絶対に‼️大丈夫だ。かぁちゃん達。
どんな選択をしても、間違いじゃないよ。
だって、こんなわたしでも、
のほほんと生きてるよ。
…という、長文です。




「好きな人が出来ました。離婚して下さい。」
突然、元旦那にそんな事を言われ、頭真っ白。

わたしは、これからどうなるんだ?
娘ちゃんを、どう育てればいいんだ?

なんとなくだけど、自分が納得するまで、離婚届にサインはしない!、と、決めた。
(結果的に、これは、正解だった。

そこから、離婚したらとか、ひとり親家庭とか、損しない離婚の手続きとか、とにかくやたらと情報を集めた。

元旦那とも、話をしたが、全く聞いてはくれない。
泣いてすがったり
脅したり
自分の思いつくかぎりの事は言ったし、やった。
あ〜、ほんと、今思うと、かっちょ悪かったなぁ。

おそらく恋愛体質の元旦那は、すでに、離婚して、次の人と結婚する事しか、頭にない。

あやつの頭の中には、やり直す。
…なんて、選択肢は皆無だった。

でも、わたしだって、娘ちゃんがいて、離婚なんて、そんな、そんなこと…。と、思っていた。

元旦那の両親に、相談したら、すでに知っていて、本人が、「次の相手は…」と、話に来て、驚いた。とか、言っていた。
息子が戻ってくるまで待てないか?とか、息子が、浮気するのは、わたしにも責任がある、とか、言われた。(わたし、って、嫁、ね。
(この時点で、義理の両親も頭おかしいよね。

離婚カウンセラー、とか、いう人に会いにも行った。何故か、そのカウンセラーは、自分がいかに若くみられるか、ばっかり話をしていた。(義理の母と同じぐらい、と、言うと、どうやらビンゴだったようで、「なんで⁉️」と、詰め寄られた。

それでも、血迷っているわたしは、そのカウンセラーに、30万(だったと思う)払た。
払った途端、我に返り、「意味ねぇな、コイツに相談しても。30万、人生の勉強代や。」と、思い、一度も、相談しなかった。


わたしも、だんだん食べれない、眠れない、状態になった。(人生で初めて、食べれない、眠れない、を経験した。

どうやって、生活していたのか、全く覚えていない。
どうやって、娘ちゃんの保育所の送り迎えしていたのか、記憶にない。
どうやって、ご飯食べさせてたんだろう。
よくやってたな、と、自分を褒めよう。

パートで働いていたが、なんでこのタイミングかは知らんが、職場の体制が変わり、新しい仕事など、頭に入ってこない状態だったので、辞めた。

「落ち着くまで、ここに居たら、いいわよ。」と、言われ、義理の両親の家でしばらく過ごす。
なぜ、このチョイスをしたのか、自分でも謎だが、何もせず、上げ膳据え膳で、ぼーっと、させてもらった。

「ここにいても、何ともならん」と気が付き、自宅に戻る。

保育所の先生に、泣きながら、現状を話す。
(先生方、その節はありがとうございました。
(聞いてもらって、だいぶ落ち着いたように思います。

仕事してないと、保育所にいれない。
仕事をする為の勉強、でもいい、という話なので、なんとなーくネイリストの勉強をする。

美しい先生や、生徒さん達の影響で、エクステとか、つけちゃって、楽しかった。
ネイルすんの、楽しかったなぁ。
ネイルは、良い。
自分で見えるから、テンション上がる。
(介護職でも、ネイルできる方法ないのか?
(現在の職場では、不可です。

そうやって、半年ぐらい、もがいていると、
「離婚しても、いいか」ぐらいになってきた。
それでも、踏ん切りはつかない。

さらにもがいて、ぼーっとして、生きていると、
ふと「もういいや。離婚しよ。」という、気持ちになった。

で。

それを伝えず、義理の母にぜーんぶ出してもらって、ディズニー旅行に行った。
娘ちゃんは、アリスになり、フリフリの写真を撮ってもらい、ディズニーホテルに泊まった。

いくらかかったか、知らん。

それで、スッキリして、最後の話し合い。

養育費
慰謝料
もうこの段階で、全く信用は無いので、
公正証書に残す

一緒に公正役場に行き、提出

そこで、さようなら。

しばらくは、娘ちゃんの為に、会う機会を作りましたが、それも、数える程。

もう、何年も会ってません。

生きては、いるようです。
養育費(勝手に、半額にされたけど)は、忘れた頃に入金されます。

そこからは、ひとり親の試練です。

二人で暮らそうと、家を探すが、もう、話も聞いてくれないところが多かった。
唯一、親身になってくれたのは、エイブルさん。
(結局、実家に帰ることにしたが、大家さんに家賃の交渉してくれたり、有り難かった。
(家を借りるなら、エイブルです‼️

つぎは、仕事探し。
保育所のタイムリミットがあるので、頑張ってはいたが、見つからない。

いきなり、フルタイムとか、娘ちゃんが心配なので、無理。
でも、それなりに稼がないと、と、焦っていた。

仕事がない
仕事がない

これで、ひとり親って大変。というのが、インプットされた。

結局は、仕事見つかって、そこで出会ったメンバー、超個性的。いろんな人におんなー、自由やなぁー、と、今でも時々、遊んでもらっている

保育所の父兄とも、ちょっと関係が変わった。
それまで、見えていなかったものが、見えた、というか、見せてくれた。
(離婚したわたしを面白がってくれてたのかな。

わたしが、結婚しようが、子ども産もうが、離婚しようが、変わらない人は、変わらない。
当たり前に、わたしが居ることを受けとめてくれる人も、いる。






それから、月日が経ち、娘ちゃんも、立派な不登校児となりました。

わたしが、これから、どう生きるのか、今はそんな瞬間なのだと思います。

好きな事したらいいのよ。
自由に生きて、いいよ。
じゃあ、何する…。
「悩んでるかぁちゃん達に、大丈夫だよ。」って言いたい。

当時、一人でもがき苦しんでいたわたし。
わたしが、頑張らなきゃ、
わたしが、しっかりしなきゃ、
そんな風に思っていた。

そんな、わたしだからこそ、
いま、深い悩みを抱えているかぁちゃん達に言いたい。
話を聞いて、「大丈夫だよ」って、言いたい。
(自分が言って欲しかったんだなぁ、と、今は分かる。

こんなふうに思えたのは、
このタイミングで、不登校になった娘ちゃんと、
マスター同期、コバやアシスタントの先輩方、
どんな状況でも味方であるわが妹たち(父もか、
今まで出会ったいろんな人をおかげです。



まぁ、元旦那にも、感謝してやりますわぁ。
娘ちゃんがわたしのところにいるのは、奴のおかげですからぁ〜。