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ヨーガスートラと
バガヴァッドギータという
テーマにもかかわらず
なかなか辿りつかない…
今回こそは
スートラと
ギータにたどり着くかなぁ
と思いつつ
書いていきます
前回までの流れ
ヴェーダーンタ哲学の考えを汲みつつ
ジャジャーンと登場した
サーンキヤ哲学
私たちの肉体、脳、思考は万物と一つながり
という考え方は
ベーダーンタ哲学と同じ考え
なのだけれど
その働きを見守る
魂のような
『純粋意識』
が別に存在する
という考えがサーンキヤ哲学
なので
ヴェーダーンタ哲学の一元論に対し
サーンキヤ哲学は二元論といわれる
ヴェーダーンタ哲学では
ひとつながりの根源は
崇高なものと考える
全てのものがひとつながり
ならば
神さまと私は
同じもので出来ているのだから
私も崇高で神聖なもの
サーンキヤ哲学では
ひとつながりであることは
そうなんだけど
それは、崇高なもの
神聖なものではなく
ただ単に
物質現象でしかない
と言う
この物質現象の中に含まれるのは
触れることのできる物質の他に
私の感情
私の感覚
私の思考
など
私が私だと認識する
色々なものが
含まれるところがミソ
そして
それらの物質現象とは完全に独立して
一人に1つの純粋意識があるとする
サーンキヤ哲学で出てくるのが
プルシャ
プラクリティ
という単語
プルシャ=純粋意識
プラクリティ=物質現象の根源
そして
本当の私は
プルシャという純粋意識
本当の私=プルシャ=純粋意識が
できることは
ただ観る
ということ
プラクリティ(物質現象の根源)の揺らぎによって現れた
肉体に
プルシャ(純粋意識)が乗っかって
内側から外を見ている
そんな感じ
本当の私であるプルシャが乗っかった
肉体が
たまたま
足が速い人型の物質であれば
100メートル10秒を切っちゃう
なんてことも
でも、本当のあなたは
それではないよ
これって、別パターンだと
救いになったりもするかな?
生きるのが苦しくて
この世とうまく合わなくて苦しい
でも
それはそういうものに
乗っかっちゃった
だけ
本当のあなたは
それではないよ
とか
私たちが普段認識できるものは
プラクリティだから
このプラクリティを使って
プルシャにどんな景色を観せるか?
とも考えられる
ベーダーンタ哲学から
サーンキヤ哲学が生まれた頃は
どんな世界だったか
本当のところは
誰にも分らないから
想像でしかないけれど
サーンキヤ哲学ができる前の時代
結局のところ
いい思いをしていたのは
カースト制度のトップにいる
バラモン階級の人達だけ
特権階級の人だけが
ヴェーダ聖典、ヴェーダ(知識)によって
神と繋がり
幸せな状態だった
それ以外の人は?
もしかしたら
その時代の考えを
強く否定し
サーンキヤ哲学が
生まれたのかもしれない
物質現象
自然現象
宇宙は
神聖なものでも
崇高なものでもなく
ただの物質作用でしかない
瞑想で心を鎮めて行けば
バラモン僧だけでなく
誰であっても
自分が純粋な意識であることを
実感することが出来る
この純粋意識こそが
清らかな存在である
自分がプルシャ(純粋意識)であることを
知るために
実践するためのに
ヨーガスートラに書かれている
実践法をやるといいよ
そんな位置付けにあるとされる
ヨーガスートラ
やっとここで
ヨーガスートラが登場
長かった・・・
サーンキヤカーリカーに書かれている
サーンキヤ哲学を
実践していく方法として
示しているのが
ヨーガスートラ
ヴェーダーンタ哲学から
離れ
独自路線を進もうとした
サーンキヤ哲学
そのまま突き進んでいけたのか?
ここは次回
私のお伝えしていること
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