近況 | michyのブログ

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ダラダラした日常で興味を持ったことを、ぼちぼちと書きなぐります。

精神的に黒い話注意。
(グロくも反社会的でもないが。なお、一応自分と周囲の固有名詞は今までも伏せてきたつもり。)

このブログを始めたきっかけは、うつ で休職中に
自分自身の頭の中を整理したり、客観的に振り返ったりする目的から。
2010年から始めて6年目だから、おいらにしてはよくもっているほうである。

ちょっと休職が長引いたが、めでたく翌2011年に復職。
復職後数ヶ月は半日勤務だったり、やはり体調を崩したりと紆余曲折ありながら
2013年ごろからはかなり安定、昨年年初からやっとパキシルが断薬できて、
睡眠薬もずいぶん軽いものに変えてきて、
酒も(大っぴらに)飲めるようになって、あとはいつ心療内科通院を止めるかと思っていた。
本当に、この時期の上司2人には感謝し通しで、足を向けて寝られない。

ところが。
今年3月に組織が変わる。そこで一つ懸念があった。
うつの原因の一つである厭なヤツと同じ課になった。
(もちろん、あくまで原因の一つで、うつになったのはそれだけが原因ではない。
親族の死去や、その際の親子喧嘩など、本当に誰にも頼れない状態が続いたから。)

その厭なヤツというのは、
何というか、よく言えば「自称『意識高い系』だが、実は程度が低い」。
悪く言えば、自己中心的。(自己愛性パーソナリティ障害とは違うっぽい。)
上に取り入るのが異常に上手く、
仲間と思う人間(というよりは利用できそうな人間)にも取り入るのが上手く、
格下や敵と認識した人間した人間をあれやこれやで攻撃してくる。
適当にあしらいたくても正論と搦め手を交えて来る。
また、搦め手の時には、周囲に上の人間がいないときを狙ってくるから厭らしい。

まぁ、そこはそれ、あれから6年経って、お互いいい大人だし、
ビジネスライクに接すればと思っていた。
幸いにして、同じ課だが共通する仕事は無かったので、必要最小限の会話しか
しなくてすむとも思っていたし。

だが、やはり駄目 だった。
考え方のトレーニングやら割り切り方で、うつには沈んでないし、
昼間は大体乗り切っていた。
が、寝られない。寝ても悪夢でうなされて、睡眠不足が続いた。
体に痺れを覚え、時々は左手の握力が無くなったり、足が動かないときもあった。
結果、救急車 で運ばれてしまった。
しかも、精密検査でも体に外科的な原因が見られない。

たった数週間で、である。
参った。


色々考えて、覚悟を決めた。
大きくは2つ。

1つ目は、
とりあえず、仕掛かっていて、かつ部の大勢に関わる仕事
(だた、なぜか課長はその重要性を理解してない)を優先してやって、
それが終われば辞めよう。
まずは、異動を願い、それが適わなければ会社を辞める。

2つ目(これが黒い)は、
いざ何かあったらコロス。
どうせ殴っても懲戒だ。良くても出勤停止、普通なら解雇だ。
ならいっそこの世から排除する。
仮に、中途半端に障害が残ってヤツ本人に賠償するなんて真っ平ごめんだ。
遺族なら別だが。
そのためにはどうすればいいか?
人並み以下の体力しかないおいら、使うなら刃物だ。
刃物がある場所を確認、襲う手順も考えた。
なぁに、向こうも人間だ、致命傷は負わせることができるだろう。
いざ事を起こせば、会社の周囲に迷惑がかかるだろう。
親も泣くだろう。
ヤツの遺族も悲しむだろう。
でも、ヤツには一切の慈悲は無い。

そこまで考えて逆に、逆上しても襲わないだけの歯止めとなった。


かかりつけの心療内科にも、その後ふとしたきっかけで相談する機会を得た
会社の産業医や保健師さんにも
「ストレス適応障害」と「ストレスによる認知のゆがみ」
を指摘された。
いや、冷静に考えればまともな考えじゃあないことくらい解っている。
解っているが、
ここまで思いつめて覚悟決めないと、毎朝会社に行くことすらできなかった。

その後、心療内科への通院回数を増やし、薬を変え
産業医との面談も増やして、なんとかやり過ごしてきた。
会社としては超が付くぐらいホワイトな部類の企業だと思うが
結局人間関係だけはどうしようもない(これは上司も)。


そのヤツが、この9月1日を持って異動になった。
異動前の引継ぎやらなんやらで「ああ、ストレスたまる」と
大声でのたまっていた時には、それこそ後ろから殴りそうになって
慌ててワイパックス飲んで離席したが。


これで、自身の体調がどうなるのかね・・・。