ときどき思うのですが...
「私は○○な人」
ってよくよく考えると面白い言い方だと思う。
○○に入るのは、いわゆる周りの人が聞いて
なるほど思えるようなステレオタイプの一種のはずで、
○○=
出産しても女として魅力的でありたい
積極的にアプローチされるとむしろ引いちゃう
パンダ好きでパンダグッズを見ると絶対買っちゃう
とかになるわけで。
要は、色々な考え方があるものについて、
私はこう考える人のグループに属している、
と、自分にラベルを貼る行為なのですね。
最近、大人になってからの出会いだと、
見た目だけで判断できないことも多いから、
思ったより所属とかラベルとかが
大事になるんだなぁと思う機会が多いです。
かくいう私も、面倒な時には
まずその人のラベルを見てしまったりするわけで...
ラベルなんか貼られたくない!って思っていた
中高生時代が懐かしい。
まぁ、中高生時代なんて
「私は大人からラベルを貼られたくない人」
というのがメジャーなラベルだったりするわけだけれど。
上海に本を贈ろうというプロジェクトが発足。
中国では英語の次に日本語を学ぶ人が多いらしいけれど
ビジネス・文化の最新事情を学べる書籍や雑誌が不足しているそうな。
引っ越しを機に持っていくには重いし...と思っていた
日経ビジネスなど寄贈しようかなぁと計画中。
最近聞いた話、
最近東京では中国人小学校に
子供を通わせたがる親が増えているらしい。
一昔前のインターナショナルスクールのイメージ。
英語は小学校に導入されたし学ぶ機会も多いけれど
中国語を学ぶ機会はなかなかない。
これからの成長が見込める中国交流が増えることを見込んで
中国語が喋れれば将来確実なプレミアになるということらしい。
思い起こせば、私が大学を卒業する時(2004年)、
学科長告辞で時代はアメリカではなく中国だ、
学問の中心も中国にシフトしていくはずだとの言葉がありました。
留学にせよ雑誌にせよ研究にせよその後もまだまだ
(現在でも)アメリカ全盛期は変わりません。
でも、リーマンショック以来の研究費減少やらなんやら...
少しずつ陰りや求心力の低下が見えているのも確か。
バブル崩壊ってこういう感じなのかなぁって思います。
警告している人はいて、まだまだって思っている人もいて、
思えば思い当たる節はあるけれど、
自分の行動を変えるまでには至らなくて...
誰かの気づきが連鎖して、あるとき急に
アメリカ中心が雪崩をうって終わるのでしょうか?
今まさに留学先の選定作業に入った私。
アカデミック業界も含め、
よくよく世界を俯瞰したいと思います。
