心の奥底に追いやってしまってた願い | フラメンコ舞踊家 森山みえのブログ

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JR総武線『小岩駅』から徒歩3分。
東京都内ですが隣駅は千葉県という東京の東側でフラメンコ教室を運営しています。

舞台に対する想い、そして舞台に繋がる教室での日々のこと、私の日常をブログにつづります。

私は私を見失った


生きていると


「あれしなきゃ!」

「これやらなきゃ!」


というものが沢山ありますね。


その中にはやりたくないものもあります。


でも、皆、その自分の本音に蓋をして、

「せねばならない」

を行ないます。


そして、そんなことに時間を使っているから、本当に自分がやりたいことに避ける時間がなくなります。


こんなことを続けていると、『本当にやりたいこと』をやる機会がないあまりに、自分の『本当にやりたいこと』が分からなくなります。



私は私を探し出した


どうしてもやらない訳にはいかないものはありますが、自分がそう思ってるだけで、実は自分がやらなくても済むものもあります。


「私がやらなきゃ!」

と手を出してしまうから、他の人は私がやってくれると甘んじ、本来はその人がやるべきことなのにやらなくなってるものもある筈です。

特に、家庭における女性にはよくあることかと思います。


私は少しずつ、それらを止めていきました。

時に、それは奴隷解放運動のようでもありました。


かつては、あれもこれもやってあげて、尽くして、役に立つことで自分の価値を認めてもらい、存在を許されることに安心を覚えたり、心が満たされたこともありました。


でも、気付いたのです。

それは、奴隷としての価値を認められただけだった。


奴隷として認められたい訳じゃない。


奴隷として認められず、それ故にそこに存在することができなくなったのだとしたら上等。

私はその場を立ち去ることを選ぶ。



陰極まって陽となる

そうやって、自分の時間を捻出してみて分かったことがあります。


他人の為に時間を使ってきて、そんな自分が自分だったので、私は私を見失いました。


崩壊です。


アイデンティティ・クライシス。


いざ自分の時間ができてみると、やりたいことがわからなくなったんですね。



とことんまで、グダグダさせてあげた


何かやりたいことはないかと探してみたり、やってみたりしたけど、

「これって、本当に私がやりたかったことなのだろうか?」

という疑問が自分の中に生まれるも、

「そうだよ」

とスッキリ答えられないことが増えるだけでした。


そこで、私は、やりたいこと探しを止めました。

頭で考えたって、見つからないって気付いたのでした。


その代わりに、私は何もしない。

ダラダラぼー

をすることを許可しました。


グダグダ

ダラダラ


特に役に立つことをせず、無駄に時間が過ぎていきました。

でも、無駄に時間を費やすことも良しとしました。



そして、しばしそれを自分に許していたら、

「もう、嫌だ。こんな、自堕落な生活を送りたくない」

と思うようになりました。


陰極まって陽となる


です。



立ち上がった私は何を掴んだか


そして、立ち上がった私はあるものを手に取りました。

自然と。


「そうか、

私はこれが好きだったんだ。

これをやりたかったんだ」


と答えに行き着きました。


昨日は、未来のビジョンが見えました。

ワクワクしました。


そして、今日はワクワクする未来に向けての行動を取りました。

今日会った方と次の舞台の話をして盛り上がりました。



頭で考えても分からない。


自分を縛るものを削ぎ落とし、自分をしっかり休ませてあげたら、ちゃんと心の底から、自分の望むものは浮かび上がってくる。

それを実感しています。




抹茶風味のティラミスを作りました。


ティラミスだけど、マスカルポーネを使わないで、クリームチーズとヨーグルトを使うので、ティラミスってよりレアチーズケーキって感じ。


土台のスポンジにも抹茶を練り込み、ほろ苦さっぱり味。


ケーキ作りも私の好きなことの1つ。

仕事にはならないけどね。