三重県津市心霊スポット【忠盛塚】92箇所目 | 心霊スポット散策

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今回は、三重県津市の心霊スポット『忠盛塚』へ行ってきました。
忠盛塚は、田んぼの中にポツンとある塚です。
バス停もあったので日中は、バス利用者が使う場所なのかもしれません。

忠盛塚は、津市郊外の産品(さんぴん?)の地は平清盛の父忠盛が生まれた所といわれる場所です。
平将門を打った平貞盛の子孫なんです。

忠盛塚は、忠盛の胞衣塚(えなづか)や産湯(うぶゆ)を使ったという産湯池があったとされ、伊勢平氏発祥地の伝説地として県指定史跡となっています。
平忠盛は「あみにかかった人魚」の民話として語り継がれているなど、この地域と関わりが深かったことが伺えます。
  源氏とともに武家の棟梁(とうりょう)として有名な平氏は、桓武 天皇(かんむてんのう)の曾孫高望王(ひまごたかもちおう)を祖とする。
その子国香(こっこう)、孫貞盛(さだもり)・将門のころには東国(あずまのくに)に土着し勢力を張っていた。
しかし、平将門の乱、平忠常(ただつね)の乱以後東国は源氏の地盤と なり、貞盛の子維衡(これひら)の時に伊勢・伊賀を根拠地(こんきょち)とするようになり、寛弘3年(1006)維衡(これひら)は伊勢守(いせのかみ)に任ぜられている。
 維衡(これひら)の曾孫正盛(まさもり)は院政(いんせい)と 結 び、白河法皇の寵(ちょう)を得て中央政界に進出し、平氏興隆(こうりゅう)の道を開いた歴史があります。


その子忠盛は正四位下但馬守に進み武士として最初に内の昇殿を許され、平氏繁栄の基礎を つくったとされています。

このときの様子を「平家物語」では、眇(すがね)な田舎武士の昇進をねたんだ公卿(くぎょう)が「伊勢瓶子(平氏)は素甕(眇)なり」とはやしあざけったと ある。
 ところで伊勢平氏とは、維衡系(これひら)のことで、その孫貞衡が安濃津三郎、その子貞清も安濃津三郎、その子清綱は桑名富津二郎を称したように、 中 勢から北勢にかけて勢力を伸張させていた。
貞衡の弟正衡の流れの正衡・忠衡の昇殿、清盛の活躍などのため、伊勢平氏=忠盛と理解されるようになったと考えられるようです。
そうして貞衡系の伊勢平氏は、いつしか忠盛・清盛の郎従となり、歴史の表舞台から姿を消してしまったのかもしれません。


忠盛塚の心霊現象は、
・武士の霊が出る
・和服姿の霊が出る
霊感の強い者はこの場所にいかない方がいいと云われており、行った者は霊にとり憑かれることがあるという噂もあります。

若者がこの場所に肝試しに行った際、武士の霊がずっと纏わりついていたという。
それだけではなく、その友人の周りにも和服姿の霊が複数人いたらしいという都市伝説もあります。
実際に忠盛塚の近くでは落ち武者の目撃情報だったり、火の玉だったり、夜中に歩く不審な白い影の心霊現象の目撃や怖い話の都市伝説が後を絶ちません!

平家の怨念が集まる場所との噂もあるようです。

行かれた際は、
忠盛塚の隣には民家もあったので、近隣の迷惑にならないようにしてください

 

撮影日:2023年12月29日

 

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