緊急事態宣言の狭間 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。


2ヶ月ぶりであるが、一応生きている。


3月2週。緊急事態宣言が今にして思えば一時的に解除されていた京都に飛んだ。


ここは一条戻橋。


最初に向かったのは暮らしの美術館、冨田屋。3月のしつらえを見たかったのだが、到着すると店先に予約のみの対応との張紙があった。第一の目的地だったので残念だか仕方がない。


気を取り直して北野天満宮方面へと向かう。




京佃煮舗きゃら




小林由枝さんの上記2刊のどちらで知った佃煮屋さんだ。お茶と山椒の佃煮を製造販売している。




こじんまりとした店内とディスプレイ。


この前に腰掛けて味見をさせて頂いた。意図せず、店主さんと小一時間ほどお話しをすることになった。どちらかと言うと声をかけられやすいタイプなのかもしれないが、京都ほどのことは他の場所ではあまり感じられない。普段は車とかサイドカーとか、いろいろ小道具が付随しているから、それをきっかけにということがあるが、だからといって、それほど会話の続くことはないように思う。身一つの京都の方が話が続くというのも不思議である。




その後、本当は梅の時期に来たかった北野天満宮に詣でた。




静かな上七軒を通って、元三大師が祀られている天台真盛宗の千本今出川の上善寺を訪ね、千本釈迦堂に行くつもりが、うっかり




千本閻魔堂に来てしまった(笑)。




さらに信長公を祀る建勲神社に行き、その過程で




船岡山にも登った。山頂からは京都の街並みを一望に出来る。




最後に第二の目的地だった紫式部と小野篁の墓所を訪ねた。


亡くなったのが200年も異なる2人の墓所が並んでいるのは、源氏物語で好色を描いた紫式部はきっと地獄に落ちると思われていて、その救済が目的だと謂れている。


六道珍皇寺の井戸から地獄へと通った小野篁は、閻魔大王に支えていたわけだから、きっと口を聞いてくれるに違いないと考えたわけだ。


その後、ホテルのある河原町方面へと向かった。



18時の夕食待ち合わせ前にに祇園町へ用事を済ませに行った。


祇園町の仲源寺は目疾地蔵。右眼が網膜裂孔になったので、可能な限り参ることにしている。左眼までなったら堪らない。そこから花見小路の先にあるチョコレート屋に向かったが、




路地のお茶屋さんの前にはいつものようにチロがいた。いつもと違うのは、ゴロっと横になっておらず、起きていたということだ。




先斗町の長竹さんで晩御飯としたが、京都市内の飲食店は、この時はまだ夜9時までしか営業できなかった。いつものように移動距離は大きく取れず、効率的に動かざるを得ない。それで長竹さん。


次に行く亜弥さんのお店へは路地を挟んで徒歩3歩。




食事は先斗町の秀好さんとであった。お願いはしたが、誰が来るかは全て亜弥さん任せなので、行ってみるまではわからなかった。秀好さんは埼玉出身だそうで、埼玉繋がりで選んでくれたのかなと思う。


修学旅行で京都に来て、京都で暮らしたいと思ったのが舞妓になった理由だという。理由にしてはあまりにも頓珍漢だと驚いたところ、もちろん伝統芸能も好きだったとのことだった。


いつもこんなことしていそうに見えるが、プライベートと舞妓さんをお呼びしたのはこれが初めてである。人に何をするのかと聞かれると面倒くさいのでお座敷遊びかなと答えたりするが、本当はそんな事は望んではしないし、実のところ。わからないながらも踊りとか芸のことを話したりする。もともと鴨川をどりがきっかけでのことなのである。


以前、足立の運送屋の親父達と京都に行った時にお呼びした舞妓さんは、このコロナ禍で辞めてしまった。随分多くの芸舞妓さんが辞められているが、コロナで働く場所が失われ、また、日頃稽古に励んでいる芸を見せる場所が失われているので、夢も希望も持てないのだから仕方がない。逆にこちらは外飲みも出来ずにその分飲みにあてるお金が浮いているから、今回は力及ばすとも日頃のお返しみたいなものである。




亜弥さんが閉店になり秀好さんも屋方へと帰ると、隣で飲んでいたお茶屋さんの女将さんに雛飾りを見せたいからと連れ出された。雛飾りは女将さんの母親から引き継いだ物で、90年物。手前のおくどさんは女将が買い揃えた物だそうで60〜70年物といったところか。


表情も優しく柔らかく、とても素晴らしい雛飾りだった。しかし、こんな形でお茶屋さんに入れるとは思いもせず(笑)。




翌日は六角堂。六角堂はいけばな発祥のお寺で、正式名称は紫雲山頂法寺。


住職は池坊の家元を兼ねる。この池坊とは、聖徳太子が身を清めたという池の脇にあった僧坊のこと。この池は現在も六角堂の北側にある。




そして御所の旧近衛邸に咲く枝垂れ桜も訪れた。



夕方までに帰宅する計画を建てていたので、普段より随分早く駅に向かう。




京都駅新幹線改札内の宝泉堂は初めての利用だったが、後から入ってきた初老の男女3人組がよく喋るので閉口した。


多分ね、自分は無症状だけどコロナに感染していかも知れないから、人にうつさないようにしようと思って誰もが行動すれば、今みたいにならないと思うよ。


ね。