SHOGENさん最高 | 記録

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自分のため、書きたいときだけ日記をつけます

"いつもの"とは、おジャ魔女でいうドド的な妖精とでも思ってください

SHOGENさんという方を知った。
発端は私の敬愛するラランド・サーヤさんのスピ動画
だ。

サーヤさんは、あの現実主義マシマシな生き方からは想像もつかないほどスピリチュアル好きで、ラランドや個人のYouTubeチャンネルで度々スピリチュアルについて爆語りしている。
そのひとつ、2025年7月5日に天変地異が起こるという都市伝説(?)について語った動画にて、上記のSHOGENさんの話になったのだ。
 


SHOGENさんをざっくり説明すると、
「たまたま見たアフリカの絵画に衝撃を受け、突発的に仕事を辞めて単身アフリカに渡り現地の村に居候したところ、
そこで絵画を習うと同時に人生の真髄ともいうべき豊かさの本質に出会って、それを日本に広めている人」
ということになる。
怪しさプンプンなのだが、私のようなスピに耐性がある人間にとってはすんなり受け入れられる話だったりする。
なぜって、その「豊かな人生の本質」の内容が素晴らしいのだ。現代人、特に日本人が、数字と効率の山の向こうに置き去りにしてきた鮮やかな世界をまざまざと見せられる。



詳しくはぜひ本編を読んでいただきたいのだが(掛け値なしに一家に一冊&道徳の教科書に載せるべきと思っている)、特にここに書き留めておきたい言葉がある。

それは「歓喜する人間」だ。

ウン年の滞在中ずっと、SHOGENさんが村人から口を酸っぱくして言われ続けることは、
“作業として生きるのではなく、実感して喜びの中に生きろ”ということ。
私たちがごく日常的にする
「今日は何をする?」
「どこへ行く?」
「いつまでにあと何をしなければならない?」
という会話は、村の人に言わせると“作業の会話”で、そこには本人の心や感じたことは何も入っていないじゃないか、というのだ。

代わりに村人たちがするのは、
「それをしてどう感じた?」
「それはどんなふうに楽しかった?」
「それのどこに感動した?」
という、主観による"感情の会話"。

電気・水道などのライフラインをほぼ全て自然に頼って生きているこの村では、そもそも効率なんて求められるような環境ではないというのもあるのだろうが、それにしても効率とは無縁の考え方だ。
今の日本の会社で上司相手にやったら、怪訝な顔をされるか、運が悪ければ左遷対象になりそうなくらい、生産性がない。

でも、村人たちは心から自然に感謝し、隣人を愛し、自分を大切にして生きている。
この村では、「あとちょっとだから頑張ってやってしまおう」とか
「もっと早く」とか
「人に迷惑をかけてはいけない」とか
「ちゃんとしなきゃ」とか、
そういった考えそのものをタブー視するとのこと。

マザーテレサの名言 “大切なのは、どれだけのことをしたかよりも、どれだけ心を込めたかです” という言葉が、ここにきてじんと沁みてくる。



そして村長さんが言うには、この考え方はシャーマンだった村長の祖父が、夢の中で当時の日本人(江戸時代)と交信し、日本人から教わった考え方だという。
怪しさ100億点。
でも、確かに当時、諸外国人が江戸時代の日本について書き記した書物には、日本人の素晴らしさと幸福指数の高さについて必ず言及されている。歴史に疎い私が教科書で読んだ記憶があるくらいだから、多分当時はほんとうにみんな楽しく幸せに暮らしていたのだろう。
明治維新後、物質的には圧倒的に豊かになった私たちが、なぜいまいち幸せを実感できず、なんとなく周りと自分を比べてしまうかというと、“江戸時代っぽさ“を失くしてしまったから。
そしてそれが具体的にどんな様子だったのかが、ひょんなことから江戸時代と同じような生活環境の村に受け継がれ、そこで人々が実践している様子を見て、今度は現代の私たちが逆輸入の形で学ぶ。なんだか妙に納得感があるのだ。


というかもはや、江戸時代うんぬんが作り話かどうかなんてどうでもいい。
現在の日本人が失って久しい大切なものを、この村は教えてくれている。
 

で、この“主観を超大事にする”という生き方は、私が今まで実践しようとしてきた生き方そのもの。
そして、私の大好きな書籍たち
「愛のコーヒーカップ」
「西の魔女が死んだ」
「私、ちゃんとしなきゃから卒業する本」
「年収90万円で東京ハッピーライフ」
等々の根幹を成す価値観だ。

この日本に生きていると、たった1日会社に行っただけで従来の“生産性ありき”の価値観に戻ってしまって、
日々“いかに主観に戻すか” “いかに感覚重視に戻す
か”に意識を割くことになるけれど、
SHOGENさんの本もまた、私を“元に戻す”のに大いに役立ってくれそう。
良い本に巡り合えてよかった。




あとひとつ。
SHOGENさんは日本に帰国した当初、出版社に対して全くなんのコネもなかった。
にもかかわらず、あっさり単行本として仕上がり、大手出版社から出版され、それが口コミで広がりいまや書店の店頭で平積みされるまでに至った。
普通に考えればあり得ないことだ。

無名のSHOUGENさんに出版の道を拓いたのはただひとつ、かの有名なひすいこたろうさんが彼の話に賛同したこと。
で、その賛同はどうやって得られたかといえば、
アフリカの話を伝えたくて伝えたくてしょうがなかったSHOUGENさんが、出会った人に手当たり次第に「僕の話を聞いてください」と話しかけ続けていて、
たまたまとある温泉宿で温泉に浸かっていた時に話しかけたのが、プライベートで友達と温泉に来ていたひすいさんだったというわけだ。
神様ってすごい。



この話から学ぶべきは、表面的にはたとえどんなに無理そうに思えたとしても、必要なものは必要なタイミングで必ずもたらされるということ。
そしてそれがもたらされるまで、やりたいことをやり続けるという行動が肝ということだ。
「求めよ、さらば与えられん」は、欲望全開講座であさぎさんがいつもいつも繰り返し言う内容。

最近の諸々が、数珠つながりになってきた実感のある体験だった。