官僚たちの夏 (新潮文庫)

新潮社()
¥ 580
[3]名著だが(2009-07-19)
紛れもなく名著である。組織、人材、戦略、いろいろな面でのダイナミックな動きを描き、多くのサラリーマンや官僚だちが、本書に勇気付けられて社会に飛び出していったことだろう。また、今読んでも十分学ぶ点は多い。しかし、なぜ今この本なのだろう?逆に言うと、この本を超える存在が少ないということだろうか。。。
[5]高度成長期の暑かった時代(2009-06-25)
面白かった。官僚らしくない、日本の将来を案ずる熱い主人公を中心に、通産相からみた行政と政治の実態を学べる良書。

政治家におもねる、いわゆる官僚のイメージとは遠い主人公は人望があり、有能な後輩達と一丸となって行政の改革を目指す。天下国家のために行政を考える主人公は、無定量・無制限に仕事に向かう後輩を愛する。

時代は高度成長期の昭和。通産相が熱かった時代の、現代の歴史小説である。ストーリー展開に引き込まれながらも、省庁の機構の知識も自然と得られる。次官、局長などが自然と分かる。

天下国家を考えるなど普段は関係ないが、なるほどと考えさせられることが多い。たとえ日本の秀才を集めたエリート集団にとっても、天下国家を動かすのは簡単なことではない。だから、偉大な政治家や革命家は、常人のスケールで図れるものではないのだ、と改めて感じた。

このとき城山氏が予測した方向と、今の日本は、どのくらい合っているのだろう。今の時点から見ても、決して古びてはいないのに驚く。
[3]今は無きダンディズム(2009-06-08)
金、名誉ではなく、天下国家のために自己を滅し仕事することに生きがいと天命を感じ
官僚という仕事に全人生をつぎ込んだ男たちが、悲哀とともに描かれている。
今の時代には、もはやお目にかかれないダンディズムである。
頑張ったのに報われない、特攻隊のように次々と自沈していくラストに
読後感が今ひとつ。読者に一縷の希望を与えるラストであって欲しかった。
[5]一つの時代の終わり(2009-05-03)
うちの大学の某有名教授が講義で紹介していたので読んでみた。

舞台は高度経済成長期の通産省。一人の個性的な通産官僚にスポットライトを当て、日本を背負っているという自負心のもと、それこそ身を粉にして天下のために働いていた男たちの熱い闘いと挫折を描いている。

この時代は戦後から15年ほどが経ち、日本が急激な経済発展を遂げ、貧しい敗戦国から一気に世界と肩を並べる経済大国へと変貌する時期である。その中で通産省は成長を続ける日本市場を狙う外資から、まだまだ貧弱な国内産業を庇護しそれと戦えるまで育成せねばならないという使命感に燃えていた。

この小説を読んでいると、今の経産省権限に特に明るいわけではないが、これほどまでに強力な指導権限が通産省に与えられていたことには驚かされる。許認可権や政府系金融を駆使し、官僚主導で日本の産業を理想の形につくりかえていこうとしたのである。そのためには彼らは『無定量・無際限』に働くことを厭わなかった。

しかし、皮肉なことに彼らが強力に育て上げてしまった日本経済は逆に彼らを必要としなくなってしまった。主人公が掲げる理想の集大成である振興法は廃案となり、彼らががむしゃらに駆け抜けた夏は過ぎ去ってしまう。

彼らの時代の官僚主導経済は過去のものになってしまって久しいが、ここ最近は事情も違うようだ。うちの教授がこの本を紹介したのもそれが理由だ。ここ最近の日本経済の打たれ弱さは、輸出に頼り切る産業構造を改革しなかったことに主因があると言われている。そこで、新たな成長産業を官の指導と保護によって育成する時代に差し掛かるかもしれないということだ。代替エネルギーなのかバイオ産業なのか何なのかはわからないが。

歴史は繰り返すといったところか。
しかし今の時代、彼らのように日本かくあるべしという理想のもとに身を賭して働く者が何人いるだろうか。

官僚志望の人もそうでない人も読んでおいて損はない。こんな働き方もあるということ。
[5]経済大国日本の基礎(2009-03-18)
本書はまだまだ戦後の混乱期の未熟な日本を近年の経済大国日本に導いた通産省の官僚のドキュメントです。良くも悪くも日本独特の護送戦方式の原型を造ったのはこの通産官僚たちの努力の賜で、逆にそれが近年欧米から叩かれ、金融ビッグバンへとつながる原因となったのですが…。当時の日本には「日本の為に」という意気に感じる人物が数多くいたことがうかがえます。そんな人々によってつくられた経済大国日本ですが、最近の官僚や政治家を見ていると今後の日本がすごく心配になってきます。
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

新潮社()
¥ 580
[4]全体的に緩やか。(2009-06-14)
上巻と同じペースで緩やかにストーリーは進み、緩やかにトーンは下がる。
細部の描写は比喩も含めて上質ではないが、かと言って飽きる程でもない。
徐々に終熄というか、収束に向かい、最終的にハッピー過ぎずアンハッピー過ぎない終幕。
レビュアー自身、下手に結論を急いだ物語の終わりが好きでないので、この終わりは好きな部類。
全体的にのっぺりとしていて、前半・後半とも感想としては変わらない。
[5]幻想的な現実感(2009-04-18)
村上作品はノルウェイの森以来2作目。
ハイテンポで現実的なハードボイルドワンダーランドと
ローテンポで幻想的な世界の終わり

その相反する二つの世界が繋がり重なり合う。

「私」が使うことが出来るシャフリングという能力に隠された謎。そのキーである「世界の終わり」という言葉。突如手にする事になる一角獣の頭骨。計算士と記号士。やみくろという謎の種族。システムとファクトリー。太った女とリファレンス係の胃拡張の女。そして博士。

「僕」が訪れた「世界の終わり」という街。心を持たないが故に穏やかな永遠の日々を暮らし続ける人々。「僕」の記憶の大半を持つ引き剥がされた「僕」の影。街に住む一角獣。古い夢と呼ばれる一角獣たちの頭角。夢読みである「僕」の手伝いをする図書館の女の子のなくしてしまったはずの心。「僕」の影の脱走計画。

全ての謎が優しく、それでいて複雑に絡み合い二つの世界は除々に重なってゆく。
本当にいい作品に出会えた。
[5]村上春樹からの壮大なメッセージ(2009-03-31)
世界から脱出しようとする「世界の終わり」の「僕」と、世界から消滅しようする「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」。二つの異なる世界は次第にシンクロしながらもそれぞれの結末へと歩を進め、それは誰にも止める事はできない。村上春樹の谷崎賞受賞作、堂々の完結!
自らの意思とは無関係に不条理に翻弄される「僕」と「私」。一貫して繰り返される世界における己の存在に対する問答、そして、逆境に立たされた人間の絶望…。
巧みなのは、理不尽や悲哀を下地にしながらも、「世界の終わり」の詩情に満ちた情景や、「ハードボイルド・ワンダーランド」の軽快さと哲学を織り混ぜた躍動というギミック。深甚なるテーマを扱いながらも、著者の衒学趣味やアイロニカルなレトリックの挿入で、肩肘を張らずに読ませる手法は、大いなるを実験性を秘めた文学の挑戦であって、まさに、喪失の文学たる村上春樹作品の王道と呼ぶにふさわしい意欲作だ。
ラストでの「僕」と「私」の選択は実に対極的である。共に世界に弄ばれながらも、宿命に対して、抗う「僕」と、従う「私」。充足への疑念と喪失への達観という対極的な二人の主人公の対応は、人がアプリオリとして持つ「意思」という名の原罪のメタファーでもある。
アイデンティティーを保て、そして、自我に忠実であれ。そんな村上春樹の投げ掛けるテーゼに、読み手は射抜かれる事なる。
真に高尚なる文学は、作品としてアーティスティックたる事、かつ、読み物として満足できる事。だが、現実には万巻の書の中でも、この条件をクリアできるものは稀少なのが実状。故に、現代の日本文学において、この作品はまさに、至宝といえるのだ。
これは、不死という幻想を通して、人間の魂を描く、破格の物語だ。
[5]何時の時代もBobDylanはいい(2009-02-04)
 1985年(昭和60年)にオリジナルが出た本書は、平成20年を過ぎた今も面白く読むことがきる。
パラレル・ワールドを描く本書は、「カフカ」の先駆けのようなものだけに興味深いが、それにしても、当時は"Positive Fourth Street" "Watching the River Flow" "Menphis Blues Again" そして「激しい雨」が一本に収まったテープがあったんだなあ。
[3]食べ物、音楽が・・・(2008-10-13)
村上春樹初期4部作、他4冊ほど読んでそれなりに面白かったので今回この世界の終わりとハードボイルドワンダーランド
を読んで見たのだが、
食べ物、音楽の曲名がこまごまと書かれていてうざったく感じた。
食べ物、音楽に関しては村上氏の小説の手法ではあるが他の作品では、
あまり感じなかったが今回は特にうざったく感じた。食べ物、音楽でなければその時の感覚を表現できないのだろうか?
その食べ物、曲を知らない人には何も意味をなさないのではないか?
村上氏は読者が皆自分と同じように食べ物、曲を知っていると思って
いるのだろうか?
この小説を読んでいて村上氏にちょっと失望した。



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IN

集英社()
¥ 1,575
[5]登場人物の潔さが桐野作品の魅力(2009-06-11)
桐野夏生さんの本は全て買っていますし、OUTは何十回と読んだ作品だったのですぐさまINを本屋に飛んで買いに行きました! 読んでみて、OUTとは全く違う作品ですが私は大好きな作品になりました。INもきっとまた何十回も読み返すでしょう。桐野夏生さんはとても美人なので不倫経験者ですよね?きっと結婚後何回も素敵な恋愛をされてるんだと思いました。桐野夏生さん最高です!
[5]残された言葉が人を狂わせるのか(2009-06-06)
「淫」という小説を書こうとしている小説家タマキと、既に発表された『無垢人』という小説が、作家の本性である冷たい視線と、破滅と分かっていても突き進まずにはいられない激しい恋愛を交差しながら物語が進む。
果たせなかった恋愛は、魂の死骸を作ったに違いないと考えるタマキ。
そのタマキが調査するのは、現実を切り崩すほどの虚構である『無垢人』のモデルとなった人であり、タマキの抹殺している過去の恋愛もが蘇っていく。
恥ずかしいなど思いもしない、他人の存在自体が意識に入ってこない恋愛。
時間の経過とともに腐敗していく恋愛。
消えて無くなる恋愛が、小説家の手にかかることで残されてしまう。
魂を奪う恋愛と小説が交差しながら、内面を深くえぐってゆくこの作品。
一度だけでなく、何度も読み噛み砕きたい読み応えがある。

[4]著者らしいダークさ!(2009-05-28)
小説家鈴木タマキは『淫』という小説を書こうとしている。そのテーマは、恋愛における「抹殺」である。ここうでいう抹殺とは、死を意味するのではない。自分の都合で相手と関係を断ち相手の心を殺すことである。その小説の主人公は、緑川未来男が書いた『無垢人』の中に登場して著者の愛人と噂されている◯子である。タマキは、◯子に関する情報を集める中で以前付き合っていた阿部青司との関係を鑑みる。

☆なんとも言えずにダークな世界。桐野さんらしいドロドロした毒がある。☆戸籍上の正式な夫婦と不倫関係のカップルが、対比するかのように描かれている。☆でも…、それは正式に認められているかいないかにすぎない…。男女の関係は、そんな物では割切れない。愛し合う事に表も裏の関係もない。愛していた人が居なくなっても愛していた事や悲しかったことそして憎しみが消えることはまずないのだと思った。
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ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 ハリー・ポッターシリーズ第五巻 上下巻2冊セット(5)

静山社(2004-09-01)
¥ 4,200
[4]おもしろいと思いました。(2008-09-27)
まだ、5作目までしか読んでませんが、
内容は1番おもしろかったです。

読んでいて、ハリーの性格の悪さに対してはイライラしました・・・。

気になったのは、
1作目などは完全に“子供向け”といった感じだったのに、
今作では特に、文章の表現(翻訳が問題?)が、
子供向けではなくなっているような気がしました。

文章表現だけじゃなく、内容も子供向けとはいえないかな?

作者(翻訳者?)が、
読者の対象をどの辺りに定めているのかが全くわかりません。

文字を大きくしたり、文字の種類を変えたりしているのを見ると、
文章との違和感があるため、物語に入り込むことはできませんでした。
(1作目では「なかなかおもしろい書き方だな」と思えたんですが・・・。)

作品を通して見たとき、
全体的に“ブレ”が出てきてるといえるかも知れません。

評価としては星4つです。
[1]だるかった(2008-09-16)
1巻から流れるように読んでいたのに、この巻に来ていきなりスピードダウン。この巻では、思春期、成長期のゆれる心理状態や、安全地帯だったはずのホグワーツという環境が目まぐるしく変わる中で一生懸命にもがき、反骨精神を磨きながら成長していくことを示したかったのかも知れませんが、・・なにしろ長い。なにしろ、くどい!話の構成上必要なの?っていうほどくどくどと繰り返される嫌がらせと、ハリーの癇癪。苛々しながら読むだけの本でしかなかったです。冒険というには、前置きがながすぎて、わくわくさせられる前に苛々させられているだけのような気がします。ハリーの癇癪とハーマイオニーとロンのケンカ、三人のケンカ、繰り返し繰り返し、どの章でも必ず出てくると言うくらいで、読んでるこちらが苛々して来ちゃいました。アンブルドアの言い分も、頷けないものもありましたしね・・。
[3]とにかく長い…(2008-08-29)
映画を先に見て、話が不明だったので、原作を読むことにやっと腰を上げました。1巻~ずっと原作は読んでいますが、やっぱりローリング氏の特徴で、とにかく前置きが長い!上は読むのにやたら時間がかかりました。思春期のハリーの心理描写など、こと細かく書きたい気持ちも分からないではないですが、一応児童書向け本としているなら、これだけの長さは要らないと思う。
それに、言葉表現が難しく、フリガナを振っていなければ読めないような言葉ばかりで無意味に難しい。訳者はもっと解りやすい言葉を選べなかったのでしょうか…?

全体を通しての話自体は面白かったと言えるでしょうが、終盤のダンブルドアの告白で、もっとびっくり仰天するようなものかと思いきや、私には「えっ… 結局何?!」と言いたくなるように空振りでした。次巻も購入済みなので、すぐにでも続きが読み出せる状態ではありますが、次に行く前に、何か別の小説が読みたくなりました。
[4]冗長なところもあるが(2008-08-03)
やはり面白いです。
作者は嫌な奴書かせるとほんとにうまい。
アンブリッジの嫌な奴っぷりはすごい。
そんなアンブリッジに対抗してくハリーの反骨精神にあっぱれといいたい。
15歳のハリーと周りの友達の成長物語として、傷つき悩むところまで含めて
とても面白かった。

一方、全般を通じて思っていたことですが、学校内の日常を描かせたら最高の作者の筆も
アクションシーンの描き方がいま一つかな、と。

アクションが映像として頭に入ってこないし、急に戦闘に決着がつくし、戦闘が終わったあとのシーンも短すぎるなど、やや不満がありました。
アクションに関しては、映画の方に軍配があがります。
[2]嫌味なハリー(2008-01-06)
キャラクターのよい扱いと深いストーリーを期待する方にはお勧め出来ない。ハリーポッターのシリーズが好きな方はがっかりするのでは。
単純な登場人物の扱いと設定に驚いた。まるで深みがない。悪い人はやっぱり悪い人。いい人はやっぱり良い人。読んでいて呆れてしまった。
前作から違和感があったが、それは主人公のハリーの性格の変化。第一作目のハリーの控え目な部分がみえない。だんだん傲慢で目立ちたがりやにしか見えなくなった。読んでいて不快だった。これが思春期の少年の模様をかいたものだとしても、受け付けない。
初期の頃にあったワクワクするような気持ちも感じず、登場人物への感情移入も出来ない。正直ストーリーが薄っぺらい。

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終末のフール (集英社文庫)

集英社()
¥ 660
[4]人の本質に迫る(2009-07-18)
3年後に小惑星の衝突により、人類滅亡の危機が迫る。

実際にこのシチュエ-ションにいたったとき、自分がどのような心理で、どのような行動に出るのか?想像ができません。

言い換えると、生きることの意味をなくし、仕事や社会貢献の責務から開放されたとき、人は(いろいろな立場のなかで)なにを求め、どう生きるのか(死ぬのか)

死期を知らされた人が、自分の人生をどう総括するのか?を問いかけているのかもしれません。

あと3年の世界に新しい命を誕生させるのか?
完遂していない夢を実現させるのか?
社会に貢献するのか?

おる意味、その人の本質が問われる中で、ポジティブに生きるのか、ネガティブに生きるのか?
とても、興味深い作品です。
[1]あと数年後に地球が滅びるとしたら(2009-07-16)
あと数年後に地球が滅びるとしたら・・・。そんなテーマで書かれた短編集。短編集でありながら、登場人物同士が微妙につながっている。
死を意識しながら生きていく人々を様々な立場から描いている。
井坂幸太郎の作品としては平凡すぎるかも。少しガッカリ。
[1]無理してまで出すべき作品ではないだろう(2009-07-13)
初出は『小説すばる』2004年2月号~2005年11月号、単行本は2006年3月30日リリース。3年後に隕石が地球に衝突して最後の日を迎える、ということが前提になった短編8編からなる。色々な小説手法を実験的に試している感がある最近の伊坂幸太郎の作品の中でも飛び抜けて設定が映画的(あるいはSF的)な作品である。

時間軸をずらしながら並列的に登場人物を動かし、魅力的な会話で作品構成することが得意な作家が、時間軸を意図的に3年後で終了と決定し、終末期に人間はどう行動するのかを描く、というのはある意味、自分の持ち球を全部封じ手にして、利き腕でない方の腕で投げるピッチャーのような状態ではないだろうか。実際、この連作集はそういう結果に終わってしまっているようにぼくには感じられた。つまり、いつもの伊坂作品のノリがないのだ。

題材も『砂漠』の取材で使ったネタを再利用したりと気に入らない部分が多い。伊坂幸太郎唯一の駄作で、無理してまで出すべき作品ではないだろう、と思う。本屋大賞第4位は納得いかない。
[4]フィクションのルール(2009-07-12)
今の時代にぴったりだと思った。
各篇の主人公達は沢山泣いたんだろーし割と冷静に動向を見つめているけど、生きてる。多分消滅するときも誰といるのかが思い描ける、それまで生きてる、それが嬉しい。
[2]地球滅亡を"免罪符"にした凡作(2009-07-08)
小惑星の衝突のため、三年後に地球滅亡を控えた時代を舞台に、様々な人間模様を綴った連作短編集。こうしたSF的設定では、逆に作者の現実把握力が問われる所だが、虚しい結果に終った。作者が、"地球滅亡"を余りにも安易に捉えており、登場人物達の言動は現実味に欠け、地球滅亡を単に作品構成上の"免罪符"にしているとしか思えなかった。

父と娘が和解するための免罪符。子供を産む決心をするための免罪符。妹の仇を許すための免罪符。乙女がメルヘンの世界に浸るための免罪符。泰然自若とした男の中の男の存在を誇示するための免罪符。宇宙オタク(科学的にかなり正しい事を喋っている)のオカシサを浮き彫りにするための免罪符。家族ゴッコを描くための免罪符。そして最後に取って付けたように、生きる事の意味を問い掛けるラスト。

作者の特徴は、「生きて行く上での希望を爽やかに描く」事にあると思うが、そもそも"地球滅亡"をそのための"盾"に選ぶ必然性が全く感じられない。どの作品も、地球滅亡なしでも書けるテーマであり、構想倒れの感を強く抱かせる。地球終末を軽々しく扱うこの内容は、作者の見識不足としか言いようがない。伊坂作品の中では一番の凡作ではないか。

万が一、本作に興味を持たれた方はR.ミュラー「恐竜はネメシスを見たか」を読んでみるのも一興だろう。
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モモ (岩波少年文庫(127))

岩波書店()
¥ 840
[5]大人になると別の形で心にしみるかもね。(2009-02-01)
ある本を探して本屋さんをブラブラしていた際、
たまたまカートに置かれていたこの本を見つけました。
小学生のころに、面白い本と有名だったな。
そんなふうに思いながら、
目的の本も買わずに思わず衝動買いしてしまいました。

有名だっただけに話の内容はネタばれで、
小学生のころはスルーして読まなかったのもこの本です。
たまたま手に取って読みましたが、
うわさ通りの内容ですね。大満足です。

子供でも十分に内容理解できると思いますが、
大人になってから読むと、また違うものを感じられるのでは。
個人的には、「時間は心で感じるもの」という考え方に
一番グッときました。

読み終わって間もないうちに再び開き、
何度も読み返しています。
何回読みなおしても飽きないのが不思議で、嬉しいですね。
読むたびに心休まる一冊です。

[4]児童文学ということで…(2009-01-26)
子どもでも楽しめると思いますが、
忙しい大人の方に読んでいただきたい物語です。

「忙しいのに本なんか読んでられるか!」
と思う人の方が考えさせられる事が多いのではないでしょうか。

残念なのは、
「児童文学」ということもあり、
平仮名が普通の本よりも多く、
少し読みにくいということです。

読んでいて、
テンポが出にくかったです。

「テンポが出にくい」と感じている、
自分自身の感覚自体を変える必要があるのかも知れませんが。

「時間」というものについて考えさせられる物語でした。

評価は、星4つです。
[5]レヴューというより、雑感ですが、(2009-01-24)
 柄にもなく、美しい描写から紹介したい。
 魔法の鏡はね、ひとりでのぞきこんだ人間から永遠のいのちをうばうだけなんだ。ふたりしてのぞけば、また死なないようになるんだよ。(中略)モモとジジはしずかにならんで、長いあいだじっと月を見つめました。こうして月を見ているかぎり、ふたりは永遠に死ぬことはないと、つよく感じていたのです。
 寺山修司は書いた。とりはとりでも飛べないとりは、なぁんだ?――それは、ひとり、というとりだ、と。人は一人では飛べない、けれど、二人なら飛べる、寺山はそう考えていたのだろうか? 
 この本の巻末に、佐々木田鶴子という人が、エンデとの思い出を回想している。これによると、「エンデ自身は書物を通じて東洋に関心があった」らしい。とすれば、やはり、可能性はあるかもしれない、と私は考えた。
 というのは、こういうことだ。私が注目したのは、エンデを異世界に連れていく役目を果たすのが、一匹のカメである、という点である。そして、その異世界は、〈時間〉と深く関わっている。異世界とカメと〈時間〉。三つを結びつけて浮かび上がってくるのは、日本の昔話、「浦島太郎」だ。つまり私は、エンデは、「浦島太郎」を意識しながら「モモ」を書いたのではないか、と考えたのである。
 〈モモ〉という名前も気になる。ひょっとしたらエンデは、日本の昔話「桃太郎」から、〈モモ〉という名を思いついたのではないか。〈モモ〉が〈時間どろぼう〉たちをやっつける話として、物語「モモ」が読めるとすれば。――そんなわけ、ないか。
 行き場を失った子供たちは、〈子供の家〉で、大人の言う〈役に立つ〉遊びをやらされる。子どもたちは、大人が教えなくても、空き箱の二つ三つがあれば、いつでも、冒険の航海に出ることができる。子供たちが自由に空想の翼をはばたかせるができる環境づくりこそが、子供たちにとっては、本当の意味で、〈役に立つ〉ことになるはずだ。どこを見渡しても同じ道路、同じ建物、同じ服、同じ考え、同じしゃべり方、同じ歩き方、なんだか、顔までそっくりに見えてくる。そんなの、いやじゃありませんか。エンデに、そう言われているような気がした。
 引用はしないが、ラストの描写が、とても、美しい。ぜひ、手にとってご確認のほどを。
 附記。この本の冒頭に、アイルランドに伝わる歌が載っている。私の勝手なイメージでは、アイルランドと言えば、ケルト信仰が思い浮かぶ。あるいは、エンデは、ケルト信仰も意識していたかもしれない。
[5]「残業依存症」から立ち直った、今の読後感(2008-11-18)
何人かの方が書いているのと同じように
子どもの頃は、誤解からずっと敬遠してました。
優等生の読書感想文御用達っぽかったし、
その感想からは、スローライフ的説教臭さも感じたし…

体調悪化と、我が子の出産に先立って、残業まみれの生活から足を洗い
(このご時世、かなりの勇気が必要でしたが)
ちょっぴりできた心のゆとりに、好きだった読書を再開した矢先、
文庫化にともない訳が新しくなったと知って読みました…

…本当に良いタイミングで出会いました。
子ども向けのファンタジーではありますが
私にとってはファンタジーとは思えないリアルさを感じました。
エンデすごいです。

もちろん、現実の社会にはモモのような
自分の代わりに、灰色の男たちから時間を取り返してくれる人はいません。
そこで、自分にとっての「人生の価値」を決め、せまり来る「時間どろぼう」と
実際に戦うのは自分自身なわけですが。

自分に科せられた仕事が1日に100だとしたら
「1日に120済ませれば、あとがラクになる」などと、誰もが一度は考えるはず。
でも現実には、翌日にもやっぱり仕事は100あって
永遠にラクにはならずに一生を終えてしまうんじゃないでしょうか…?

100の仕事を一生懸命やって、早めにその日の仕事を終える。
残りの時間は自分や家族のためにつかう。

それが実践できれば、この本の本当の面白さが味わえると思います。
大人こそ、ぜひ。
[5]小学生ではじめて読み(2008-11-04)

モモをはじめて読んだ小学5年生の時、これ以上無いほどのスリルを味わいました。まだ難しい本は読めない年頃でしたが、特に行き詰まることなくすらすらと読め、話の内容も掴みやすいものでした。

細い糸がはったような緊迫感を強く感じ手に汗が浮かぶほど胸が高鳴ったのをよく覚えています。

中学生になってからまた読んだときにはまた違った見方が出来ました。風刺された現代の流れや畳み掛けるような文、こまやかで美しい独特の世界観、無色でさびしい町の描写……どれも他とは違う素晴らしさに新たな発見など。

いくつになっても楽しめる作品ではないでしょうか。
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