不思議体験日記第160話(高麗神社参拝体験 その3) | a-riman666のブログ

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前の日記の続きです。
参拝を終え、御守りを買いました。社務所の奥には20~30畳くらいありそうな広いお部屋があり、沢山 の展示品が陳列してあったので見に行きました。郡建郡1300年記念イベントを開催していました。関係者に聞いたら、今回のこのイベントは本日が最終日だそうで、最後に見れてラッキーかなあと思いながら展示品を見て回りました。





当時の伝統的なきらびやかな衣装や地図、人物像もありました。先程お会いした高麗王若光さんの絵もありました。



俺が拝殿で見たのは、お歳を召した長老の姿でしたが、この絵は若い頃の姿でした。拝殿の中に、当時生きておられた沢山の方々が、きらびやかな衣装を身にまとって現れてくれましたが、彼等の纏っている衣装は展示されてる衣装と寸分違わず同じ衣装でした。
椅子とテーブルが用意されていたので、一息つくために座らせてもらいました。そこへ拝殿前で俺が写真を撮って上げた韓国人の方が目の前に来られ、
【どうぞ召し上がって下さい】と言っておまんじゅうをくださいました。



テーブルの上には沢山のお菓子が置いてあり、自由にご馳走になって良いとのことでしたが、朝のうちなので気持ち少しだけ頂きました。 このおもてなしにも意味があった事は、後になってわかるのでした。
ここで高麗王若光さん関連の書物を買いました。そして若光さんの事を歌ったCDも無料で頂きました。それから次の神社へ向かう準備のためここを後にしました。
鳥居を潜り抜け、対になっている狛犬の辺りがやはりパワーを感じました。俺達はしばし立ちすくんでいました。
ふと右を見ると小さな祠があり、【水天宮】と書いてありました。小さな山を登ると頂上に【水天宮】があるのでしょうか。今回は時間の都合上、登って見に行かなかったので分かりませんでしが、山に登る道の入り口の祠があったので 祠のみにご挨拶しました。 遥拝所って書いてありました。遥拝所とは現地に行けないけど拝む場所のことなので、ここで参拝しました。
すると、祠から水色の着物を着た古風な男性の霊体が現れました。この男性は両腕の袖の中に左右の手を入れてるような、肘を直角に曲げ、袖の中で両手を握ってるようにも見えました。昔の朝鮮民族や中国のご挨拶ポーズ?かは分かりませんが、穏やかで安らぎに満ちた気を放っていました。

さて、駐車場に止めてある車へと戻りました。直ぐに発車しないでカーナビをセットしたり色々していたら、なんと車の回りを沢山のお迎えの方々に囲まれてしまいました。時代はバラバラですが、高麗郡にかつて暮らしていた大勢の方々に見送られながら車を走らせました。壮大なお見送りでした。2人でサヨナラを言いながら手を振りました。

この参拝は今から2か月前のことです。この2ヶ月間、ワケあってリアルタイムの新しい日記を書かないでいましたら、日記を書いて欲しいって催促が、つまり高麗神社の方々の催促の気が幾度となくありました。今回はお盆休みでようやく日記に仕立てました。

日記を書けないでいる間、ある時、俺の部屋に若光さんの使いの方が来られ、神社のこと、高句麗の歴史のことを世に広めてくださいってお願いしに来られ、そしてこんなことも言ってました。本来なら、当時の時代の方々が生きていたなら、俺達が参拝に訪れたことに対して盛大なおもてなしをしたかったそうです。しかし、肉体がない今、参拝者の肉体を借りて、せめておまんじゅうだけでもご馳走したかったんだそうです。それでおまんじゅうを差し出したんだそうです。

では何故、そこまでして世に伝えてほしいのか、まだ何か意味があるのを感じたスピ友さんの指摘があったので、伝えて欲しい理由を、仕事の合間にその核心の理由を若光さんに聞いてみました。
返事が帰ってきました。

【われわれを救ってくれた日本に感謝と恩があるでの。
日本のお役に立ちたい、影ながら先々を見守っていきたい】だそうです。

これで納得しました。出世を願い、高麗神社に参拝に来られた方々の6人が内閣総理大臣になった、という事実。【日本のお役に立ちたい】という意味が良く伝わってきました。


俺から一言お詫びとご挨拶です。

【高麗王若光さんへ、
大変遅くなりましたが、ここに日記として投稿致します。また、機会を見てそちらにご挨拶致します。こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します。
おまんじゅう、ご馳走さまでした。色々とおもてなししていただいて有り難う御座いました。】