葬儀の民俗学(ネタバレなしよ) | マルサの長女

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著者 筒井功


🍀一

東アジアにはクスノキを神聖視する文化があったのでは?

クスノキ製の妓楽面や木棺が発掘されている。


韓国にはクスノキやコウヤマキは自生しないが、クスノキの木棺が出土した。

恐らく海外から輸入していた。


7世紀頃迄はクスノキが聖樹とされていたが、8世紀からはカヤやヒノキ、9世紀からはヒノキが聖樹になって今に至る。


楠神信仰。

出たな谷川健一、雑音男の兄!


子供が産まれたら楠の字を付ける習慣があった。

土佐には楠の付く名前が多い。

南方熊楠とか?


高知県香南市の宝田神社に子持楠神がある。


楠信仰の発祥地は中国南部、長江の河口域では?

稲作文化もあり、稲と共に東シナ海を北上してきたのでは?


楠は奇しであり、薬(くす)でもある。

薬にもなったから聖樹になった。


ヒノキの語源は火の木。


🍀二

高知県須崎市に潮ばかりと言う奇祭がある。

はかるとは占いの事。

漁獲高をはかる(占う)。


「たてまつるの原義が、柱を立てて祈る意であったことは、まずまちがいあるまい」


秋田県鹿角市の大湯環状列石。

「竪穴式住居が七棟しか発見されていないことなどから、もっぱら祭と葬とのための空間だったと考えられる」

なるほど!びっくり


🍀三

6〜8世紀頃の日本では、8が聖数だった。


母音交替。


大湯環状列石からは、数字の表示のある土板が発掘されている。

「数あるいは数字そのものが神聖視されたお守りだったのでは?」

電卓替わりとか?


暦(こよみ)の語源は日読み(カヨミ)。

月読尊は、月の動きを占っていたのだろう。


今は母音は5つだが、平安時代以前には8つあった。

「神のミには常に微・未の字を用い、上のミには美・弥などを宛てて、その逆になる事がない。

これは発音が違っていたためではないか」


イザナギが投げたのは湯津津間櫛(ユツツマグシ)

妻をもう一度殺したって意味なのかも。


古語では釣り針の事をチと言った。

チは霊の字を宛てる。

それは霊を引っ掛ける道具と理解されていたから。

レの字やYの字の骨角器が発掘された事もある。


「倭の投馬国にミミナリという次位の官職があった」

私よくなるから任せて欲しい。笑


愛媛県久万高原町の御三戸(ミミド)神社がある。

ミミは何か尊いもの、ドは所(釜を置く所でカマドなど)の古語。


3(ミ)も聖数だった。

ミ、ム、ヨ、柔らかい発音が好まれたとか?

文章も濁点つけないし。


🍀四

高知県の朝倉神社に、勅使石がある。


「遙拝所の方が本殿へ成長し、もとの神の鎮座地は元宮として記憶されながら、そこには祠が建つだけという場合が多い」

遥拝所って、単にその神社や古墳が見やすいだけ?

パワースポット的な意味もあるのかな?


「一夜にかぎって滞在する場所が、お旅所(仮宮)である」

お旅所も昔は1ヶ月とか滞在してたのかな。

出雲大社みたいに。


兵庫県の大避神社。

秦河勝がうつろ舟に乗って生島に流れついたとされるが、元々大避神社の祭神は生島にいた。

今の社殿は生島の遙拝所だった。


沖と奥は同じ語源では?

弥生人は操船も農耕も出来た。

海辺にいた時神をワタツミと呼び、内陸ではヤマツミと呼んだのでは?


「オコゼをあたかも山の神の神体であるかのように扱う習俗のことは、柳田國男の山神とヲコゼ以来よく知られている」

毒魚や毒蛇は神格化されていた。

オコゼとヘビの交換とかあったかもね。


🍀五

「沖縄では、人が死ぬことをオウに行くと表現する地域がある」

奥武(オウ)、青(アオ)、淡(アワ)、大(オオ)など。


「地名のオウは大きな島の近くにある小島に多く、墓地の島、ないしは古く墓地であった」


「習俗の中で葬制はもっとも変化しにくいものである。

もし本土の海岸や湖沼に青を冠した地名があり、そこが埋葬地と関係があり」

青木ヶ原・青山墓地とか?


アオがオオになる事はあるが、

例:青梅・青海

オオがアオなる事はない。


青は記紀の頃には色を表す為の言葉になっていた。


徳島県の栗島では水葬が行われていたのでは?


六道は葬地の事。


源頼基「我を尾崎明神のそばに葬り、龍神としてまつれ」

宮古市藤原から水葬した。

はい、絶対言ってないのに殺した後に神格化して罰を逃れるやーつ!


京都府の伊根湾の青島

宮崎県の日南海岸の青島

徳島県富岡港の青島

などがある。


沿岸の青島の特徴。

・小さい

・地先に位置している

・湾や入江の口を塞ぐ場所にある

・島か対岸に神社がある

・常緑樹の森に覆われている


🍀六

蜘戸の岩屋。

クモは恐らく隈であり、奥まった船泊り(津)を指しているのでは?


賽の河原。

サイは境(サエ)の事で、死者の去り進む地では?


カワラはゴウラに由来する。

例:小石原、強羅


本来賽の河原は年齢は関係なく、誰でも行く所。


島根県雲津の住民も、昔はお盆の17日に賽の河原で石を積んでいた。


島根県の加賀の潜戸。

ここは子供の葬送に限られている。


ヒルコは流産、淡島は死産では?


うつぼ舟は大体貴種流離譚。


住吉明神の妻、下の病気にかかりうつぼ舟で流される。

下の病気になったくらいで流されるか!?

不倫の言い換えだろうか?


鳥取県羽合市では、地主の家4軒を除いて墓が無い。

火葬した遺骨は川に撒いてしまう。

メダカの事をネンブー(念仏)と呼ぶ。

川にメダカが集まって来るので。


安倍貞任は樗(オウチ)の木で梟首された。

オウチ=青の霊(アオチ)


樗はセンダンの事。

土佐では今もセンダンは凶木で、庭に植えてはいけない。


ヤナギも葬地に植えられていたのでは?

幽霊がよくヤナギの下に現れるのはそのためでは?


🍀七

天皇が亡くなった時、遺族は肉食を避けるが、

「ほかの者はまわりで歌舞飲酒したのである」

今もやってたら面白いね。

宮内庁楽部が歌って踊ってたりして?笑


「古代葬礼の場で重要な役割をになっていた遊部と呼ばれる部民がいた」

後の白拍子的な女性かな?


大化の薄葬令で、皇族から庶民に至る迄、殯屋を作るなと言う法律が出来た。


文武天皇を最後に天皇の殯は記録から消えていく。

仏教の影響と、魂に対する考え方の変化があった。


土師師は墳墓技術者集団だった。


隼人が犬を用いて殯屋の警備をしていた。

隼人舞で使う盾には蕨手文が描かれている。


🍀八

「イチは男だったのだろうか?女だったのだろうか?」

男は権力構造の中でしか生きられないから

旅芸人になりたがる男は少なかったのでは?

全員女性だと記録に残っていそうだから、男女どちらもいたのでは?


新潟県の綾子舞。

アヤコはヤヤコが訛ったもの。


「(能の)班女でも保名でも必ずその手に竹の枝を持っている。

携帯者の放心状態を表示する象徴」


5〜6世紀頃、箸墓のあたりを大市と言っていた。

大市=卑弥呼を葬った為にその地名がついたのでは?


イチの語源は神を崇めると言う意味の斎(いつ)くでは?


一ノ瀬、一ノ谷の地名はイチから来たのでは?

このイチはただの数字ではなく、二ノ瀬や二ノ谷は殆ど無い。

なるほど!びっくり


但し一宮や二宮などは除く。


🍀

いや〜、葬式や墓って本当に良いものですね!(CV水野晴郎)


地元の面白い風習とかあれば教えてください!爆笑