御聖訓一読集六日『富木殿御返事』―三時弘教の次第―

「仏滅後二千二百二十余年、今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず。当時果報を論ずれば、恐らくは伝教・天台にも超え竜樹・天親にも勝れたるか」(御書679ページ)

 

 

富木殿御返事は短いお手紙ではありますが、文底下種法門について、特に、経証に符号した法華身読の現証をお示しになられているという意味で、重要な御書と拝されます。

 

前後と合わせて拝しますと、以下のように、実は、二重の勝劣が含意されていることがわかります。

 

竜樹・天親 < 伝教・天台 < 日蓮

 

時は文永十年、佐渡御配流三年目。前年の文永九年には、あの人本尊開顕の書たる『開目抄』という長大な御書が認められました。屋根の板間も合わないあばら屋の塚原三昧堂にて、雪を硯の水として。

 

開けて文永十年、今度は、法本尊開顕の書である『観心本尊抄』が認められます。正式名称は『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』。この題名の読み方ひとつで、御法門の理解の度合いがわかってしまうという恐ろしい御書です。末法における受持即肝心の究極の法体たる法本尊を闡明にされた、実に長大にして難解極まりない御書であります。

 

その後も、重要な諸御書が次々としたためられます。『諸法実相抄』『如説修行抄』『顕仏未来記』。『義浄坊御書』も、この時期です。『顕仏未来記』の後にしたためられたのが、この富木常忍さんへのお手紙です。

 

その時、日蓮大聖人は、御配流あそばされていた佐渡、一ノ沢にて、法華経勧持品第十三の二十行の偈に記される「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」を、まさに身読されている最中でございました。

 

このお手紙の末尾近くで、こう仰せです。

 

「幸ひなるかな我が身『数々見擯出』の文に当たること、悦ばしいかな悦ばしいかな」(御書680ページ)

 

「数々見擯出」とは、たびたび住居を追われること、すなわち、一度ならず流罪にあうことであります。「数々」とある以上、かつて受けられた伊豆流罪の一度のみでは、経文の身読としては条件を満たしません。今般の佐渡御流罪においてこそ、「数数」の意義をも満たし、その身読がまっとうされる、ゆえに、御配流の最中に、「悦ばしいかな悦ばしいかな」と、仰せなのでございます。

 

一切衆生救済のために身命を賭して御化導あそばされる御本仏にして初めてかなう法悦の御境涯と拝するほかありません。

 

この点を踏まえますと、冒頭近くで、「御勘気ゆりぬ事御歎き候べからず候。当世日本国に子細有るべきの由之を存す。定めて勘文の如く候べきか」(御書679ページ)と、仰せられたことの意味も、より深く拝せるようになってくると思われます。

 

今回の流罪の赦免がなされないことを嘆いてはならない。今、日本国にただならぬ事由があってこの状況なのである。必ず、勘文の通りになるであろう、と。

 

勘文とは『立正安国論』のことで、勘文の如くとは、鎌倉幕府が、日蓮大聖人の諫暁に従わずに、法華経を誹謗し日蓮を讒言する念仏宗や禅宗等への帰依を止めなければ、自界叛逆難と他国侵逼難の二難に必ず遭うであろうとの予言を指しておられるものと拝されます。

 

安国論に徹底して示された仏法と王法の因果律に対して、御本仏として絶対の御確信があられたからこその上のお言葉と拝されます。

 

この背景を踏まえて、改めて、上のお言葉を、恐れながらやや随意に咀嚼させて頂きますと、およそ以下のようになるかと思われます。

 

流罪の赦免がないのを嘆いてはならない。鎌倉幕府による流罪は日蓮の法華身読を助けるものであり、そこには経文に照らして重大な意義がある。しかし、それは法華誹謗の重罪となる故に、立正安国論で述べた通り、必ず、未だ起きていない二難が起こるべくして起こるのである。だから、ただ流罪を嘆くのではなくて、その因縁と果報をしっかりと見ておきなさい、と。

 

そして実際に、この二難は、史実に記される通り、「霜月騒動=北条時輔の乱」と「元寇(文永の役、弘安の役)」という現証となって、起きたのでありました。

 

さて、本日拝読の御文には、以下、二重の勝劣が含意されていると述べました。

 

竜樹・天親 < 伝教・天台 < 日蓮

 

この点について、前後の御文を合わせて確認してみたいと思います。すぐ後の箇所に、以下の仰せがございます。

 

「章安大師天台を褒めて云はく『天竺の大論すら尚其の類に非ず、真旦の人師何ぞ労はしく語るに及ばん、此誇耀に非ず法相の然らしむるのみ』等云云」(御書680ページ)

 

天竺とはインド、真旦とは中国。つまり、弟子の章安大師が師匠の天台大師を称賛して、インドの大論師でも、中国の人師でも、師匠には遠く及ばないと。ただしこれは、身内贔屓や慢心で言うのではなく、法門の浅深によるのであると。

 

天竺の大論といえば、竜樹や天親が思い浮かびます。竜樹・天親も大乗を宣揚された千部の論師であり、仏法上の正師とされる方々です。天台・伝教が、彼らよりも勝れる所以があるとすれば、その所以は何でしょうか。

 

それが「法相の然らしむのみ」ということであり、それすなわち「三時弘教の次第」を示すものと思われます。

 

本日拝読の一節に先立って、以下のくだり、伝教大師に絞って、このように仰せでございます。

 

「伝教大師御本意の円宗を日本に弘めんとす。但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕はせり」(御書679ページ)、と。

 

伝教大師は、法華円教(迹門)の教えを弘められた。戒定慧の三学で言えば、定と慧の法門を生前に、円戒は、死後に弘められた(迹門円頓戒壇比叡山延暦寺)。

 

三時弘教の次第について、あらあら振り返ってみます。三時とは正法、像法、末法。それぞれの時代において弘むべき正法は何か、その弘通の任にあたる方(教主釈尊より付嘱を受けられた方)は誰か。これは、仏法を学び行ずる者がそれを踏み外してしまっては、決して正しい果報が得られなくなってしまう、重大至極な御法門であります。

 

おおまかには、正法千年の前半に小乗教、後半に権大乗、像法千年のあいだに法華迹門が、そして、末法においては法華本門が流布されるのであります。その弘通の任にあたられるのは、以下の正師とされる方々であります。

 

小乗教:迦葉・阿難

権大乗:竜樹・天親

法華迹門:天台・伝教(薬王菩薩再誕)

法華本門:日蓮(上行菩薩再誕)

 

これらはすべて経文の付嘱による次第でありますから、それに沿わなければ教主釈尊への師敵対を成すこととなり、いかに信じても行じても正しい果報は決して得られないのであります。逆に言えば、時代時代の正師に従えば、何をもっても崩すことのできない安心立命の境涯が確保されるのであります。

 

この三時弘教の次第をふまえますと、上の一節の「仏滅後二千二百二十余年、今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず」とは、正法と像法に未だ弘められたことのない教えを、末法の御本仏日蓮大聖人が弘通される究極の御法門として示されていることが疑いありません。

 

それはすなわち、「本門の本尊(=定)」「本門の題目(=慧)」、そして後日闡明にされる「本門の戒壇(=戒)」からなる三大秘法(=「戒定慧」の三学の究極の法門)の妙法蓮華経の法体であります。

 

末法の御本仏日蓮大聖人が身命を賭して御建立あそばされた三大秘法惣在の本門戒壇の大御本尊を無二の法体と信じて、法華経の肝心、妙法蓮華経の題目を唱え奉ることがかなうことの果報は、他に比較を絶するほどの有難さであると拝する他ありません。