モロッコの法典「義務および契約法典(D.O.C.)」のアラビア語翻訳の歴史とその過程に関するものです。以下はその詳細な解説です。
1. 翻訳の背景と目的
モロッコでは、フランス植民地時代の影響を受けた法体系が存在しており、独立後はその法体系を現地の状況に合わせるために改訂が行われました。D.O.C.はモロッコの民法に相当するもので、フランス法の影響を強く受けています。アラビア語に翻訳することで、モロッコ国内の司法機関に適用可能な形にすることが目的でした。
2. 最初の1965年版
最初の翻訳(1965年)は、フランスの植民地支配の名残りが反映されていました。この版では、「フランスの保護領」や「フランス裁判所」といった表現が使われており、モロッコが独立国家として存在することを反映していませんでした。例えば、「シャリーフ帝国のフランス地域」という表現(al-minttaqa al-farancia min al-ayala al-charifa)や、「フランス裁判所が支配する領土」という表現(al-tourab al-khade’a liwilayate al-mahakem al-faranciya fi al-maghreb)が含まれていました。これらの表現はモロッコがフランスの保護領であった時代を反映しており、独立後のモロッコには不適切なものと考えられました。
また、この1965年版はフランスの通貨(フラン)を使用しており、例えば「100フラン」や「20,000フラン」という表現が使われていました。さらに、モロッコの司法制度の変化に伴って、旧制度に基づいた規定(例えば、簡易裁判所「mahkamat al-solh」)が含まれており、これも新しいモロッコの司法システムには不適当でした。
3. 1966年版
1966年版では、前述の不適切な表現が修正されました。例えば、フランスの領域に関する表現は「dakhil al mamlaka」(王国内)に置き換えられ、フランス裁判所に関する表現も「al-mahakim al-farancia」から「mahkamat al sadad」(サダド裁判所)などに変更されました。また、フランス通貨の表現もモロッコの通貨(ディルハム)に置き換えられました。これらの修正は、モロッコが独立国家であり、フランスの影響を排除する必要があるという観点から行われました。しかし、この版にも依然として翻訳の問題があり、例えば、内容面での修正は少なく、主に形式的な変更に留まっていた点が指摘されています。
4. 1986年版
1986年版は、モロッコ政府の下で作成され、翻訳の精度や内容が改善された版です。この版は、アラビア語とフランス語の両方が収められた二部構成になっており、翻訳がより精緻になったとされています。この版では、前回の修正に加えて、さらに細かい修正が行われました。例えば、アラビア語の表現がより適切に調整され、モロッコの法的および文化的背景に適合するようになっています。
5. 翻訳に関する問題点と批判
翻訳の過程でいくつかの問題が指摘されています。最初の1965年版では、フランスの植民地時代の表現がそのまま残っており、モロッコの独立後の状況に合わない部分が多くありました。また、アブデル=ファッタ・アブデル=バキによる翻訳は、翻訳者自身の解釈が反映されている部分があり、これが法的な正確性を欠く場合もあったとされています。そのため、1986年版では、翻訳の質が改善されるとともに、法的な整合性をより重視するようになったと言われています。
結論
このテキストは、モロッコのD.O.C.(義務および契約法典)のアラビア語訳における歴史的な変遷を追い、その過程で生じた問題点と改善点を示しています。特に、翻訳がモロッコの司法および政治的な状況に合わせて調整される必要があり、そのためには単なる言語の翻訳を超えて、法的および文化的な文脈を考慮した変更が行われたことがわかります。