優勝時にはかなり注目を集めたようである。駅の傍には虎神殿。商店街には虎せんべいが売られているとか。




予定していた電車はすでに発車してしまっている。急ぐ旅でもあるような、ないような(笑)、さあ、どうしようかな。




日中は、電車は1時間に1本だけらしい。駅舎の一部にイタリアンレストランがあったので食事をして待とうかと思ったのだが満席であった。他に食堂らしき物も見当たらず、たった1台だけ止まっていたタクシーで隣の長浜駅へと移動することにした。長浜まで行けば、何か食べられるかもしれないし、快速も止まるので米原にすぐに戻ることも可能だ。





PayPay で払うと金額のみならず時刻までわかるから便利である。しかしながら、かなりの予算オーバーだ。


ね。