御聖訓一読集十四日『法華行者値難事』

「竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り。天台・伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。所詮、一には仏授与したまはざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来たれり、四菩薩出現したまはんか。日蓮此の事先づ之を知りぬ」(御書七二〇頁)

 

 

上の御書の一節につきましては、御法主日如上人猊下が平成二十二年第七回法華講夏期講習会において深甚の御講義をくださっております。有難いことに今も我々はその御講義の内容を『信行要文二』において拝することがかなうのであります。

 

以下、その御講義の要点と思われる点を、御書の引用等を中心にメモさせて頂きたいと存じます。

 

文永十一年に佐渡一谷から富木常忍等門下一同へ与えられた御書とのことでありますから、まさに大聖人様が佐渡御配流という王難を身読あそばされておられる最中のおしたためでありまして、信徒一同に対して、末法において法華経の行者が難にあうは経文の予証の通りであり、断じてその難に怯むことなく正法の護持弘通を激励あそばされている御書と拝されます。

 

上の一節にも明らかでありますが、ここには仏法流布における三時弘教の次第が前提となっていて、仏法の流布は、一重に、経文の予証と仏(ここでは教主釈尊のこと)の付嘱に基づいて、それぞれの時代に応じて、付嘱を受けられた方々が、その時代の衆生の機根にふさわしい教法が説かれる。その筋道が明確であります。

 

その点を、能弘の人、所弘の法で、三段階に示せば以下の通りであり、これは御会式における御歴代御法主上人の諫暁文とも一貫する内容であります。

 

竜樹・天親(千部の論師):権大乗

天台・伝教(迹化の菩薩):法華経迹門(迹面本裏)

日蓮(地涌の菩薩の上首):法華経本文(文底下種独一本門)

 

三時弘教の次第については、他の機会にメモしたものがありましたので、以下、リンクを貼らせて頂きます。『富木殿御返事』の研鑽メモです。

 

 

 

では、本日の一節に注目して参りたいと存じます。

 

一つには、「竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り」における、「口伝」と関わる部分。

 

この点について、御法主日如上人猊下は、『信行要文二』のp.76において、竜樹は『大智度論』において、天親は『法華論』において、法華最勝を暗示されていたことを御指南であります。

 

法華最勝を法門の上から闡明にされるのは、後の天台・伝教による教化を待たねばなりませんが、それでも小乗を破して大乗を宣揚する竜樹・天親が内鑑冷然の境涯において法華最勝をご存知であられたことを教わるものであります。

 

今ひとつ、より重要な注目点として、上の一節にも含まれておりますが、御書における「三大秘法」の名目の現れ方がございます。

 

この「三大秘法」の名目とその内実について、以下のように、複数の御書を通じて展開されるようでございます。

 

『観心本尊抄』

  → 戒壇は含まれず

『法華行者値難事』

  → 本日拝読の御書、ただし本文ではなく「追伸」

『法華取要抄』

  → 初めて、本文に三大秘法の名目が明示される

『三大秘法抄』

  → 三大秘法の名目が示され、かつ内容が詳述される

 

以下、上の諸御書における三大秘法との関連における一節を拝してみたいと存じます。

 

『観心本尊抄』

「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、末だ広く之を行ぜず。所詮円機有って円時無き故なり」

 

上は本尊抄の終わり付近の一節です。「迹面本裏(迹門をおもてとして本門を裏とする)」の法華経迹門弘通の任にあたられる迹化の菩薩は、一念三千の法門を理具において説かれるとはいえ、それは事行の題目ではない故に、本門の本尊も顕されないのであると。

 

「事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊」とありますが、ここには題目と本尊が含まれておりますが、未だ「戒壇」が含まれておりません。

 

実は、これよりずっと前の本尊抄のくだりに「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩」(御書六五四頁)という表現が出てまいりますが、これこそまさに、本日拝読の『法華行者値難事』における「本門の本尊と四菩薩」と呼応する、不思議な表現と拝されます。

 

三大秘法の本門の本尊と戒壇と題目において、四菩薩が併記されるというのはどのような理由によるのでございましょうか。しかもこれが、『法華行者値難事』だけでなく『観心本尊抄』にも同様の表現がみられるのでありますから、そこには甚深の意義がこめられているものと拝察されます。

 

この点について、御法主日如上人猊下は、日寛上人の『観心本尊抄文段』を引かれて、以下のように御指南あそばされております。

 

「『本門寿量品の本尊』とは人即法の本尊を示しており、『並びに四大菩薩』とは法即人の本尊を示している』(御書文段二四六頁)と。

 

四大菩薩の上首上行菩薩様の再誕こそ、末法に御出現あそばされた日蓮大聖人様であられますから、四大菩薩とは再往人本尊の意義がこめられているのである、との御指南と拝される次第でございます。

 

次に、三大秘法の名目が、本文ではないものの、追伸において初めて現れる御書が、本日拝読の『法華行者値難事』であり、そして遂に、御書の本文において、その名目が示されるのが、『法華取要抄』の以下の一節であると、御法主様は御指南あそばされておりす。

 

『法華取要抄』

「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」と。

 

ここに改めて、三時弘教の次第を経て、末法の御本仏が説き顕される三大秘法、即ち、本門の本尊と戒壇と題目の五字を護持弘通できることの、類稀なる僥倖を思わずにはおられません。

 

特に、本門の本尊が法即人、人即法、人法一箇の本門の本尊であることを、本日拝読の一節から、改めて教わるものでございます。

 

改めて御報恩の誠を尽くすべく、破邪顕正の折伏実践に取り組んで参りたいと存じます。