近世イスラーム帝国の法と社会 

 

  • 「近世イスラーム帝国」における法と社会の関係を学ぶ

  • 世界史に大きな位置を占めるオスマン帝国:中東、アフリカ、ヨーロッ パ三大陸にまたがる広大な領土。

  • オスマン帝国以外の中東西アジア=イラン。シーア派の独自の発展

  • 現代イランと密接な関係をもつサファヴィー朝・カージャール朝:シー

    ア派化が開始され、進展する。スンナ派地域とは異なる独自の発展

  • 古典的なイスラームの司法制度・ウラマー制度の発展・変容を学ぶ

オスマン朝とシャリーア

オスマン帝国の発展

  • 13世紀中葉モンゴルの進出以降、アナトリア西 部に多数の諸侯国(ベイリク)発生。オスマンの

  • 1453年、メフメト2世(1451-81)、ビザンツの首 都コンスタンティノープル占領。「帝国」としての

  • 弟9代君主セリム1世(1512-20)とその息子ス レイマン (1520-66)の活躍。中欧からクリミア 半島まで版図に。

  • 17世紀中ごろ以降、スルタン(君主)の宮廷から、 「大宰相府」が独立。官僚制の著しい発展

  • 法慣習・法制度も行政制度の発展・社会の変 化・商業の活発化に合わせて変化・発展

侯国もその一つ。

威容が整う。

オスマン帝国における法の担い手

• オスマン帝国の中枢バルカン半島はもともと非ムスリム居住地域。アナトリアも ムスリムと非ムスリムは半々程度の人口比

⇒オスマン帝国の急速な拡大に伴い、法の担い手たるウラマー不足

  • ウラマー・カーディー(裁判官)養成のためのマドラサ(学院)拡充と強化

  • オスマン帝国のウラマーの二系統:マドラサ教授と法官(+ムフティ―)

  • カーディーの最高位として「カザスケル」(直訳すると軍法官)。君主(スルタン) の御前会議で重要な司法案件を審議する。ルメリ(バルカン半島)とアナドル(ア ナトリア)のカザスケルが最高位で御前会議に参加

  • ムフティーの最高位、シェイヒュルイスラーム(首都イスタンブルのムフティ―)は、 君主の廃立も左右するほど重要な役割担う。

  • オスマン帝国下では、とくにハナフィー派が帝国公認法学派に。(ほかの3法学 派も認められていたが、後述のイルミエにはいるためにはハナフィー派学ぶ必

    要)

イスタンブルを征服(1453年)したメフメト2世 時代の法廷(修復後)

スレイマンとエブッスウード

シャリーアとカーヌーン: イスラーム法とスルタンの法

• オスマン帝国の急速な拡大:非ムスリムが多く、伝統的にムスリム政権下 になかった地域(バルカン半島)など、多様な支配領域を含む

⇒オスマン朝支配以前の慣習が存在: キリスト教徒地域のハンガリーや、遊牧部族政権下にあった東アナトリアな

どの地域の法

⇒「スルタンの法」(カーヌーン)に取り入れ、現状追認。スルタンの法の体 系全体がシャリーアのもとにあり、イスラーム的に正しいと宣言することで、 地域の慣習が合法化される。

• スレイマン1世紀に合法化がすすめられる(シェヒュル・イスラームのエブッ スゥードを中心に)

⇒スレイマンは「カーヌーニー」(立法者)と称される

オスマン帝国におけるウラマーの「専門化」

  • ウラマー(オスマン語ではウレマー):本来の専門的な職業分野である、司 法と文教にその役割を限定。一つの社会階層を形成。法曹官僚化

  • 一方で、職をめぐる争いが激化。任用規則を定める必要発生 ⇒16世紀を通じてオスマン朝におけるウラマーの社会階層としての「イルミ

    エ」が形作られる:ウラマーの任官制度

  • オスマン帝国における官僚制の発展と軌を一に。

  • 他の時代・地域の政権にみられないオスマン帝国独特の制度

  • イスタンブルのムフティーたる「シェイヒュルイスラーム」を頂点とする法曹 官僚組織となる(ただし、シェイヒュルイスラームは御前会議の一員ではな い。ウラマーの一応の独立性)

  • イルミエ制度に

イルミエ制度の詳細

  • 「イルミエ制度」:帝国各地の教授職、裁判官職を、候補者(ミュラーゼム)もふく

    めて、中央政府が一括管理する制度。俸給も国家から支払われる

  • 一種の身分秩序化。主に、ムダッリス(学院教授)とカーディー(裁判官)職から

    なる

  • 学生は、「教授・裁判官候補」(ミュラーゼメット)の認可を受けるべく、学院在学 中から活動

  • 候補許可の基準:本人による上奏、試験、能力証明、シェイヒュルイスラームな どに奉仕した対価、王家や有力官僚の斡旋、高位ウラマーの推挙など

  • 「候補者」許可基準の弊害:ウラマー名家を産み出す。コネづくりが重視される。

  • 短い任期。(カーディーは、一か所に長期に赴任せず。1-3年程度で任地変更)

  • 一方、帝国内におけるマドラサでの教育・司法行政が標準化

オスマン帝国期のウレマー

オスマン帝国下のシャリーア法廷(カー ディー法廷)法廷台帳 mahkama shar‘iyya

  • 旧来(13世紀ころまで)の伝統的法廷の役割(第6回参 照)からさらに発展。

  • 地方行政の拠点として機能する。

  • いわゆる「法廷」の役割を越えた機関として

    1. 法律訴訟関連(民事・刑事)

    2. 公証業務

    3. 法廷内業務

    4. 地域行政

  • 「シャリーア法廷記録」(sicillat)の存在。法廷に関連す る事案を記録。地域にかんする情報の宝庫として

  • カーディーは、地方の司法と行政の両方を管轄

1.法律訴訟関連(民事・刑事)、公証業務 • あらゆる民事・刑事関係の法を施行

2.公証業務

• ワクフ設定を台帳に記録し、その運営監督
• あらゆる公証業務を遂行し、動産・不動産の売却に対応
• 遺産相続の執行に対応
• 婚姻契約締結を管理。または礼拝導師にその執行を許可 • 公証関係業務に際して、手数料受領(重要な収入源)

3.法廷内業務

  • カーディーの職務遂行のために代理を任命し、法廷の運用指示を内容とする通知書を

    作成する

  • 首都イスタンブルの中央政府から届いた勅令、勅許状を台帳に記録し、中央政府への 上奏書を作成

4. 地域行政

  • 管轄地域の地域行政を遂行。とくに、公定価格を設定し、ギルドの長を任

    命して監督し、悪徳営業や闇取引を取り締まる。

  • 徴税請負業務を管轄し、またティマール地(封土)を監査

  • 管理地域で軍役があった場合、兵站の調整、糧食・武器の確保、脱走者 の処罰を行う。また州総督や県知事と協力して治安を維持

  • 国家の名において監察官として行動

  • 管轄地域の教育施設を監督し、ウラマーの会合を主催。

  • 管轄地域の断食・祭日などの宗教行事の日程を確定し、告知。

  • 地震、旱魃、厳冬などの自然災害にさいして必要な処置をとり、災害の犠 牲者を助けて、台帳に記録を残す

  • 非ムスリム行政。キリスト教会やシナゴーグの修復の調査を行い、許可

近世イランにおける法・国家・社会

サファヴィー朝の成立とイランのシーア派化
• 1501年、アルダビールのサファヴィー教団の教団長イスマーイールにより、

サファヴィー朝が建設される(-1736年)
• アナトリア東部から、イラク、ホラーサーン(イラン東部・アフガニスタン・中

央アジアの一部)まで支配下に。

  • シーア派を公式宗教に。ただし当初は異端的過激シーア派

  • 「正統」シーア派導入の必要性:住民全体のシーア派化を図るためには、 極端なシーア派信仰は不況が困難。当時のイランの住民は主にシャー フィイー派スンナ派信徒。

    ⇒レバノン南部のシーア派地域から、有力なシーア派法学者を招聘し、正 統シーア派の普及に努める。⇒支配地域の住民は、結果としてシーア派多 数に。(18世紀ごろまでにシーア派化が完了?)

    • 強力なシーア派化政策:アリー以外の正統カリフ呪詛、イスラーム神秘主 義者教団を弾圧

シーア派ウラマー招聘:ジャバル・アーミルなどから

  • 正統派シーア派ウラマーをレバノン南部ジャバル・アーミルから招聘。そ

    の中で最も有名な法学者がカラキー(バアルベク出身。1464-1533)

  • カラキー(Nur al-Din Abu al-Hasan):故地で学んだ後にエジプトでスンナ派 4法学を学ぶ(シーア派法学者によくみられる修学)。のちにナジャフに移 り、1504年ごろからサファヴィー朝のイスマーイール1世に出仕。

  • ジャバル・アーミルから招聘された学者の質量についての論争:「外来の 要素」がイランのシーア派化に果たした役割の評価をめぐって

  • 158人のジャバル・アーミル出身法学者(移住第一・二世代)の存在⇒外 来の要素がある程度大きかったことを裏付ける。

  • 17世紀前半にもシェイフ・バハーイーのようなジャバル・アーミル出身の有 名な学者が存在

ジャバル・アーミルとは?

レバノンのなかのジャバル・アーミル

中東におけるレバノン

サファヴィー朝下の司法

  • サファヴィー朝の司法制度:シャリーア法廷と行政法廷

  • シャリーア法廷:民事を中心。首都のシェイホル・イスラームを頂点に、各地方都市にい わば裁判官としてシェイホル・イスラームが任命される。(「カーディー」と呼ばれない)。

  • 行政法廷:行政官による刑事等を管轄する法廷の総称。

  • 二つの司法組織の垣根は低かった?(君主への上訴法廷の存在。民事案件も持ち込

まれる)

  • 君主が週一度程度、直接出廷し、裁可を下す慣習

  • 全国のワクフ財産を監督する「サドル」職

  • サファヴィー朝末期にモッラー・バーシー職(ウラマーの長)

  • 後期サファヴィー朝下の地方都市のシェイホル・イスラームの業務(他の事例と比較):

証書類の作成、様々な契約の締結、婚姻契約の締結、遺産分配の指導、不在者、孤児、 心身喪失者の財産管理、聖廟の管理、ワクフ収入の管理とその利用

サファヴィー朝末期の有力なシーア派学者 マジュリスィー(1627-1699/1700)

  • 本名:ムハンマドバーキル・マジュリスィー

  • 後期サファヴィー朝を代表する法学者・ハ

    ディース学者

  • 1687年から死去まで首都エスファハーンの シェイホル・イスラーム職を務める

  • シーア派ハディース集の集大成というべき Bihar al-anwarを編纂(現在の出版では、計 111巻で刊行)

  • 一方、シーア派信仰推進と民衆教化のため、 ペルシア語でも教訓文学的著書も多数執

カージャール期司法体制に関する通説とその修正

• 1722年にサファヴィー朝首都エスファハーンが占領され、それ以降混乱状態

• 1796年、カージャール朝が混乱に終止符。

• カージャール期の司法体制に関する通説:

サファヴィー朝を引き継ぐ体制。首都のシェイホル・イスラームを中心に、国家に任命され る官僚的法曹位階制度が存在したという説

• 2000年ころから、修正意見。
• カージャール朝期、民事司法は、国家から独立した有識法学者(ムジュタヒド)が掌握。 • 私邸などで開廷される「法廷」。オスマン帝国のシャリーア法廷とは異なる位置づけ
• ⇒法学者個人の社会的影響力が、彼の下す判決や法的な意見の有効性左右
• 法と執行権力の二元体制/相互補完的な側面も。(必ずしも対立的ではない)
• 刑事事件は行政の一環として処理される。
• 司法にかかわるディーヴァーン・ハーネの存在。また、君主への上訴院も存在

シーア派ウラマー

  • スンナ派ウラマーとは異なる発展。

  • 少数派として、スンナ派体制のもとで、教育・学術研究を 行う者も:

    シャヒード2世(ザイン・アッディーン・アーミリー, 1506生) シャーフィイー派を称してオスマン朝地域で教学に従事(カ イロ、ダマスクス、エルサレムなど)。1558年に発覚し処刑

    • 18世紀末以降、位階制度を整える(スンナ派には存在し ない。)

    • 位階の上下は、学識にかんする社会的な認知による。 (オスマン朝のように官僚的制度的ではない)

    • 高位の法学者は、信徒から莫大なフムス(5分の1税)を 取得する。

      (例)イランやインド(アワド)から莫大なフムスがアタバート にもたらされる。有名なのが、1825年設立アワドの君主の 信託財産にもとづく寄附(通称Indian Money)

マルジャァ・タクリード(模倣の源泉) (大アーヤトゥッラー)

アーヤトゥッラー (神の徴)

フッジャトル=イスラーム・ワル=ムスリミー ン

フッジャトル=イスラーム

スィカトゥル=イスラーム

タラバI(学生)

シーア派ウラマーの教育制度

• シーア派では、ハウザ(ホウゼ)と呼ばれる複合教育施 設が法学者/ウラマー教育の場に(マドラサと差?)

• 18世紀後半以降、国家とは距離を置く法学者たち シーア派信徒が多いのは、16世紀以降はイラン(サファ

ヴィー朝がシーア派化を推し進めた結果) 18世紀後半以降は、教学の中心はイラク(オスマン帝国

治下)のアタバート(ナジャフ、カルバラー)。

20世紀初頭降、コム(テヘラン南200キロ)が徐々に抬頭

• ハウザやシーア派マドラサの財源として、ワクフのほか、 シーア派信徒による5分の1税(フムス)

• 誰に5分の1税を払うのか?信徒自身が追従するシーア 派の高位法学者に。信徒による支払先の選択権。

ウラマーの政治への影響: イラン・タバコボイコット運動

• タバコ・ボイコット運動(1891-92):

1890年、財政難に苦しんでいたイランの君主ナーセロッディーン・シャー(在位 1848-96)は、英投機家タルボットに50年にわたりイランにおけるタバコ原料買い

付け・加工・販売・輸出を許可する専売利権を譲渡。しかし、国内でタバコ産業 にかかわる地主らが反対。ウラマーを巻き込み大規模抵抗運動に発展。

• イラクのサーマッラー在住のマルジャァ・タクリードであったモハンマドハサン・ シーラーズィーが、利権解除まで喫煙を禁忌とするファトワー(法的意見)発給。

⇒一般庶民までも禁煙し、たばこをボイコット。⇒タバコ・ボイコット運動 • 1892年、ナーセロッディーンは多額の違約金を払い、利権を撤回。 →近代におけるウラマーによる政治への影響力行使の先駆けに
• 1905-11年のイラン立憲革命でも、ウラマーが大きな影響を与える。 • ウラマーが政治役割期待されることに。

タバコ・ボイコットのファトワー • [問] フッジャトル=イスラーム様(ウラマーの

称号)―神があなたの影を伸ばしますように― お教えください。イスラームの諸国におけるタ

バコの使用に関して、申し上げたような状況で ムスリムたちの義務は何でしょうか?現在のム

スリムたちの義務についてお教えくださいます よう、お願い申し上げます。

• [答]慈悲深く、慈愛あまねく神の御名において。 今やタバコの使用はいかなる方法でも、教えに ある、時のイマーム―神が彼を祝福し、神の平 安が彼の上にありますように―との戦いを意味 する。