妙法院門跡と塔頭蓮華王院(三十三間堂) | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

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朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

体調不良で、わずか一駅だが七条駅までは京阪に乗った。不安はあったが大丈夫そうなので散策を再開してまずは妙法院まで歩く。



妙法院は天台宗五門跡のひとつに数えられる名刹であるが、何をおいてもあの三十三間堂を有する蓮華王院を塔頭に持つお寺なのである。

残念ながら妙法院は普段は一般公開を行なっていない。しかし、参拝すれば御朱印も頂けるし庭を眺めることもできる。



寺務所は本堂の左手にある。

御朱印は現在、書置でしか対応していない。御朱印帳からの感染を警戒してのことではないかと思う。天台宗五門跡の御朱印帳を集めようと思っていたが、残念ながら妙法院にはないらしい。

 

御朱印をお願いするとパンフレットと清浄歓喜団というお菓子を頂いた。志納料は300円である。

清浄歓喜団とは奈良時代に遣唐使によってもたらされた唐菓子の一種だそうで、製造元の亀屋清永は、その製法を比叡山の阿闍梨から伝授されたということが説明されている。

亀屋清永
075-561-2181
京都府京都市東山区祇園石段下南側534 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26005883/



庭園の普賢堂

重文の本尊普賢菩薩、後壇には元三大師、五大明王像が祀られている。



宸殿はちょうど掃除中であった。前の通路がそれほど広くないので、奥行きをもって全体を撮影するような構図にならない。



七卿碑

幕末に尊王急進派である三条実美以下7人の公家が妙法院の眞殿に集結し、協議のうえ西国へ落ちたことを伝えるものである。


さて、三十三間堂までの移動だが、約10分ほど歩くことになる。



三十三間堂の入口はまるで三十三間堂を隠すような構造物で、真ん中に券売所と入口がある。



蓮華王院 三十三間堂

清水も根本中堂もそうだが、三十三間堂も工事中でその全容が見え無い。手前からは気にしないように見ればそれらしくみえるが、



奥からはまるで見え無い。反対側の通し矢を行う廊下もまるで見え無い。



境内の法然塔

土御門天皇が後白河法皇の十三回忌で六時礼賛という法要を修した時に、参集の人々に写経を勧めたということを記念するものである。



夜泣泉(よなきせん)

本当は酉をへんに書い泉(酉泉で1文字)と書く。堂僧が夢の御告げにより発見した泉だが、夜になると静けさから湧き出す音がすすり泣く声のように聞こえるらしい。いつの頃からか地蔵尊が置かれたが、転じて子供の夜泣きが治るお地蔵様となった。



太閤塀

秀吉の作った物だが、もともとは方広寺の境内の南限を示す南門から連なる塀であって、ここまでが方広寺というわけだ。それが三十三間堂をも飲み込んで作られている。

時の権力とはやはりすごい物で、後白河法皇が平清盛に作られせた物を、秀吉はいとも簡単に取り込んでしまったわけだ。


外周をひと回りしてから堂内に入った。仕方ないけれど堂内は撮影禁止なので、何も紹介できない。拝観者はそれなりに少ないのだと思うが、今回参拝した寺社の中では最も多く、先に進むのに気を使う場面もなくはなかった。横川の根本中堂と同じように中央の本尊の周りに写経をする場所があるのだが、全く落ち着かないのではないかと思う。



さて、いずれにしろ御朱印帳がいっぱいになったので、曼殊院門跡から妙法院門跡塔頭蓮華王院へと移行した。



御朱印は堂内の本尊の近くで頂く。観音菩薩なので大悲殿である。

ここもコロナで書置のみ(御朱印帳からの感染拡大を防ぐ為)であったが、御朱印帳を購入する場合は直書きして頂けた。

前にも書いたように妙法院門跡には御朱印帳がないらしい。そこで塔頭である蓮華王院の御朱印帳をその代わりということにした。残すは毘沙門堂門跡と青蓮院門跡となるが、五門跡の御朱印帳を集めるといっても、ただ買うのではなくてちょうど切り替わるタイミングで揃えると決めている。共に紅葉が素晴らしいお寺である。ちょうどその頃に行ければ良いのだけど。

ね。