"Sanhuri Code"

Abd El-Razzak El-Sanhuri

"Sanhuri Code"

「サンフーリー・コード」とは、エジプトの法学者であるアブドゥル・ラッザーク・アフマド・アッ・サンフーリー(Abd al-Razzāq Aḥmad al-Sanhūrī)によって主導された、エジプト民法(Egyptian Civil Code)の非公式な別名です。エジプト民法は1948年に制定され、フランス民法を基にしており、アラブ世界における多くの法典の母法となりました。

サンフーリーはエジプト民法の改革と近代化に取り組み、イスラム法(シャリア)の伝統とヨーロッパの法律制度とを調和させるための方法を提案しました。エジプト民法はアラブ諸国の多くで採用され、その母法としての地位を確立しました。そのため、「サンフーリー・コード」という呼称は、エジプト民法がアラブ諸国の民法に大きな影響を与えたことを示すために使用されます。

エジプト民法はアラブ諸国の多くで基本法として採用され、個別の国や地域に合わせて微調整されています。このため、アラブ諸国の法体系において、サンフーリーとその法典は重要な地位を占めています。

 

アブドゥル・ラッザーク・アフマド・アッ・サンフーリー(‘Abd al-Razzāq Amad al-Sanhūrī)は、エジプトの法学者で、エジプト民法典の主要な起草者として知られています。以下は彼についての詳細な情報です。

  • 生年月日と出生地: サンフーリーは1895年8月11日にエジプトのアレクサンドリアで生まれました。
  • 教育と学問の経歴: サンフーリーはカイロのヘディーヴ法学校に入学し、1917年に卒業しました。その後、フランスに留学し、リヨン大学で法学の学位を取得しました。彼はフランスでフランス法について学び、比較法の研究に取り組みました。その後、エジプトに帰国し、カイロ大学(当時の名称はエジプト大学)法学部の助教授として法学を教えました。
  • 学問的業績: サンフーリーは多くの法学書や論文を執筆し、特に契約法や賃貸借契約に関する著作が知られています。彼は比較法の研究にも尽力し、国際比較法学会に出席して国際法の重要な研究者としての地位を確立しました。
  • 政治的キャリア: サンフーリーは政治的にも活動し、エジプトでいくつかの政府のポジションを経験しました。彼は教育副大臣、司法副大臣、教育大臣などの要職を務めました。また、国際連合(国連)においてエジプト代表団の法律専門家としても活動しました。
  • エジプト民法典の起草: サンフーリーはエジプト民法典の起草に大きく関与し、その草案を完成させました。この民法典はフランス民法に基づいて編纂され、エジプトの法体系に合わせて調整されました。彼の民法典は1949年に施行され、エジプトの法律体系の基盤となりました。
  • 晩年の活動: サンフーリーはエジプト国内での政治的なトラブルに巻き込まれ、公職から排除されました。その後、法学研究に専念し、エジプト民法典の注釈書 "al-Wasīṭ" を執筆しました。この注釈書は彼の法的知識と貢献を示す重要な文献の一つです。
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"Sanhuri Code"

主な特徴と貢献には以下の点があります:

  • エジプト民法典(Egyptian Civil Code): サンフーリーは、1948年に制定されたエジプト市民法典の草案を作成したことで知られており、この法典はイスラム法(シャリア)の要素を取り入れつつ、西洋の法律伝統からも影響を受けた、現代的で包括的な市民法典です。
  • アラブ連盟条約(Arab League Treaty): サンフーリーは1944年にアラブ連盟条約の草案を作成する役割を果たしました。この条約はアラブ国家間の協力と統一を促進することを目的としており、地域の外交と協力に大きな影響を与えました。
  • 学術的な業績: サンフーリーは尊敬される法学者で、イスラム法、比較法、法学哲学など、法律のさまざまな側面に関する多くの書籍や論文を執筆しました。彼の学術的貢献は今日もアラブ世界の法律思想に影響を与えています。
  • 法制改革: サンフーリーの業績はエジプトだけでなく、他のアラブ国々でも法制度の改革に影響を与えました。多くのアラブ国々が、サンフーリーの法律原則や法典の一部を採用または適応し、現代のアラブ法制度の発展において重要なステップとされています。
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1. **新民法典の制定**: エジプトの新民法典は、フランス民法をベースにし、エジプトの状況に合わせて必要な修正を施して編纂されました。特に1923年に登記法が導入され、不動産の所有権や物権に関する規定が改定されました。登記によって物権の変動が初めて生じるようになりました。

2. **改正プロセス**: 新民法典の改正は、部分的なものから始まり、最終的には全面的な改正に向けて進行しました。1937年のモントルー条約により、キャピチュレーションの廃止や混合裁判所の移管に関する決定が下され、1949年が新民法典の施行期限となりました。

3. **草案の起草**: 草案の起草には複数の委員会が関与しました。最初の委員会は1931年に始まり、外国人裁判官2名で構成されました。1936年に第2の委員会が設立され、その後もさまざまな委員会が活動し、草案の完成に向けて作業が行われました。

4. **サンフーリーの役割**: サンフーリーは新民法典の起草作業に重要な役割を果たし、特に第3の委員会で活動しました。彼は草案の完成とアラビア語とフランス語での発表を指導し、世論や法学者からの意見を取り入れました。

5. **新民法典の公布**: 新民法典は1949年に公布され、同年の10月15日に施行されました。この法典は、序章と債権・物権の2つの部から成り立っており、物権に関連する規定も含まれています。

新民法典は、エジプトの法体系において重要な法律文書であり、エジプトの社会と法制度の変化に適応するために編纂されました。

 

1943年、アブドゥル・ラッザーク・アッ・サンフーリーはイラクとシリアの民法の起草プロセスに関与しました。以下に、彼がこれらの法体系に対する貢献についての詳細を説明します。

  • イラク民法: アル=サンフーリーは、イラク民法の起草に重要な役割を果たしました。この法典は、1951年に公布されましたが、1953年に施行されました。イラク民法は、マジャッラ(イスラム法の法典)とエジプト民法を参考にし、アル=サンフーリーの努力がイラクの法的枠組みの発展に貢献しました。
  • シリア民法: アル=サンフーリーはシリアを訪れ、シリア民法の起草初期段階に参加しました。ただし、彼の関与は比較的短命で、1948年にカイロに戻りました。興味深いことに、彼がシリア法典のために起草した条文は最終的に含まれなかったのです。その代わり、エジプト民法に影響を受けたシリア民法の発展が進行しました。これは当時のシリアの指導者であるフスニ・アル=ザイムの指示によるものでした。

アル=サンフーリーの法律関連の専門知識と貢献が、イラクとシリアの法体系を形成する上で重要な役割を果たし、その業績は今日までこれらの国の法的枠組みに影響を与え続けています。

 

オマーン民法

オマーンの民法(正式名を「民事取引法」)は、導入門、債権編、契約編、物権編、担保物権編の1門と4編から成り、総計で1086条からなります。これは、日本の民法において第一編の総則、第二編の物権、第三編の債権に相当し、いわゆる「財産法」に関連する法律です。この1門4編の構成は、エジプト民法をモデルにしています。

エジプト民法は1948年にフランス民法に基づいて制定されましたが、その後、シリア、リビア、イラク、クウェート、ヨルダンなどのアラブ諸国の民法の母法となりました。したがって、これらの国の民法は、エジプト法学者であるサンフーリーによって制定された規範的な法律と関連しており、そのためこれらの法典はしばしば「サンフーリー・コード」とも呼ばれています。ただし、この呼び方は一部の保守的なウラマー(イスラム法学者)から反発を受けることがあるため、オマーンの法典を説明する際には注意が必要です。

オマーンの民法はUAE(アラブ首長国連邦)民法と密接な関連があり、UAE民法はエジプト民法にも影響を受けていますが、アラブ湾岸地域においては伝統的なイスラム法学の要素も取り入れられています。ただし、オマーンの民法には、民事取引において重要な要素であるにもかかわらず、特別法で規定することになっている箇所がいくつか存在し、UAE民法の完全なコピーではないことに留意すべきです。条文数に関しても、UAE民法が全1528条であるのに対して、オマーン民法は全1086条であるため、約3分の2の規模となっています。それにもかかわらず、オマーンの民法はUAE民法に非常に近いものであると言えます。