かれは、低い声で、しかし淀みない口調で自分の置かれている立場を説明した。前年の八月十五日、玉音放送の終わった後、撃墜されたB29からパラシュート降下した俘虜の処刑に参加したが、その事実が米軍情報部によって探知され、自分が捕らえられるのは時間の問題である、と告げた。
父は、半ば口を開き、無言で彼を見つめていた。
「これからすぐに身をかくします。申訳ありませんが、お金をいただけませんか」
彼は、父の顔に視線を据えた。
父は、口をつぐんでいたが、少し視線を落とすと、
「アメリカ兵を手にかけたのか」
と、つぶやくように言った。
「首をはねました」
かれは、言った。
父は身じろぎもせず坐っている。その横顔には、悲しげな色が浮び出ていた。(吉村昭自選作品集十二 p32)
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B29がサイパンを基地にするようになってから、彼らの攻撃目標は、軍事施設、軍需工場から一般都市に集中されはじめていた。B29編隊は、大都市の上空から大量の焼夷弾を投下し、九州、四国地区を除く各地の中小都市へ徐々に攻撃目標を移していた。
被害は甚大で、中央から西部軍司令部にもたらされた連絡によると、全国ですでに死者十万余名、全焼家屋九十万余戸、罹災者二百六十万余名に達していることがあきらかにされていた。かれらの都市に対する焼夷攻撃は戦争法規の重大な違反行為であり、パラシュート降下兵への扱いは一般俘虜に対する保護規定とは無線であるはずだった。
二十四名の搭乗員に対する処置は、まず、司令部の情報入手を目的とした訊問からはじめられ、琢也も、防空情報主任として傍聴した。
(中略)
十九歳の兵は、白坂の顔に眼を向けながら、トウキョウ、ナゴヤ、コウベと都市名を挙げ、十二回の空襲に参加したことを口にした。その表情には、あきらかに誇らしげな色が無心にうかんでいた。
空襲を終え太平洋上をサイパン基地にもどる折の機内の様子について問うてみると、二十二、三歳の背丈の高い金髪の兵は、やわらいだ表情をして口早になにかしゃべった。白坂の顔に困惑に似た色がただよい、兵が、ラジオのジャズ音楽を聴いて楽しんでいると答えている、と告げた。
同様の質問を受けた他の兵は、女の裸身をうつした写真をまわして見ることも多い、と答えた。
琢也は、かれらを思い切り殴りつけたい衝動に駆られた。自分たちが国土の被害を最小限度にとどめようと努力しているのに、かれらは、空襲をスポーツに似た行為とでも思っているらしい。
撃墜されたB29の残骸の胴体に、肌を露わにした女の絵と並んで、日本への空襲回数をしめす炎のマークが描かれている写真をしばしば眼にしたが、かれらが日本の非戦闘員の生命、財産をうばうことに少しの罪悪感もいだいていないのを知った。
これら降下兵との接触によって、琢也は、侵入機に搭乗しているアメリカ飛行士を一層具体的に敵として意識するようになった。洋上からB29編隊接近の報告をうけると、琢也は、それらの機にそれぞれ十二名ずつの敵が乗り、百機編隊であれば千二百名の敵が日本人に危害をくわえるため近づいてくるのを感じた。(同 P42-43)
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☆彼の眼をとおして見える様々な物事。危機を知らせてくれた同期、頼りにしていた伯父の無残にも無力に弱々しくなった姿、匿ってくれた人の温かさ、終戦後わずか数ヶ月で、米兵と指を絡めて歩く女性、チョコレートをもらう子供や大人たちの姿、かつて皆に畏敬されていた上官の情けなくもあわれな変節、逃亡生活のなかで弱くなる自身の心。琢也は、2年間逃げ続けたあと、捕まり、巣鴨拘置所に収監され、終身刑を宣告されます。
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- その年の六月、朝鮮戦争が起り、それによってアメリカの日本に対する占領政策は一層緩和され、入所者の減刑が大々的に進められて、琢也も十五年に減刑された。
琢也は、戦争犯罪裁判についてあらためて考えることが多くなっていた。裁判の本質は、法律の忠実な履行によって成立するもので、判決は厳正な最終結果であるはずだが、戦争犯罪裁判は国際情勢に著しい影響をうけ、その折々の判決にも軽重の差が余りにも大きく、しかも、決定した刑も短期間のうちに減刑されている。
それは、戦争犯罪裁判に、その基礎となるべき法律というものが存在せず、裁く者たちの気ままな意志によって判決が下されたことをしめしている。琢也は、多くの者たちが絞首をまぬがれ、自らも有期刑に減刑されたことを幸いだとは思ったが、戦争犯罪人に対する裁判は、裁判とは無縁の私刑に近いものであるのを感じた。(同 P202)
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