モロッコにおけるシャリーア(イスラム法)と外部の影響、特にフランスの植民地支配がどのように社会や法体系に変化をもたらしたかについて述べています。要点は以下の通りです。
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フランスの介入とシャリーアの弱体化: フランスの植民地支配が進む中で、モロッコのシャリーア(イスラム法)の権威は徐々に弱まりました。特に、フランスはモロッコ国内で非ムスリム(外国人)に対して自国の法を適用し、モロッコのシャリーアを無視しました。これにより、モロッコの伝統的な法体系が脅かされました。
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世俗化の進行: フランスはモロッコの社会と教育機関に世俗的な影響を強め、宗教的な権威であるシャリーアを次第に排除しました。この世俗化の進行は、モロッコ社会の中でイスラム法の位置づけを弱め、伝統的なイスラム法に基づいた制度が形骸化していく原因となりました。
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「ビレド・シバ」やベルベルの慣習: モロッコの南部(ビレド・シバ)は、伝統的にイスラム法とは異なるベルベル人の慣習法が支配していました。この地域はモロッコの中央政府の権力が及ばない「反乱地域」とされており、シャリーアの支配が完全には及んでいませんでした。フランスはこの地域の慣習法を強調することで、モロッコを分断し、弱体化させる戦略を取りました。
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社会的分断の深化: フランスの介入により、モロッコ社会ではスルタン(王)とウラマー(イスラム法学者)、マクゼン(王政政府)とビレド・シバ(反乱地域)、沿岸部と内陸部、国際貿易と伝統的な経済などの間で深刻な分断が生まれました。この分断はモロッコ社会の安定を脅かす要因となりました。
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外国の法とモロッコの法の対立: 外国商人やその代表者はシャリーアに従わず、フランスの法律を適用されることになりました。これにより、モロッコの伝統的な法体系(シャリーア)は、外国からの人間的な法(フランス法)によって置き換えられ、社会全体の基盤が揺さぶられました。
このように、フランスの植民地支配がモロッコにおけるシャリーアの支配を弱め、社会や法制度に大きな変化をもたらしました。モロッコ社会の分裂やシャリーアの無視は、社会の不安定化を招きました。