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やっと
ヨーガスートラまで辿りついた
前回までの話し
今回長いので
お暇な方はお付き合いください。
ヴェーダーンタ哲学から
離れ
進み出したサーンキヤ哲学
この
サーンキヤ哲学の
実践法としての位置付けに
あるのが
ヨーガスートラ
yogaの教科書と言われている
ヨーガを体系化して
ヨーガスートラとしてまとめたのは
パタンジャリ
ヨーガスートラは
瞑想の本で
瞑想についての
色んなことが書かれている
概念だったり
実際にどうするかだったり
瞑想状態になると
どんな力を得るのかだったり
なので
ヨーガスートラの指す
ヨーガとは
ざっくり言うと
瞑想
であって
ヨガのポーズではない
現在
ヨガ=ヨガポーズ
ヨガポーズ=ハタヨガ
となっていますが
ハタヨガが登場するのは
ヨーガスートラの指すヨーガから
随分後になった頃。
バラモン教
ヒンドゥー教
となるわけですが
ヒンドゥー文化というのがあるらしく
それは
できるだけ争わずに仲間にしてしまって
ごちゃまぜにしちゃおう!
というもの
独自路線を進もうとしていた
サーンキヤ哲学も
ヒンドゥー文化の流れにのまれ
ヴェーダーンタ哲学に吸収されてしまう
ということになる
例えば
私がトマトの神様を信仰しているとして
(何でトマト?)
それが広まっていって
大勢の人がトマト神最高!!
となってくると
ベーダーンタ哲学派が来て
言うの
『トマト神いいよね!』
『あの考え最高ですね!』
『あなたは赤トマト神信仰?
それとも黄トマト神信仰?』
『あの修行のやり方もさすがですよ!』
『みんながトマト神を信仰するのもわかる!』
という感じ
かどうかは分からないけど
トマト神信仰している人は
悪い気はしない
で
そこから
でも知ってます?
トマト神って
ヒンドゥーの神の化身なんですよ
という感じかどうは分からないけれど
ヒンドゥー文化に吸収される
トマト神を信仰していて
これを言われて
翌日から
それを鵜吞みにして信じたかどうか?
分からなけれど
吸収の仕方は
もっと
とても
うまかったんだと思う
鵜呑みにしないまでも
トマト神が
ヒンドゥーの神様の化身なら。と
ヒンドゥーに対して
敵対心は持たなかったんじゃないかな
このヒンドゥー文化の話を聞いて
なるほど!と思ったのは
ヒンドゥーの神々の物語を観に行ったとき
ヒンドゥーの神様相関図
注目すべきは
ヴィシュヌ神
ヴィシュヌの10化身とある
『バガヴァッド・ギーター』は、
700行 の韻文詩からなる
ヒンドゥー教の聖典のひとつである。
ヒンドゥーの叙事詩
『マハーバーラタ』第6巻に
その一部として収められており、
単純にギーターと省略されることもある
Wikipediaより
インドでは
イケメンで
アイドル的存在で
大人気の
クリシュナ
そのアイドルが囁くわけ
『yogaとは心の平静だよ』と
もう、みんな
きゃ~!!ってなっちゃった
かどうは分かりませんが
サーンキヤ哲学の実践法としての
yogaというものが
ヴェーダーンタ哲学のものとしても
書かれちゃいました
ヨーガスートラに書かれていた
ヨーガの定義が
バガヴァッドギータに
定義が拡大されて書かれることになる
追加されたyogaの定義の3つが
カルマヨガ(行動)
バクティヨガ(献身)
ニャーナヨガ(知識)
例えば
ニャーナヨガだと
知識を学ぶこともyogaなんだよ
でもそれは
ベーダーンタ哲学の知識を学ぶことだよ
と
バラモン教の
ベーダーンタ哲学の
ヒンドゥーの
頭の良さと
したたかさを感じる
カタチを変えながらも
拡大し
続いていく様子は
すごい!としか言えない
結果として
別路線で突き進もうと思った
サーンキヤ哲学は
ベーダーンタ哲学に再吸収
されたけれど
だけど
だからこそ
今現在も
ヨーガスートラや
サーンキヤ哲学がインドの中で
残ることが出来ている
といえるのかも
それに対し
仏教は
インドの中では
小さな存在になってしまったのは
ヒンドゥー文化に
抵抗したのかもしれない
ブッダは
ヴィシュヌの化身
とされているのだから
その流れに逆らわなければ
仏教も今とは違った形で
インドに残ったかもね
ここまでお読みくださった方
ありがとうございました
ヨーガスートラとバガヴァッドギータは
ここまでですが
次回は
じゃぁハタヨガって?
どっちの哲学が正しいの?
を書いてみようかな
書けるのか?私
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