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ドーピングに対する刑事規制について

ちょっと冒頭の前提部分で非常に気になるところがあって、その気になる部分の引用

まず、その前提として、「ドーピングはいけないことである」という社会的共通認識が存在すると考えてよいであろう。
少なくとも上記命題は、国際的に真であると認められている。
そうでなければ、ユネスコ条約や諸外国の罰則規定の説明ができないからである。


論理的には社会的共通認識が存在するから「真」という導き出し方についてはもう少し詳しい説明が欲しいなと思ってしまった。

社会的共通認識が「ドーピングはいけないことである」を「真」と言い切るのは非常に怖いと思うところではある。

と言うのも社会的共通認識がその物事の真偽を明確にするのは、論理的でも理論的でもなく、大まかに言うと全体的な人の気持ち、認識、多数決の多数意見により真偽が決められるということでもある。

これに「エビデンス(根拠)」があれば良いけれども。

例えば正式なルールで集計した統計データのひとつでもあれば良いのです。

社会的共通認識が「真」であるということを示すためには、不特定多数のそれなりの人数からアンケートを取り、そして集計して、統計的有意性があるのかどうかを示したものがあれば良い。

ここで言うならば、国際的に集計した統計的有意性のあるデータを開示して、その上で「社会的共通認識」として「真」と認めても問題はない、と言うところまでは言わなければならないのだが、そういうデータを示していないというところでここでいう「社会的共通認識」にエビデンスとしての能力や効果はないと、取りあえずは判断出来る訳だが。

「そうでなければ、ユネスコ条約や諸外国の罰則規定の説明ができないからである。」
と書いてあるが、これは論理としては推測の域を超えることはできないのではないかと思う。

「AならばB」ならば「BならばA」が必ずしも成立するとは限らないからである。

この場合

A:ユネスコ条約などで認められている
B:社会的共通認識として真である

と当てはめる感じかな。

ユネスコ条約で認められている理由が明確ではなく、ユネスコ条約も社会的共通認識として真として認めたから条約で認めたとも分からないから、この時点では。

そもそもユネスコ条約で認められているから「真」だというエビデンスも必要になってくるから、この文章を読むためにはユネスコ条約がどのような経緯を持ってそうなっているのかを知っておかなければならないし、この文章をちゃんと読むためにはそれをまずは勉強してからではないと、読み手側もこの記事の内容が本当に正しい話なのかどうかの判断も出来ないと思われる。

それに先ほどいった、社会的共通認識で本当に「真」を示すだけの統計的エビデンスも調べておかなければならないけど。

実際には分からないけど、国際的にその手の統計データを取るのは大変なのではないかと思う。

逆にちゃんと集計して統計データとして存在していたらすごいと思う。

まあでも、そんな一般人では確認できない前提の中での話であっても、記事のタイトルにある「刑事規制について」は難しそうではあるが。

まあこのPDFを何故見つけたかと言うと、違うことを調べていたら検索一覧で出てきたので読んでみた、と言うだけである。

では何を調べていたかと言うと「ドーピング WADA以外の組織」とかそんなのを調べたくて、でもなかなか簡単には探せなくて「ドーピング WADAの問題点」と調べたら出てきた。

WADA以外にドーピングの検査機構はないのかな~と思っているのですが、他スポーツ協会独自で検査機構を持っているところはあるようで。

ボクシングコミッションも独自の検査機構を持っていて、その辺りで確か何年か前に井岡選手の件で揉めてるという記事を読んだ記憶がある。

ただオリンピックとかでのドーピング検査機構ってWADAしか関わってないよね、と思うと、1強がずっと関わっていると癒着とか忖度とかあるよね~って思われるのが世の中の常かと。

あの著作権管理だってJASRAC以外の組織があったり、個人で管理するみたいな個人単位での組織も存在するようなので、そう考えるとドーピング検査機構がWADAのみというのを「アレ?」と思うのもおかしい話ではないと思うけど。

昔に見た話だと、カフェインは規制される予定だったのが、オリンピックのスポンサーの関係でノーチェックになったとかそんな話もあったので、1強に一任するのも問題あるのではないか・・・と言っている記事も見かけたことはある。

カフェインだって興奮剤としての機能はある訳ですから、何故規制されないのかな。

後はタバコか。
ニコチンにも身体能力を必要以上に高める効果があるとかないとかもどこかで読んだなぁ。
ニコチンも規制はされていなかったと思うけど。
受動喫煙の問題もあると思うんだけどね。

まああれだ。

社会的共通認識で「真」と言われようと、理論的なエビデンスで「偽」が出てしまうとドーピングはいけないことと言うのが一気に「偽」になってしまうのが論理学の怖いところだよね。

多数決や気持ちや感情だけでは判断できないってこと。

逆に言うと「理論」や「根拠」が必要だからこそ、我々は守られている部分があることも忘れてはならないのではないかと思う。

その中で妥当な説明が欲しいところだよね。

※社会的共通認識でネットで調べると専門用語のようで専門用語ではないのではないかとも・・・