四の五の言わずにとにかく動け | さかもとサンのブログ

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なんかいろいろをそれなりの期間やっている人が思っていることなどを記事にしているブログです。

今日は胃と大腸の内視鏡検査でした。

前日に飲んだ下剤が今日の4時前ぐらいに効果を発揮してくれたのですが、出した後に腸炎並みの腹痛に見舞われ、どうしても辛くてロキソニンを飲んで薬が効いてきたころにそのまま疲れて寝落ち(というか気絶?)

当日飲む下剤(マグコロール2L分)を飲むのが怖くなり、検査をする病院に電話(受付開始時間ぐらいに)。
そしたらなる早で病院に来て、病院で看護師監視の下で飲みましょうという話になって、午後からの予定が午前中に病院へGO。

仕切られた半個室みたいなところでゆっくり下剤を飲み、予定通り検査をしたのでした。
結果は、今年はフレッシュな小さめの3mmのポリープが1個でした(1週間食事制限)。

下剤を飲んでいる時に、積み読してた本を持っていたのでそれを読んでいたのですが、ここ数年私が感じていた事が書かれているような、私の感性にドンピシャな内容でした。

ヒトはやっぱり自然の一部であるということを忘れてはならないと。

ITの発展で情報が発展していき、知識はテクニックはどんどん頭に入ってくるけれども、頭に入ってきたものを使うのは体であるということ。

結局得た情報や知識を使うのは体であり、それらを生かすためには頭の中に知識や情報を入れるだけではダメだという、じゃあどうするかと言えば体を使うしかないと。

これは今話題のトレーニングの10RM5RM3RM論争でも結構大事な考え方になるのではないかと思いまして。

3~5RMの方が強くなるとか10RMは意味がないとか、そういうのを「情報」だけで議論しているからダメなんです。

結局トレーニングなんて一番体を使うものじゃないですか。
だったら四の五の言わずに全部やってみればいいんですよ。

本当に10RMがダメなのか、10RM3セットでずっとやってみればいいんですよ。
本当に3RM5RMが良いのか、それでずっとやってみればいいんですよ。

よくよく考えればやっていけばある程度の答えが見える、なんとも分かりやすい解決方法が明確なものなのだから、頭で考えを巡らせるよりも先に「体を動かせよ」これがトレーニングの基本中の基本だと思いましたね。

時間を無駄にしたくないからどちらがいいか知りたいということを言う人もいるかも知れないですが、どちらにしようか悩んでいる時間も無駄になるのでは?
同じ無駄時間ならば動いてみればいいんですよ。

とまあ「口を動かす前に手を動かせ!」と怒られていた昭和では当たり前だったことが、実は大事なことだったのかな?なんて思ったりもしましたが。

私は本当にいろんなことを試してきたので何となく思うのですが、10RMで効果出せないなら3RMでも5RMでも効果は出せないと思いますよ。

それに10RM3セットよりも3RM5RMの方が効果出る、と言いつつもおそらくそれを行う際の「条件が同じではない」というのはあると思います。
ここを隠して3RM5RMの方が効果が出る、と言っている可能性もありますよね。
10RMも3RMも5RMも同じ条件でやったなら、おそらく話は変わってくると思います。

だったら動いた方が良いんです。
とにかく動け。
強い人、巧い人、みんな他の人よりも動いてます。
効率よくというのは散々動いて、自分にとっての最適解を自分で見つけて、それで効率よくやっているだけで、その最適解の陰には膨大の無駄時間があるんです。

体の事を考えると、短い時間で技術だろうが筋肉だろうが習得は出来ません。
何度も何度も、いろんなことを反復し繰り返し、無駄な動きもたくさんして、それが「基礎」と呼ばれるものなのかも知れませんね。

デジタル社会で頭や意識の方は時代に合わせることは出来ても、体はそう簡単に変われません。
人類がホモサピエンスとして活動したのが3万年ぐらい前からでしょうか。
そこから更に今の情報社会になって何年ですか?
1000年もない、数十年でしょうか。

確かに思考や意識は早い変化に対応できるのかも知れませんが、肉体はそれじゃそれらと同じように早い変化が出来ているのでしょうか?
3万年たっても未だ親知らずが出来るんですよ。
そんな短い期間でヒトの体は進化できない、だからヒトの体は自然だと言ってもおかしくはないでしょう。

筋トレって面白いですよね。
デジタル社会とは全く違う、体を作る、手入れをする、維持をする、など自然である体に手を入れる作業です。

ならば自然の摂理を無視せずに、自然の成り行きを考慮しながら行うべきなのではないかと思いますが、その体に手を入れるための手段を得るのがデジタルなのですから。

皆、鍛えればどんどん良い物になると思っているのではないでしょうか。
しかしヒトは自然の一部で生き物の一種で寿命があります。
そして成長が終われば衰えて行き最後は死にます、必ず。

となると、人生のステージで筋トレの意味も変わってきますから。
今の世の中に目につく声の大きい筋トレ理論は「人生において肉体が成長出来るフェーズ」の事が目立つというかそのことしか語られていません。

衰えていく体にどういう形で筋トレをしていくのか「衰えの筋トレ」を話している人はそう多くないと思います。

それはなぜかというと、現在ネット社会にいる人の大半が「人生において肉体が成長出来るフェーズ」の人達だからです。
確かに60代70代以上の「衰えていく」世代の方々はネット人口も多くないですから。

これも情報社会でネット社会の特徴です。
「世の中のニーズ」とも言うのでしょうか、つまり筋トレの世界においての「衰えていく世代」は対象外ともいえるんです。

だから高重量を持てとか、重量を挙げて強くなるとか、向上の話ばかりじゃないですか。
「衰えていく体とどう向き合い、筋トレをしていくのか」
という、衰えの筋トレの話は誰もしていません。

何度も言いますが、ヒトは必ず衰えます。
そして死にます。
だから本当は避けて通れない話なのですが、世の中そこに蓋をしている。
蓋をしたって衰えるし、死はやってくるんです。

その「衰え」に向き合った筋トレ、果たして筋トレが必要なのかどうかも分かりませんが、そろそろ筋トレの世界も「衰え」に目を向けても良いかと思いますね。

まあ今パーソナルトレーナーやっている人たちは皆若いですから、衰えなんて考えもしないでしょう。
私も20代の時は考えていなかったのですが30代にはもう考えていて、20代の人に「衰えていくことをどう思う?」と聞いて引かれたことがあります。

世の中のニーズ的にパーソナルトレーナーは若い人を求める傾向にあります。
しかし、本当はある程度年齢を重ねたパーソナルトレーナーも必要だと私は思っています。
これからのテーマなのかも知れないですね、高齢化社会になってもう結構長いのに。

ちなみにアメブロのお勧めのハッシュタグでも「衰え」という言葉は出てきません。
でも衰えるんですよ、ヒトばかりじゃなく、国としても衰えはありますからね。

逃げるのではなく向き合わないと。
そして、楽しく幸せに衰えていければいいですね。
最後に「生きてきてよかった」と思えるように最期を迎えられることに、筋トレが貢献できるといいですね。