不思議体験日記第190話(出雲大社参拝体験その10 稲佐の浜にて天津神と国津神の統合の瞬間)  | a-riman666のブログ

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こんにちは、
菊水千鳳です。 

前回の日記の続きです。
命主社を参拝した後、稲佐の浜の日の入り時刻に合わせて浜へと向かいました。ここが今回の最大の山場、参拝しに来た目的地の一つです。ここはかつて天津神が国津神に国譲りを迫った場所です。

国譲りについて少し参照しましょう、こんな内容です。

昔々、出雲の国は大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)という神様が治めていました。
しかし高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(アマテラスオオミカミ)はその様子をご覧になり、「葦原中国(あしはらのなかつくに)は我が子が統治すべき」とお思いになりました。
※葦原中国・・・色んな解釈がありますが、ここでは出雲地方を指す解釈

そこでアマテラスは「先に行って地上の神たちを服従させなさい」とおっしゃってアメノホヒを遣わし下しましたが、アメノホヒはオオクニヌシを尊敬し家来になってしまい、そのまま帰ってくることはありませんでした。

アマテラスは新たにアメノワカヒコを遣わしましたが、この神はオオクニヌシの娘に心を奪われ、御殿を建てて住みついてしまいました。アマテラスは様子を見てくるようにと鳴女(なきめ)と呼ばれるキジを送りましたが、キジはアメノワカヒコに射殺されてしまいました。

使者が誰も帰ってこないので、アマテラスは力自慢のタケミカヅチと足の速いアメノトリフネ(日本書紀ではフツヌシ)の二柱の神を差し向け、武力で解決しようと考えました。

二柱の神は出雲の国の伊耶佐(いざさ)の小浜(現在の稲佐の浜)に降り立つと、剣を抜き逆さまにして柄を下にして突き立て、その剣の切っ先の上にあぐらを組んで座りました。

舞台となった稲佐の浜。その中央に鎮座する弁天島はかつては弁財天を祀っていましたが、現在は豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト) が祀られています。

交渉が行われたという屏風岩。ここでタケミカヅチがオオクニヌシに「私たちはアマテラス様の命令で来た。 葦原中国は我が子が統治すべきだとアマテラス様はおっしゃっているが、お前はどう思うか?」と強い口調で言いました。
オオクニヌシは「私の一存ではお答えできません。息子のコトシロヌシがお答えいたしましょう。ですがあいにく美保の岬に鳥や魚を取りに遊びに行っております。」と答えました。
タケミカヅチはアメノトリフネを迎えに行かせ、国譲りについて尋ねたところ、コトシロヌシは「おっしゃるように、アマテラスのお子様に差し上げましょう」と答えました。

するとそこへオオクニヌシのもう一人の息子で力持ちのタケミナカタが大きな岩を抱えて戻ってきました。 タケミナカタは「この国が欲しいのなら力比べだ」と言って大岩を投げ捨て、タケミカヅチの腕をぐいとつかみました。
するとタケミカヅチの腕が氷の柱や鋭い剣に変わりました。 タケミナカタが驚きひるんでいると、今度はタケミカヅチがタケミナカタの腕をつかみ、葦の若茎のように軽くひねって投げ飛ばしてしまいました。 タケミナカタは恐ろしくなり、逃げ出しました。
タケミカヅチは逃げるタケミナカタを追いかけ、とうとう信濃の国(現在の長野県)の諏訪湖辺りまで追いつめて組み伏せてしまいました。
タケミナカタは「私は諏訪の地から外には出ません。葦原中国は全部お譲りしますから助けてください」と命乞いをしました。

タケミカヅチが出雲に帰り、オオクニヌシにそのことを伝えると、オオクニヌシは「仰せのとおりこの国をお譲りします。
そのかわり、高天原の大御神様の御殿のような神殿を建てていただきたい。」と答えました。 タケミカヅチは願いを聞き、オオクニヌシのために大きな神殿を建てました。(引用)


まあ時間にゆとりが出来たら、いつか登場してくる神々にこの上の内容がどこまで正しいのかじっくりと細かく聞いてみたいですが、大まかな流れはこんな感じで正しいと思います。

はじめはこの日の降水確率が90%でしたが、当日には晴れるようにと念を飛ばしました。出発前の東京から、出雲の神々や龍達にもお願いしました。
晴天でも雨でも曇りでもダメで、雲と太陽の両方がハッキリと無いと天津神々と国津神々の融合統一は果たせないのです。雲と太陽の両方が無いと成立しないのです。自然界もこの合体式に合わせてくれなければなりませんでした。

天津神々はアマテラスさん率いる太陽や昼や女性性をおおむね象徴し、国津神々はスサノヲさんやオオクニニシさん率いる雲や大地や夜や男性性をおおむね象徴しているからです。雲が出る→出雲(いずも)なのです。この日の日の入りは両者が接する瞬間でした。

この日の日中はさすがに曇りでしたが、稲佐の浜へ向かう頃には青空さえ見え始めました。夕方までに天気は回復しました。

これが天津神々と国津神々が溶け合う瞬間の景色です。暫し見とれて、何枚も写真を撮りました。

見てください、この雲の流れ、形。この隙間に天津神々の荘厳な気が舞い降りています。

















砂浜の大きな石に座って眺めていたら、目の前にタケミカヅチさんが見えました。大きな剣をやはり手に持っていました。古事記に登場したタケミカヅチさんは国譲りを迫る際に、剣の刃を上にして、その上にあぐらをかいて座りました。しかし、目の前にいらっしゃるタケミカヅチさんは両手で剣を砂浜の砂に刺し、両手を剣の柄の先端に乗せていました。剣の刃の先端を砂に刺す行為は、剣をもはや振りかざさず、争い、対立を止め、【和解、統合】に同意するという意味でした。
ついにこの瞬間、長きに渡る天津神々と国津神々の確執に終わりを告げ、統合の道を歩みだしたのです。アマテラスさんとスサノヲさんの確執もこれで終わりとなりました。


当時の国譲りの際、タケミカヅチさんに破れ、長野に落ち延びて命乞いをしたタケミナカタさんの長年の劣等感もこれで消え、タケミカヅチさんと同じ目線でいられる地位を得たことになります。
タケミナカタさんの奥さんはずっと夫の劣等感を見て心苦しいものを感じていたようです。


日本国の神々が一つにまとまる、これにより日本国を更に力強く護るようになるのです。日本国に危機が迫っていることを早々とアマテラスさん達は察知していました。天津神々だけでは日本国をもはや護りきれない程の緊迫した時代がやって来たのです。しかし今、荒ぶる国津神々の力が天津神々に加わることにより、これからの危機的時代を切り抜くための土台がここへ来て完成したのです!


日本国の真の危機が迫ってきています。気を引き締めていきましょう。北朝鮮や中国の動きにも警戒しましょう。

まだまだ続きますが、1日目はここまで。


今年のはじめ、アマテラスさんから天津神と国津神を統合してもらいたいという旨の直接依頼を受けました。そこで、伊勢神宮、奈良の大神神社、そして出雲大社へとそれぞれに呼ばれて参拝する運びとなりました。
この三社巡りでようやく統合が実現しました。ほっとひと安心です。
こうして、日本神話に新たな1ページが刻まれたのでした。


追加1)
昨日の朝、この日記の下書きを書いていたらウトウトしてしまい、夢を見ました。夢の中で天女系の声が聞こえてきました、【これ投稿してーこれ投稿してー】と。

この稲佐の浜日記がいかに重要かと感じました。

追加2) 
先程、投稿する稲佐の浜の日の入り写真をどれにするか悩んでいたら、タケミカヅチさんが現れました、
【良く撮れているな。ワシに選ばせてくれてもいいぞ】と言うので、タケミカヅチさんと一緒に選びました。
タケミカヅチさんの服の色は上は青、黒、白の粒々が混じった柄で、これは半袖?みたいに腕の部分がない感じです。その下に白の長袖を着ています。腕のない感じなので白の長袖が見え見えです。
髪は真ん中から分けて、顔の横でチョウチョの髪型をしているように見えます。
清々しい雰囲気で、滝のような清涼感があります。大自然を目の前でみているようなハッとするような息を呑むような感じがしました。


ではまた