結局人は変わるのか変わらないのか | さかもとサンのブログ

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なんかいろいろをそれなりの期間やっている人が思っていることなどを記事にしているブログです。

時々どうでもいいことを考えていたりします。

良く「他人は変えられないから自分が変わるしかない」と言う言葉を聞きます。

でもこれは一つの見方とすれば「自分も変わらない」ことを指すかも知れないのですが。

「自分では変わったつもりでも、他人からみたら何も変わっていない」という可能性があり、つまり他人から見た自分は、他人にとっては他人に過ぎないのですから、その他人から見て変化がないならいくら自分が変わったと思っても実際には何も変わっていないということでしょうか。

「他人(自分)は変えられないから自分(他人)が変わるしかない」

と相手も考えればわかることです。

非常に馬鹿らしい、ナンセンスな言葉です「他人は変えられないから自分が変わるしかない」というのは。

現実としては他人は自分を変えるし、自分は他人を変える、と言うのは良くある話です。

話は少し変わりますが、今の自分と10年前の自分は同じ自分だと思いますか?

理解出来てくると非常に怖いというか不思議と言うかそんな感覚に陥るのではないかと思います。

例えば10年前の私は60kg以上をスナッチ出来ましたが、今の自分は出来ません。

もしも今の自分と10年前の自分が同じであれば、10年前に60kgスナッチ出来ないか今でも60kgスナッチ出来るかのどちらかです。

でも実際は今の自分は60kgスナッチ出来ないし、10年前の自分は60kgスナッチが出来ていたのです。

と言うことは今の自分と10年前の自分は同一人物なのでしょうか?

話を戻します。

自分は変わっているのでしょうか?

つまり、人は何もしなくても勝手に変わっていくということなのかも知れないですね。

ちなみに量子物理学では7年で人間の分子は完全に別物になるそうなので、10年前と今の自分では全くの別人と考えることができます。

しかし不思議なのは変化しているものの今の自分も10年前の自分も同じ「自分だ」という認識があるということです。

分子レベルで物質が入れ替わって別の人間になっているのに何故「自分」という認識が出来るのか。

分子レベルで物質が入れ替わっているということは記憶ってどこで行っているんだという話なのでは?という変な人もいます。

今の科学でどう解釈されるのかはわかりませんが、昔の臓器移植の話で、移植元の人の記憶が移植した臓器に残っている可能性があるとかないとかそんな話がありました。(どのような形のものを記憶を言うのかは定かではありませんが)

その話で行けば、少なくとも物質に記憶はあると言えるのではないかと思います。

コンピュータの世界を考えると記憶(データとかプログラムコード等)は記憶媒体(USBフラッシュメモリとかSDカードなどのICチップ)に0・1の2進数に出来る形(おそらくスイッチON、OFF)で記録されています。

ICチップの構造はONOFFしか出来ないスイッチの集まりですが、そのスイッチの数が半端なくてそのスイッチのONOFF状態の組み合わせで記憶をすると言われています。

コンピュータの場合、その記憶の記録の一部が変更されることがない限りは自己認識的なものをしています(例えばシリアル番号を記憶していてそれを照合して判断など)果たしてそれが人間と同じように「自分だ」と思っているのかと言うと、今のところ「そうではない」となっています。

それは、シリアル番号が変わってしまえば、同じ記憶媒体であっても前のシリアル番号を「自分だ」とは判断しないのがコンピュータなのですから。
人間だと「ああ、その(前の)シリアル番号は自分のだよ」と思うところですかね。

AIが感情を持つかどうか、感情と自己認識は別物なのか、それらは記録や記憶から成り立つのか、もしも成り立たないのであればオカルトではありますが人間には「魂」というものが存在するのではないか、そんな話になってくるのではないかと、とある解剖学者の話を聞いて思いました。

「魂」というから一気にうさん臭くなりますが、これが目には見えなく今の科学では認識できない「エネルギーみたいなもの」の可能性もありますし、エネルギーとは違うものなのかも知れないし、そのことが判明した時、実際人間の心や考え方にどう影響するのか、気になるような、でも知るのが怖いようなそんな気がします。

さて、最初の話に戻りますが、私もアラフィフに入りましたが、明らかに昔の自分と今の自分は違う人間ですよ。

そして他人も自分と同じように10年前の他人と今の他人は変わっていると思います。

それが自分の力で変わったのか、他人自身の力で変わったのかは定かではないですけれどもね。

ぶっちゃけ自分が他人に治らない損傷を与えればそれは明らかに「自分が他人を変えた」となりますがそういう話じゃないんだよねこの手の話は。