不思議体験日記第203話(出雲大社参拝体験 その14 須我神社にて 前編)   | a-riman666のブログ

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こんにちは、
菊水千鳳です。

再び、日記のテーマを島根県の神社巡りに戻します。
不思議体験日記第194話の続きです。


須佐神社を後にして、次に須我神社へと向かいました。

須我神社の道路の向かい側に池がありました。











池の小島に祠が祀ってあったので、調べてみました。

その昔、川中三湯の一つとして、温泉が湧く池だったそうです。
池の真ん中、水中に松が自生しているんです。
一つの株から男松と女松が生えているのは例が無いとのことで、大変珍しく、【縁結びの夫婦松】と呼ばれているそうです。
神社の参拝の前にここを軽くご挨拶しました。


次に、須我神社の狛犬さん達にご挨拶しました。

















鳥居を潜り、そして【さあ、参拝だ】と、階段を下から眺めていたら、なんとクシナダヒメさん自らが、上品な歩き方で上から降りてくるではありませんか!
一段ずつ、ゆっくりと。





左足を一段降ろしたら、その降ろした段に右足を降ろす、というように、おしとやかさが溢れる仕草でした。
青色がメインで、その中に緑の葉が描かれた柄の着物を着ていました。襟元が黒の着物の下には、白いのを着ていました。この服装は青空に緑の山を連想させてくれます。
俺達はいきなり階段を登らずに、クシナダヒメさんの動作に注目していました。

階段を降りきりました。
一番最初にクシナダヒメさんはアマテラスさんの巫女の過去世を持ったスピ友さんに、
【キャー!(って喜ぶような様子で)ここまでワザワザお越しいただいてお会いできて嬉しい】と、おしとやかを保ちながらも女性特有の(笑)ノリでご挨拶してくれました。


更にクシナダヒメさんいわく、
【ようこそ、島根までお越しくださいました。
かねてからのお願いでしたので、(天津神々と国津神々との合体の儀式が)実現できたことを誠の喜びとしてお迎え申し上げた次第です。
これで出雲の国の真(まこと)の姿を表していけると思っております。】

次に男神の声が聴こえてきました、
【我ら一同のかねてからの願い、この日をもってせずには不憫にも追いやられていたところであった。】
【この日】とは前日の合体式を指しているのでしょう。

階段を登って拝殿の前で改めてご挨拶しました。














少なくともクシナダヒメさんの存在だけは確認できました。スサノヲさんは姿を表してはくれませんでした。出雲で何回もお会いしましたからね。敢えて姿を表さなかったのでしょう。ご自身の妻に標準を合わせて欲しかったのだと思います。

お姿までは確認できませんでしたが、先程の男神の声は、スサノヲさんとクシナダヒメさんのお子さんの一人とされる、 御子神の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと) さんかもしれません(名前が長い(笑))。
次に参拝する機会に確認しようと思います。
クシナダヒメさんとこれだけ接近してお会いできたことだけでも大変光栄です。

時間の関係上、サクッとですが摂社にもご挨拶しました。

若宮神社↓




荒神社↓




海潮神社↓




なかでも、【海潮神社】を参拝していたら、中から細長い冠を被り、神職さんとそっくりな出で立ちの方が現れました。 (現実世界の方ではありません)
襟元と袖に黒の筋が入った着物を着ているのが見えました。
手には笏を持っていました。


この後、 須我神社から約2キロ離れた八雲山(別名は須我山、又は御室山/みむろやま)の中腹に、奥宮として鎮座する夫婦岩 まで参拝しに行くべきかをクシナダヒメさんに聞いてみました。

【時間が許せるならば、是非ご参拝していただきたい】と返事が来ましたので、登ることにしました。

社務所にてお札を買い、願い事を書きました。これを八雲山に鎮座している【夫婦岩】の前に納めると良いそうです。

車で登山口へと向かいました。



ここで少し、須我神社の由来について参考に書いてみたいと思います。


『古事記』によれば、スサノヲさんが、ヤマタノオロチを退治された後、クシナダヒメさんを伴って八雲山の麓に至ったとき、

「吾、此地に来て、我が御心すがすがし」と言われたことから、この地域を須我(スガ)というようになったようです。

今風に言うと、
【クシナダヒメよ、この場所はなんて清々しい(すがすがしい)場所なんだろう!】
こんな感じでしょうか。

そして、清々しいこの場所を居城の地と定め、宮殿を建てたようです。
古事記、日本書紀に書かれる日本初之宮(日本で最初の宮殿)がここ、須我神社なのです。

宮殿が出来上がった時に、美しい雲が立ち上がるのを見て、

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに  八重垣つくる その八重垣を(やくもたつ いずも やえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)」
と御歌を詠みました。
この地に立ち上る美しい雲を見て、スサノヲさんが詠まれた和歌です。日本で初めての和歌になります。
なので、この場所が三十一文字和歌発祥の地となりました。

そしてこの和歌にある「出雲」が出雲国の名前の起源と言われます。


後編に続く