家出とホームレスの違い

「家出とホームレスの違いはなんだと思いますか?」と聞かれたら、どう答えるか。僕の印象だと、家出は自らの意思で行う“能動的”なもの。

ホームレスはさまざまな事情により陥ってしまう“受動的”なものという違いがある。驚かれるかもしれないが、ホームレスの中には、自分がホームレスになっているということに気がついていない人もいるのだ。なぜそのような認識の差が生まれるのか。少数派ではあるが、家はあるのに、選んで路上生活をしている人が一定数存在しているからだろう。その人に「家で過ごした方が快適じゃないですか?」と聞いたことがある。すると、「家にいても一人だから」という言葉が返ってきた。外に出れば誰かしら人がいて、会話はしなくても人の存在を感じられる。家には自分の居場所がないが、外に出れば居場所がある。そんなふうに思っているのかもしれない。

ユイト君は自身をホームレスだと語っていたが、見る人によってはただの家出だと感じる人もいると思う。僕も、中学生の頃友達との遊びに夢中になって家に帰らないなんてことはよくあった。きっとみなさんの中にも共感できる人はたくさんいるはずだ。その延長線の感覚でトー横に集まっているのかもしれない。そう考えたらあまり注視するような問題ではないと感じる人もいるだろう。

しかし、ユイト君には僕の考えと決定的に異なる部分があった。それは、当時の僕は少なくとも家に居場所がないと考えたことはなかった、ということだ。帰れる家があるのに、家に帰りたくないからトー横界隈にいたい。そう思っていたのなら、先ほど紹介したホームレスと何が違うのだろうか。若者がただ遊んでいるように見えた光景に、ホームレスの人が語った寂しさが重なった。家があったとしても、孤独から逃げ出すために外に飛び出すなら、それは精神的にはホームレスと同じだと、僕は思う。

この話は、Z世代や、ホームレスだけに当てはまる問題ではない。仕事が終わって、家に帰りたくないと考えてしまうサラリーマン、夫と顔を合わせたくない妻······そういう人たちも心のホームレスになっている可能性がある。どうせ話しても理解してくれない、と思っている間はきっと孤独からは抜け出せない。

現在、ユイト君の家族はたくさんの衝突を経て、少しずつ関係が良くなっているそうだ。これから先、またぶつかることもあるとは思う。だが、その都度話し合ってお互いの気持ちを理解しようとすることを忘れなければ、きっと自分の居場所は見つかるはずだ。」

「Z世代のネオホームレス」 青柳貴哉著



この本の論旨や著者の思想的な方向性については、引用箇所を含めて私はあまり賛成できないが、しかし色々な用語使いや比較の発想は面白かった。この線で行くと、私の中高時代からの元友人には一ヶ月の家出が、そして私には心の中に浮浪の風景があり続けたと言えるかもしれない。以前も書いたが(↓参照)本当だったんだな。精神的にはホームレスと同じ。嬉しいな。ディオゲネスをもっと極めたいものだ。 

https://ameblo.jp/97116455/entry-12853563739.html


※文中の“元友人”については↓