酔った勢い徒歩4時間 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

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朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

駅近の狭い家と徒歩20分の広い家、住むならどっち? ブログネタ:駅近の狭い家と徒歩20分の広い家、住むならどっち? 参加中

私の家は駅から徒歩4分あるいは徒歩30分と2つの路線の駅が近くにあります。徒歩30分は、正直ちょっと使い辛い。駅は都内から2時間弱かかります。以前、終電がなくなって手前の駅の後輩の家に泊まることにしたんですが、徒歩1時間と聞いて、「俺、帰る」と帰ったことがあります。この時は酔っていたのでタクシー代をケチり、3駅区間を歩きましたが、都内の3駅とは違って3時間を要しました。2月だったので、耳に凍りつくような痛みを感じ、途中でたいへん後悔しました。若気のいたりではありますが、駅から遠いのは原則的に現状の生活では考えられない。ただし、20分というのは微妙で、15分なら確実に許容範囲、したがってここでは一応許容範囲と判断します。

一方、考えなくてはならないのは、家の狭さです。時間的な設定は20分と明確なのですが、家は狭いという具体性に欠ける設定になっています。感覚的に狭いと感じる家なのが、物理的に狭くて生活に支障がでるほどなのかが難しいです。住む事が前提とすれば、生活できない範囲ではないと判断しても良いかと思いますが、そうなっちゃったら駅に近いほうが良いに決まっている。したがって、それらを網羅する公式は


駅に近く生活に支障が出る狭い家<駅に遠く生活に支障の出ない広い家<駅に近く生活に支障の出ない狭い家


となります。

もしかしたら、この課題の本質は、生活というものをどう捕らえているかということなのかも知れません。生活=衣食住が満たされれば良い人なのか、生活=衣食住+趣味、憩いなどなど。+αの部分が住空間にどれだけ作用するかしないのかという問題を個々に問うているのかもしれません。私のように物欲が強い人間は、衣食住の空間を犠牲にしても、買い揃えた物を置く空間がどうしても必要です。置く場所がないから買えないという選択肢は皆無なのですから。庭がどうしても必要な人であれば、居住空間の広さよりも庭の有無に重きを置く事でしょう。一方、家は寝るだけ、物にも興味はないし、俺の興味は生身の人間的な方にとっては、行動を優先できる益に近くても生活に支障が出ても狭い家なんていう選択があるのかもしれません。