国連からの脱退の世界史について

 

国連憲章には、加盟国が脱退するための明示的な規定はありません。これは、かつての国際連盟が主要国の脱退によって弱体化した反省を踏まえたものです。そのため、正式に国連から脱退した国は存在しません

しかし、歴史上、国連との関係において特筆すべき事例がいくつかあります。

  • インドネシアの活動停止 (1965-1966年): インドネシアは、マレーシアが国連安全保障理事会の非常任理事国に選出されたことに抗議し、1965年に国連からの脱退を通告しました。しかし、実際には約1年後に国連への協力を再開し、正式な脱退とは見なされていません。この事例は、脱退という手段が国際的な影響力を得るための外交的なカードとして用いられる可能性を示唆しています。
  • 中華民国(台湾)の地位: 中国内戦後、中国の国連における代表権は中華人民共和国に移りました。これにより、中華民国(台湾)は国連の議席を失いました。これは、脱退とは異なりますが、国際的な承認と国連における地位が政治情勢によって大きく左右される例と言えます。
  • 専門機関からの脱退: 国連の主要機関からの脱退ではありませんが、一部の国が特定の国連専門機関から脱退した例はあります。最近では、2025年5月にニカラグアがユネスコ(国際連合教育科学文化機関)からの脱退を表明しました。これは、ユネスコがニカラグアの新聞に報道の自由賞を授与したことへの抗議とされています。
  • 提案された脱退: アメリカ合衆国など、一部の国では国連からの脱退を主張する意見も存在します。しかし、現在まで実際に脱退する動きには至っていません。これらの主張の背景には、国連の活動や特定の決議に対する不満、あるいは国家主権の重視といった要因があります。

このように、国連からの「脱退」という言葉が意味する内容は、正式な手続きが存在しないため、文脈によって異なります。国連からの完全な離脱を試みた例は稀であり、多くの場合、国際政治や特定の国連機関の活動に対する意見表明として行われています。