社会に出るまで、小学校、中学校、高校、専門学校、大学、大学院等年齢や学位に合わせてわかりやすく「卒業」が設定されていて、わかりやすいゴールがあるのですが、社会に出たり、自分の人生を考えた時、「ゴール」があまりにも不明確で、自分が一体いつゴールしたのかわからないということが自分の人生を通じて多々あったなと感じます。

 

スポーツや仕事でわかりやすく成果を出すと言うことであれば、それは目に見えやすい形で現れるのですが、自分の人生の「夢」は必ずしもそんなに簡単なことではないと思います。

 

だからずっと、すでに夢がかなっているにもかかわらず、ずっとその夢が叶うことを夢見て生きてしまうと言うこともあると往々にしてあるのではないでしょうか。

 

私は「お金持ちになりたい」という漠然とした目標に向かって生きていて、今でもそうなのですが、だからこそ「自分の夢が叶った」という実感は特にないままに今に至っています。でも、5年くらい前にお金がない状態で、ずっと「こうだったらいいなあ。」と思っていた生活スタイルや、自分の職業、家族の状態、自由になるお金、それはすでに叶っていてるのですが、なかなかそこに気が付くまで時間がかかりました。

 

だから、「夢が叶った」という実感はなく、「お金持ちになりたい」という漠然とした目標をずっとずっと追い続けたままの状態でいました。フルマラソンを走り切って、ゴールしているにもかかわらず自分はまだゴールしている感覚がないから、まだまだゴールを目指して走っている状態がずっと続いてる、、、そんな感じだと思います。

 

しかし、ある時ふと「あ、自分の望んだことってある程度叶っている」ということにふと気がついたのです。気がつかないなんてそんなわけないだろ!と思うかもしれませんが、ずっとずっと昔にふと自分がおぼろげに「こうだったらいいなあ」と夢うつつにふと浮かんだことこそが本来自分の本当に願っている望みだったりするので、気を抜いた瞬間に出てくるものなので、それを忘れていることは結構あるし、強く願い続けて生活している望みというのは案外表面的なものだったりして、自分の頭や思考だけで描いているもので、本当に心の底から望んでいることではなかったりすることもあり、とてもとてもわかりにくかったりするのだろうと思います。

 

ある時、そういえばあの時辛かったなあ。あの時「こうだったらいいなあって思ってたな」と自分を振り返ったことから私は自分が「夢見ていたこと」を思い出すことができました。そうしたらあーすでに私の望みはとっくに叶っていて、夢が叶っているのに、「夢に向かって全力投球だ!」みたいなことを続けていてもそれはうまくいくわけがないなということに気づくことになりました。

 

自分の思っている結果が得られない時、思っていることと現実が違う時、実現化されない時、実は叶った夢を叶えようとして生きているときなのかなあと思ったりもします。

 

そんな時は一度昔自分がどんなことを夢見て、望んでいたかをふと思い出して、ここまで頑張ってきた自分を労いつつ、今の自分がどんなことを望んでいるのかなあと風呂に入りながらでも、お酒を飲みながらでも、運転しながらでも、ながらにふと自分が思いつくことを思い浮かべてみると、新しいゴールができるかもしれません。そうしたら、自分の中にいる小人等が「じゃあ、次はこの望みをかなえさせてあげよう!」と動き出すこともあるかもしれないし、なかなか動き出さないかもしれません。

 

ただ、今この瞬間に昔の自分が望んだことで一つでも叶ったことがあるのであれば、大いに自分を労って夢が叶った喜びを噛み締めてみると、先に進むきっかけが生まれたりするのではないかなあと思います。

 

ちなみに私が苦しいときにふと思い描いた夢は「旦那が会社やりながら、私は会社員として働きながら旦那の仕事を手伝って自立している社長夫人とかやりたいな〜」という夢でした。

でも、実際にその状態になると修羅の如く自分の時間がなく、主人とは揉めるし、結構消耗することも多かったので「なぜ私はそんなことを望んだんだ!」と思ったものです・・・自分の願望達成能力に感謝・・・

 

おわり