錯誤と詐欺(モロッコ契約法の視点)

本節では、契約意思の瑕疵のうち、錯誤(الغلط)と詐欺(التدليس)について詳しく考察する。


第一:錯誤(الغلط)

モロッコの**「債務及び契約法(قانون الالتزامات والعقود)」では、錯誤について第40条から第45条**で規定されており、以下の5つの種類が認められている。

  1. 法律に関する錯誤(الغلط في القانون)
    • 契約当事者が適用される法律の内容を誤認している場合。
  2. 目的物に関する錯誤(الغلط في الشيء)
    • 契約の対象となる物の本質や性質に関して誤認があった場合。
  3. 相手方に関する錯誤(الغلط في شخص المتعاقد)
    • 契約相手の身元や資格を誤認していた場合。
  4. 仲介者による錯誤(الغلط الواقع من الوسيط)
    • 契約の仲介者が当事者に誤った情報を提供した場合。
  5. 計算上の錯誤(الغلط في الحساب)
    • 金額の誤算や計算ミスがあった場合。

これらの錯誤のうち、契約の本質に影響を与えるものは「重要な錯誤(الغلط المؤثر)」とされ、当該契約の無効理由となる。すなわち、当事者が錯誤に基づいて契約を締結した場合、その意思は瑕疵があるとみなされ、契約は無効または取り消し可能となる。


第二:詐欺(التدليس)

モロッコ契約法では、詐欺(التدليس)について第52条および第53条で規定されている。これは、フランス民法の影響を受けた規定であり、詐欺による契約の無効要件が定められている。

詐欺の定義

詐欺とは、相手方を欺く目的で、偽装・誤導・虚偽の手段を用いて、契約を締結させる行為である。

  • 法学者**マアムーン・カズブリ(مأمون الكزبري)**は、詐欺を次のように定義している。

    「詐欺とは、欺瞞行為を用いて相手を錯誤に陥れ、それによって契約を締結させることである。」

詐欺が認められるための要件

詐欺により契約を無効にするためには、以下の要件を満たす必要がある。

  1. 欺瞞行為の存在(استعمال المدلس وسائل احتيالية لتضليل المدلس عليه)
    • 契約相手を騙すための偽装・虚偽の手段が用いられていること。
  2. 詐欺行為が契約締結の決定要因であること(كون هذه الوسائل الاحتيالية هي التي دفعت المدلس عليه إلى التعاقد)
    • 当該詐欺行為がなければ、契約当事者は契約を締結しなかったと認められる場合。
  3. 詐欺行為が契約相手または第三者によって行われたこと(صدور التدليس عن المتعاقد الآخر أو كونه على علم بها)
    • 詐欺を行った者が契約当事者本人、もしくはその関与を知りながら便乗した第三者であること。

詐欺が認定されると、該当する契約は取り消し可能となり、被害者は契約の無効を主張することができる。


まとめ

モロッコ契約法では、錯誤と詐欺の規定はフランス民法の影響を受けつつも、当事者の意思の保護を重視する形で規定されている。特に、錯誤に関しては5つの類型が明確に示されており、詐欺に関しては契約締結の決定要因としての影響が重要視される。

 

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マアムーン・カズブリ(مأمون الكزبري, Maamoun Kabbaj Kazbari)は、モロッコの著名な法学者・法律家であり、特に民法・契約法に関する研究で知られています。彼はフランス民法の影響を受けた**モロッコの「債務及び契約法(قانون الالتزامات والعقود)」**の解釈・適用について、多くの法学的分析を行いました。

カズブリの著作としては、以下のようなものが挙げられます。

  1. "نظرية الالتزامات والعقود في القانون المغربي"(モロッコ法における債務および契約の理論)
    • モロッコ契約法の主要な概念や原則について詳細に分析した重要な文献です。
  2. "التحفيظ العقاري والحقوق العينية الأصلية والتبعية"(不動産登記および物権法)
    • モロッコの不動産登記制度および物権に関する解説書。
  3. "القانون المدني المغربي في ضوء الفقه والقضاء"(モロッコ民法:法理と判例の観点から)
    • モロッコ民法の解釈に関する詳細な研究書。

彼の研究は、フランス民法イスラム法(マリキ学派)の影響を受けたモロッコの法律体系の調和に焦点を当てており、特に契約法、債務法、物権法の分野で現在も参照される重要な法学者の一人です。