不思議体験日記第201話(東京国立博物館 平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとたち その5) | a-riman666のブログ

a-riman666のブログ

ブログの説明を入力します。

こんにちは、
菊水千鳳です。


《開催期間は2017年1月9日(月・祝)まで延長されました》




前回の日記の続きです。

続いて、【十一面観音菩薩立像】展示No.8の前に立ちました。

【十一面観音菩薩立像】から頂いたメッセージは以下の内容。

【もうすぐ あなた方の息子が来る(→今世では俺の実際の息子ではありませんが、スピ友さんの息子です)。
当時(→850年位前)、 あなた方の手で育てきれなかった息子が来る。私たちの 言葉だけでも 伝えてください。】

この菩薩さんは俺とスピ友さんとの過去世の話をしていました。俺とスピ友さんは、かつて夫婦だった過去世がありました。およそ850年位前でしょうか。当時、息子が一人いたようです。この坊やが過去世では息子でした。俺は村人を率いる族長でした。

戦に破れ、まだ幼い息子共々、戦乱の世に散っていきました。
今世では、スピ友さんは異性という枠を越えてスピリチュアルを探求する スピリチュアル友達=スピ友さんの1人として今世で再び巡り会いました。

今回、彼女の息子T君がスピ友仲間に加わりました。
スピリチュアル分野でも得意分野、不得意分野があるので、互いに補い合えれば、神様から与えられた今世での自分達の使命を果たしやすくなるのではないかと思ったりします。


続いて、
【観音菩薩立像】展示No.10の前に立ちました。メッセージは以下の内容。

【見渡す限り山々に囲まれたお寺に住まう観音菩薩である。
やたら人目に触れないところに御座す(おわす)ので、こんな機会は滅多にない。
ソナタらは 目と耳が聴こえるようだな?
お話しできることを光栄に思う。

私たちの出方は まちまちであるにせよ、大きな万物の作られた形で現れる。
ふへん(普遍?不偏?不変)なものは一つしかない。
永遠に続くちせい(治世?)を取り巻く、大いなる自然、神秘、宇宙に向かっていく。
人として歩むならば、お主らは真っ直ぐに物事の中心を見抜けるように期待している 。】


この頃、ようやく説得の末にスピ友さんの息子T君が仏像展に合流することになりました。

合流して早速、いきなりT君を巨大な十一面観音さんの前に立たせました。

T君の目に写った十一面観音さんは、まるで生きているかのように 仏像が動いて見え、顔は笑っているように見えたそうです。

驚いている様子の彼を、次に毘沙門天さんの前に立たせました。すると、T君宛にメッセージがありました。T君は現在大学生です。


【部屋の掃除をしたか?
改まって見ても分かるが、穏やかな時を過ごしておるようだな。 
それはそれで良い。幸せなことだ。裕福なことだ。
(この事は)目をつむってあげるが、しっかり 向き合え。鏡に向かって自分を励ませ。
世には 沢山の裕福な人々がいる。
好きなことをやってる人々もいる。
ソナタ=(T君)もそうでありたいなら、持つものの度合い(=本人の持つ得意分野、好きな分野)によって判断し 行動に移すと良い。
今が絶好のチャンスだ。
後悔しなくてもいいように、気の持ちようで 如何なる用意ができるけれども、その 必然たる出来事を通して 日々の中で用いるべき価値あるものが、(これからの歩むべき道を)見出す助けとなる。
ソナタに相応しい(ふさわしい)道しるべとなるであろうから、その声を聴くように。
仏様と繋がっていることがそうである。
安らかな居住を欲さば、身を心して 構えておけ。
せっかくのチャンスをムダにしないように。
分かったか。
社会の歯車に 振り回されるな。】

毘沙門天さんはワザワザT君の将来を気にかけてくれていました。これからのT君に期待しましょう。


続いて、先程メッセージの中で、T君のことを【坊や】呼ばわりした、【観音菩薩立像】展示No.6の前に立ちました。

この菩薩さんはいきなりT君に向かって、【抱き締めてあげるから目の前に立ちなさい】と俺の頭の中にそう語っているのが聴こえてきたので、彼だけを一人菩薩さんの前に立たせました。

俺達は少し離れてT君の背後だけを見ていました。

菩薩さんがT君をそっと優しくたぐり寄せてぎゅーっとしていました。俺達からはT君の顔や正面は全く見えません。

暫くして、彼は号泣しながら戻ってきました。

それを見て、スピ友さんも泣き出し、俺もウルウルしちゃいました。どうやら、思いっきり抱き締められたようでした。
何が起きたのか、T君にラインでこの時の様子を文章にしてもらいました。 
以下の内容です。

【菊水千鳳さんと母親から「坊やが来るのね?」なんて言われて行って、この方だよって菩薩様の正面に向かい合った時、心だけが暖かい何かに包まれたような気がした。
前に富士山に行った時に言われた、
『目を瞑って心を真っ白にして素直に向き合って』って親から言われたのを今なら出来る!と思い実践してみた。

慣れてないのか初めてだったから時間がかかったけど、目の前に人型のぼんやりとした黒?紫?の色したものがとても大きく自分の前に対峙してたのが分かった。

それに向かって「こんにちはー」とか「今日、上野まで来たんですよー」とか当たり障りのない事を頭の中で想いながらそれを見てると、それが自分に覆いかぶさってきたその時一瞬だけ頭が真っ白になった。
その時、訳もなく涙が流れてきた。

すぐに元に戻ったが、それは居なくなってた。
しかし、目の前には金魚鉢程のサイズのが
先ほどそれと同じ色をしたのがあった。(未だに目を瞑ってる)
その金魚鉢程のものから少しずつ自分の胃?丹田?の部分に流れてきているのが分かった。(感じとしてはへその緒で繋がってる感じ?)
嫌な感じはしなかったから、そのまま続けた。
終わったのかと思い、目を開けた。

もう一度、涙が流れてた。 】


毘沙門天さんはアクティブな父親的なアドバイスを、菩薩さんは柔らかな優しい母親的なアドバイスを、お互いがあたかも親のように?T君の今後の将来についてアドバイスをしてくれたようでした。

この毘沙門天さんからのメッセージは、まだ社会に羽ばたいていない若者へのメッセージのようにも感じました。


この後、最後にもう1話 続きます。