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人生を取り戻すブログ

若者・中高年のキャリアを支援するブログ

  キャリアカウンセラーの養成講座に通いながら、悶々とした日が続いていた。

  何に悶々としていたかと言うと、学習すればするほど深いところへはまっていく感じがしたから。

  なぜか?

  それは正解がないからだと思う。

  理論や概念はあくまでも一般化されたものであって、クライアント一人一人にそのままあてはまるかというと、必ずしもそうとは言えない。

  一般論を個人に当てはめようとするからおかしくなる。いわゆる枠にはめるというやつだ。
「~しなければならない」「~するべきだ」とか。
  本当にそうなんだろうか?
  確かにそうするべきな時はあると思う。
  でもいつでもそうじゃないし、やり方は無限にある。

  枠にはめられて、苦しくなって、せっかく相談に来てるのに、そこでもまた枠にはめられては、いよいよ逃げ場がなくなってしまう。

  だから一般論を押し付けるのではなく、あくまでも参考にしつつ、言わばその人だけの理論、そのひと独自の勝ちパターンみたいなものを一緒に作り上げていく、そんな姿勢が求められているんじゃないだろうか。

  
  

  
  今までドリフトばかりだった自分の人生に一筋の光を灯してくれた、種々のキャリア理論だったが…

  「よし、これからは自分で自分の人生をデザインして第2のキャリアを築いてこう!」

  「これからは周りが手を差し伸べてくれるのを待っているだけやとあかん!」

  「環境は常に変わり続けてるんや!」

  「自分から動かなあかんのや!」

  「よしっ!まずは…」

  「…」

  「…えっと…何からすればええんやろう?」

  そう、 一番肝心な部分が抜けていた。『自分がこれから本当に何をしたいのか』だ。

  漠然と人の役に立ちたいし、成功したいという思いはあったが、具体的に何に興味があって、何が得意で、というところが何も見当たらなかった。
  人の役に立つってどういうことかわからなかったし、自分にとっての成功ってなんだ?

  以前、大学の講師の人が言っていた言葉がすごく印象に残っている。

  「みなさんは、いったい何者でしょうか?」

  自分自身の説明をするとき、
 「生まれは何年何月で、どこそこに住んでて、どこここの学校を出ていて、こんな会社に勤めていて、子供は何人いて、こんな性格で、こんな趣味があります。」

  という環境との関係性の内容が多いのではないだろうか?
  
  また、
「生まれは何gで、1日何ミリ背が伸びて、体重は何gずつ増えて、胴回りは毎日これくらい、腕の長さ、足の長さはこれくらいずつ伸びて、覚える言葉は毎日これ位で、筋力は日々これくらいずつ増えて、髪は何色で日にどれくらい伸びて、目の色は何色で、どこそこにホクロがあって、しゃべるときは口はこれくらい開いてて、食事は1日どれくらい食べて栄養の吸収率はどのくらいで…そして今ではこれくらいで結果こうなりました。これが私です。よろしくお願いします。」
  みたいなことは言わないだろう。
  
  しかも、これでもまだ特徴はすべて言い切れていない。
  人のことすべて言い表すことなんて実際できない。
  しかも日々変化してる。
  細胞は死んだり、分裂したりしてるし、2、3年ですべて入れ替わるとも言われているし、昨日より確実に1日歳をとってるし…

  そういう意味では毎日新しい自分自身とも言える。

  じゃあ、自分自身はいったい何者といえるのか?

  そうして、悶々としながらインターネットで色々と検索していて時、見つけたのがキャリアカウンセラー養成講座だった。
  必然だったように思う。
  当時は厚労省が押していたこともあって、至る所に広告が出ていた。

  最初は
  「怪しい講座だなあ、ボッタクられるんじゃないかなあ」
  と思っていたが、
  気になり出したら止まらず、
  「もうなりふり構ってられへん!このモヤモヤ解消させな気が済まへん!」
  と申し込みボタンを押した。

  これが更なるモヤモヤを招くことになるとも知らずに。

  続く
  

  






  

  
  
 私がキャリアカウンセリングと出会ったのは、まったく思いもよらないところからだった。
 社会人になってから通信制の大学で心理学を勉強していた時、カリキュラムの中の選択科目にキャリアマネジメントという科目があった。

 「なんやろう?キャリアをマネジメントするって・・・?労務管理のことかな?」
くらいにしか思っていなかった。

 それで何気なしに登録して、後日送られてきたテキストに目を通して愕然とした!
 スーパー、ホランド、シャイン、ナンシー・シュロスバーグ、クランボルツ・・・etc

 「・・・仕事と人生について、こんなこと考えている人がこの世にいたのか!」

 しかも米国ではかなり研究が進んでいるらしい・・・

 そして追い打ちをかけたのが、参考文献にと思って手に取った、

 

金井壽宏先生の「働く人のためのキャリア・デザイン」(PHP新書)  
 
 これがまた衝撃的だった。
 
 「なんということだ!人生の節目にキャリアをデザインする!みんなそんなことしてたのか!?知らないのは自分だけ?」
 
 当時は、
 「人生なんて、何が起こるかわからないし、先のこと考えたってしょうがない。なんとか今の会社で上にあがれるように、嫌な仕事でも頑張ってやるしかない。」
 
 「あとは上司や役員さんたちが決めてくれるだろう。」
 という感じだった。

 会社では仕事に行き詰っており、将来の明るい展望も希望も見えない、もがく毎日の繰り返しの中で、自分のキャリアをデザインするなんて考えてもみなかった。
 
 そもそも諦めていたのかもしれない。
 
 「自分には学歴もずば抜けた能力も才能もない。」
 
 「これからもおそらく何も変わらないだろう。」
 
 「いいことなんてないのが人生なんだ。」
 
 「やりたい仕事してる人なんて一握りで、ほとんどの人たちは嫌々仕事してるんだ。
 だから自分も我慢して耐えて行かないといけないんだ。」
 
 「でも、周りの人たちはなぜか幸せそうに見える。
 自分だけが不幸なんじゃないか?」
 
 「ひょっとすると自分は今までの行いの罰を受けてもう幸せにはなれないのかもしれない。」
 
 「いやいや、コツコツやっていればいつかは女神様が微笑んで・・・」

 なんてことを考えていた。

 そんな悶々とした毎日に一石を投じたのがさまざまなキャリア理論だった。
 
 覆水盆に返らず。
 その一石の波紋はどんどん広がり、シャインやクランボルツの書籍を読みふけるようになり、社会の変化と個人の変化の相互作用を感じ始めると、もう後には退けない。
 知らなかった頃に戻るわけにはいかない。
 
 「これしかない!」

 これが始まりでした。
 つづきはまた書きます。