先日、従兄が死去しました。
訃報を受けた時は悲しみよりも
ただただ驚きでした



持病もなく、
前日も体調を悪くしていたわけでもないのに
朝、ベッドで冷たくなっていたそうです。
私より6、7歳年上で40代半ばでした。
小さい頃は家が近いこともあり
遊んでもらっていましたが
だんだんと会う機会も減り、
大人になってからは
親戚の集まりで
顔を合わせる程度となっていました。
親戚の集まりでさえ
私はあまり行かなくなったので
最後に会ったのは4年くらい前に
私が珍しくお正月の親戚の集まりに
参加した時です

亡くなった従兄もその場に顔を出していれば
それがおそらく最後ですが
従兄がそこに顔を出していたかも
実は定かではありません。
(会っても特に話さないので
)


その集まりに
従兄が顔を出していなかったとしたら
最後に顔をあわせたのは
20年前まで遡るかもしれません。
(どれだけ集まりに不参加なの、私
)

それぐらい従兄とは
随分前から疎遠でしたので
思い出は昔の記憶ばかりです

皆でぶどう狩りに行ったこととか、
花火をしたこととか。
変なことは覚えていて、
従兄が虫垂炎で入院した際に
しましまクッキーを持って
お見舞いに行った記憶はあります

たしか当時従兄が小学生だったから
私は幼稚園ぐらいかな?
あとは私が中学生の頃に
たまごっちが流行っていたのですが
巷では手に入りにくく、
私も持っていませんでした。
ところが従兄は貴重とされていた
白のたまごっちを所持していました



従兄はもう大人だったので
どこかで入手したのでしょう。
すごく自慢されました笑
そして流行りが去った後、
そのたまごっちを貰ったのでした


さて、通夜と葬儀はコロナ禍ですし
そうでなくても近年は家族葬が多いですが
従兄の場合は一般的な規模で行われました。
もちろん通夜・葬儀ともに参列しました。
通夜には多くの方が訪れてくださり、
葬儀にもおそらく仕事を休んで
参列してくださる方々が何人もいらっしゃり
勝手に胸が熱くなりました。
そして棺にお花を供える際は
涙が止まりませんでした

思い出に浸って
悲しみが込み上げるというよりは
もらい泣きなんだと思います。
従兄の友達と思われる年恰好のおじさん達が
涙を流しながら棺にお花を入れてくれる姿や
従兄の両親・姉弟が
穏やかな顔をした従兄に触れながら
最後に声をかけている姿は
見ていてとても辛く
涙が出てきてしまいました

亡くなった本人も
志半ばで辛いかもしれませんが、
残された人達もとても辛いです。

この度従兄が亡くなったことにより
私の日々の生活が変わることはないですが、
自分が死んだ時のことを
やっぱりエンディングノートなどに
書いておくべきだと
思い直すきっかけにはなりました

一時期、そういったことを
考える時期もあったのですが
最近はすっかりスルー気味で…



今一度まじめに取り組もうと思います



