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続いて同じ穂高町にある碌山美術館に向かいました。日本の近代彫刻の扉を開いた荻原守衛(碌山)の作品と資料を永久に保存し、一般に公開するために昭和33年4月に萩原碌山生誕の地に建てられた美術館です。碌山はロダンの弟子として有名で、ロダンの「考える人」をみて感動し彫刻の志向を強めたとの事です。道路側からです。
入口です。
休憩所です。
5月22日~23日にかけて田植えで白馬に帰省したのですが、来月家内のお父さんお母さんが白馬に行きたいというので、その時の下見を兼ねて、帰る途中、穂高町(現在は安曇野市穂高)の大王わさび園に寄ってみました。高校の頃お客さんと来て以来、中に入るのは約20年ぶりです。有名な水車小屋です。三つの水車がゆっくりとまわっています。この水車小屋は、1989年の映画「夢」のロケ地にもなった美しい水辺です。
わさび園の上を渡ります。幸いの架け橋というそうです。
道祖神が並んでいます。この辺の道祖神は男女が寄り添う「双体神型」です。
ワサビ田の小道から撮った写真です。
お食事処「そば処 大王」です。名水百選の湧き水でうった信州そばとして有名だそうです。
今年で102歳になる母方の祖母が無くなったため、急きょ白馬に帰省しました。田んぼは代搔きをして水を張ってあり、私の実家が逆さに映っていました。
畑には野菜の苗がいくつか植えてありました。
玄関の前の石の鉢です。
飾りの石 その一
飾りの石 その二です。
西側の車止めのところに花が植えてありました。
志賀高原の帰りには、上林温泉にある豪雪の館と志賀山文庫によって帰りました。まずは民俗資料館豪雪の館に行きました。この建物は日本有数の豪雪地帯である新潟県松之内町に150年ほど前に建てられた家を移築・復元したものだそうです。
2階から撮った写真です。
館内には生活用具や調度品などが展示されていました。
座敷です。
囲炉裏です。
玄関です。
続いて、庭園を通って、
隣の志賀山文庫へ行きました。
志賀高原を愛してやまなかった竹久夢二、三好達治、夏目漱石、若山牧水などの画家や作家の資料・作品を紹介した資料館で、建物は近代洋風木造の旧渋沢邸を移築したものだそうです。
ゴールデンウィーク後半は、志賀高原の横手山・渋峠スキー場に行ってきました。宿泊は万座プリンスホテルでした。初日は主に渋峠で滑りました。
2日目は横手山です。山頂の展望台で写真を撮りました。
展望台から見た景色です。
娘に夫婦の写真を撮ってもらいました。
ゴールデンウィークで白馬に帰省しました。新緑がまぶしい季節です。
ビニールハウスの中の水稲の苗も、だいぶ大きくなってきていました。母が水をくれていました。
庭の畑は野菜を植える準備がしてありました。
土手には福寿草やふきのとうは終わり、ふきが出てきていました。手前にはネギが植えてあります。
ビニールハウスはご覧のとおりです。
チューリップが咲いていました。
犬走りぞいの写真です。
私は田んぼ3枚の肥料撒きをしました。
もう4月も下旬だというのに、一面真っ白になるほどの雪が降りました。
ひな祭りとビニールハウス造りのため、家族で白馬に帰省しました。庭にはふきのとうも出ていました。もう開いてしまっています。
庭の雪はすべて融けていました。母が耕運機でビニールハウスを建てるところをおこしていました。
父は監督(見学?)です。
うす曇りですが、畑仕事をするにはちょうど良い天気です。
娘も出てきて手伝いました。
お婆ちゃんと基礎造りです。
骨組みが出来上がりました。
夕方には晴れあがって良い天気になりました。
夜はお雛様のお祝いをしました。
平成16年3月30日発売週刊日本の街道97糸魚川・千国街道P32に我家が掲載されました。
白馬岳の山麓に広がる白馬村に、今も息づく田舎の農家の暮らしを味わえる宿がある。大正9年(1920)に改築された茅葺きの家屋を利用した宿、マル七である。宿の中には約1m四方の囲炉裏があり、昔ながらの風情が楽しめる。家屋は自分の持ち山の木材で建てられたが、薪もその山から調達しているという。
囲炉裏を囲んでの食事は、目の前の田畑でとれた米や野菜、近くの川でとれるニジマスなどが中心。煮物やお浸しなど、女将さん自らが作る素朴な田舎料理を味わう事が出来る。
17ページの右下には沢渡にある母の実家の写真も載っていました。
娘のお雛様の飾り付けのため、白馬の実家に帰省しました。雪はもうだいぶ融けていました。
雲ひとつない良い天気で、白馬三山がきれいに見えました。
家の庭も沢山あった雪がご覧のとおり残りわずかです。
福寿草が綺麗に咲いていました。
お飾りが新しくなっていました。
早速雛壇の飾り付けです。
土蔵のまわりは、まだ沢山の雪がありました。
坪庭もまだまだです。