モロッコにおける協同組合の制度が植民地時代から独立後にかけてどのように発展してきたかを解説しています。以下、その背景や意図について詳しく解説します。


1. 植民地時代における協同組合の排他性

  • 植民地支配下での制限
    当初、協同組合制度は主にフランス人やヨーロッパ出身の植民地支配者を対象として設立されており、モロッコ人には設立や参加が認められていませんでした。
    これは、植民地当局がモロッコの現地住民の経済的独立や団結を防ぐために意図的に設けた制限であり、経済的な主導権をフランス人が握り続けるための政策でした。

  • 1937年以降の変化
    政治的・経済的な状況の変化を受けて、モロッコ人にも協同組合の設立と参加が徐々に認められるようになりました。これは、当局がモロッコ社会の不満を和らげると同時に、農村部での経済危機に対処するための現実的な対応でした。


2. 変化をもたらした背景

  • 政治的背景
    植民地支配下のモロッコでは、1930年代以降、国民運動(特に「モロッコ国民改革要求書」)が台頭し、フランス当局に対して自治や改革を求める声が高まりました。このような政治的緊張を緩和するために、フランス当局は協同組合の設立を許可するなどの妥協策を講じました。

  • 経済的背景
    1937年の干ばつによって、モロッコの農村地域では深刻な物資不足が発生しました。これにより、モロッコ国内の需要を満たすための原材料が不足し、フランス当局は協同組合を通じて資源の効率的な管理や貯蔵を促進する必要に迫られました。結果として、協同組合制度をモロッコ人にも開放せざるを得なくなりました。


3. 独立後の展開

  • 政府の積極的な関与
    モロッコが独立した後、政府は農業や農村部の発展を目的として協同組合を公共政策の柱の一つに据えました。この結果、協同組合の数は著しく増加し、農業分野を中心に経済の活性化に寄与しました。協同組合が地方経済の基盤として機能し始めたことも、この時期の特徴です。

  • 協同組合の役割の拡大
    協同組合は単なる経済活動の場にとどまらず、地域社会の発展や雇用創出、社会的連帯の促進にも寄与する存在となりました。


4. 重要なポイント

  • 協同組合制度は、当初はフランスの植民地政策の一環として導入されたものであり、モロッコ人にとっては排他的な制度でした。
  • しかし、政治的・経済的な必要性からモロッコ人にも開放され、その後、独立後のモロッコ政府が積極的に推進したことで、地方経済や社会において重要な役割を果たすようになりました。
  • この発展は、植民地支配下での抑圧的な政策が、状況の変化によって新しい機会と可能性を生み出した例と言えます。

結論

モロッコの協同組合の発展は、植民地時代の政策と独立後の国家政策が交錯しながら進んだ歴史的プロセスを示しています。当初の制度の導入意図は支配者側の利益に偏っていましたが、最終的にはモロッコ人の社会的・経済的発展を支える仕組みへと変化しました。この歴史的文脈は、モロッコの経済政策や地域社会の構造を理解する上で重要な鍵となります。


1. 植民地時代における経済的格差と労働者の制約

  • 協同組合の排他性が生んだ経済的不平等
    植民地時代、協同組合制度がヨーロッパ系植民者に限定されていたことにより、モロッコ人労働者には経済的な自立の機会がほとんどありませんでした。この格差は、雇用の場においても非植民者層(モロッコ人)の地位を低く固定化し、解雇や不安定な労働条件に対する保護が不十分である状況を助長しました。

  • モロッコ人労働者の疎外
    協同組合のような労働者間の連帯を強化する枠組みが排他的であったため、モロッコ人労働者は労働環境の改善や雇用者との交渉力を得る手段を持つことができませんでした。このような背景は、雇用者の一方的な解雇や劣悪な条件での雇用契約が横行する原因になったと考えられます。


2. 1937年以降の政策転換がもたらした変化

  • 協同組合へのモロッコ人の参加解禁
    モロッコ人に協同組合への参加や設立が認められるようになると、以下のような影響が生じた可能性があります:

    1. 雇用者と労働者間の力関係の変化
      労働者が協同組合を通じて団結することで、雇用者との交渉力を持つ機会が増え、解雇条件や雇用契約の改善が進む可能性がありました。
    2. 雇用の安定化
      協同組合は、失業者や解雇された労働者の支援や再雇用の場として機能し、労働市場の安定化に寄与する役割を果たしました。
  • 農業分野の協同組合の役割
    農業分野で協同組合が推進されたことで、農村部の雇用機会が創出され、解雇リスクが高い季節労働者や小規模農家にとっての安全網としての役割を担いました。


3. 独立後の協同組合制度と公的支援

  • 国家による協同組合の促進
    独立後、モロッコ政府が協同組合制度を支援した背景には、農村部の失業問題や貧困対策がありました。この支援政策は、以下のような雇用や解雇に関する側面と結びつきます:

    • 雇用の創出
      協同組合を通じて地域社会に新たな雇用機会を提供し、労働市場への参加を促進。
    • 解雇のリスク軽減
      経済的に脆弱な労働者が協同組合に参加することで、個人では対応が難しい解雇のリスクに対処できる仕組みが提供されました。
  • 労働条件の改善
    協同組合を通じた労働者の組織化は、雇用契約の内容(賃金、労働時間、解雇時の補償など)の改善につながる可能性がありました。


4. 現代的文脈における影響

  • 社会的経済の基盤としての協同組合
    今日のモロッコでは、協同組合が社会的経済の重要な一部を占めています。これにより、以下のような影響が雇用・解雇の観点から見られる可能性があります:
    • 非正規労働者の支援
      解雇や不安定な雇用に直面した労働者が、協同組合を通じて再び雇用の機会を得ることができる。
    • 法的保護の向上
      協同組合は労働者が法的支援を得るためのプラットフォームとしても機能し、不当解雇や労働条件の悪化に対抗する手段を提供します。

結論

モロッコの協同組合制度の発展は、雇用・解雇に関する環境の変化と深く結びついています。特に、植民地時代の不平等が制度改革によって徐々に改善され、独立後には政府の政策によって労働者保護が進みました。このような変化は、労働市場の安定化や労働者の権利保護を目指すモロッコの法制度や社会経済の進化を象徴するものです。

 

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注目すべき点は、協同組合に関連するこれらの法律が当初、モロッコに居住する外国人(植民地支配者)にのみ適用されており、モロッコ人が協同組合を設立したり参加したりすることは許可されていなかったことです。

モロッコ人が協同組合に参加できるようになるのは、1937年4月24日以降のことであり、1938年6月8日に公布された勅令(ظهير)によって、農業協同組合の設立と参加が許可されました。この勅令により、モロッコ人は手工業や農業などのさまざまな分野で協同組合を設立し、参加する権利が与えられたほか、協同組合向けに提供される融資制度を利用する権利も認められました。

この変化をもたらした背景には、植民地支配を維持するための実用的な政治的・経済的な動機がありました。政治的には、1933年に発表された「モロッコ国民改革要求書(مذكرة مطالب الشعب المغربي للإصلاح)」に始まる国民運動(كتلة العمل الوطني)の改革要求の高まりを抑制し、当時の政治的不満を緩和する意図がありました。

経済的には、1937年にモロッコの農村地域を襲った干ばつによる影響がありました。この干ばつは必要な原材料の在庫を枯渇させ、モロッコ国内およびフランス市場の需要を満たすための生産に支障をきたしました。その結果、保護国当局は態度を軟化させ、原材料の収集と貯蔵を組織化・構造化することで在庫切れを防ぐ措置を講じざるを得ませんでした。当時、アルジェリア市場からの高額な輸入を余儀なくされていた背景も、この政策決定に影響を与えました。

独立後、1983年までの期間は、政府がこのセクターに大きな関心を寄せ、特に農村部と農業分野において公共政策の一環として推進した時期でした。この政策の結果として、協同組合の数は1957年に62団体だったものが、1983年には約2000団体に倍増しました。

モロッコの協同組合の発展と、それを支えた歴史的・政治的・経済的な背景について詳述しています。