母を亡くしたライターの笙子は、満希が一人で経営している「食堂メッシタ」へ訪れ、満希の料理で元気を取り戻していく。
笙子が初めて満希の料理を食べた時、
純粋なイタリア料理で、母の作ってくれた料理と同じものは一つもない。
それでも、食べていると母を想い出した。
ドイツでホームステイをしていた時、食事や日用品は全て自分で用意する条件の、シェアハウスのような家だった。
そこのホストマザーが一度だけ、夕食に作った野菜スープを食べさせてくれたことがあった。
ドイツに来たばかりで聞くこともできず、何の野菜が入っているのかはわからなかったのだが、スパイスやハーブがふんだんに使われていて、初めて食べる味だった。
それでも、温かいスープは私の体に染み渡り、体と心の緊張をほぐしてくれた。
笙子が満希の作るメッシタの料理を食べて母の味を思い出したように、
この時の私も、初めて食べるドイツのスープなのに、母の作る味噌汁を思い出した。
イタリア料理はマンマの味?
作る時に、相手においしい料理を食べてもらいたい、という思いが、笙子に母の味を思い出させたのかもしれない。
イタリア料理は、日本ではすっかり馴染みのある料理だ。
パスタもピザも、和風にアレンジされていて、すっかり日本人の食生活に入り込んでいて、ナポリタンは完全に日本生まれのパスタ料理だ。
昔はスパゲティーと言っていたのに、気が付けばパスタと呼ぶようになった。
昔は細長いスパゲティーが主流だったが、今はショートタイプもあり、実に様々な種類がある。
ちなみにスパゲティー(Spaghrtti)はドイツ語であり、初めてドイツ語で習った時は、なじみがありすぎて嬉しかったことを覚えている。
ドイツで通っていた語学学校に、イタリア人のクラスメートがいた。
彼女は料理人で、時々私たちを自宅へ招いて料理をふるまってくれた。
彼女はドイツで食べるカルボナーラとボロネーゼは、おいしいけど本場のイタリアとは違う、と実際に作ってくれた。
ドイツでのカルボナーラは、日本と同様の生クリームを使っていた。
ボロネーゼは、たしかにトマトは入っているのだが、肉々しい味だった。
もちろんドイツで食べるカルボナーラもボロネーゼも、彼女が作る本場の味とは違うのだがおいしかった。
日本でいつも食べていた味とは異なるとはいえ、違和感なくおいしかった。
相手を思って作る料理には、誰にもまねできない調味料がそこにはあるのかもしれない。
彼女からレシピを聞いて自分で作ってみても、同じような味にはならないのだから・・・
話は戻るのだが、『食堂メッシタ』を営む満希は、若い頃、新しい料理と出会うためイタリア各地のレストランで働いた。
B級グルメを食べ歩いたり紹介したりするテレビ番組や雑誌の特集を見たことがある。
海外へ気軽に行けなくても、日本各地の郷土料理を食べ歩くのも、新しい発見があって楽しいのかもしれない。
