恋し野の里 あじさい園 へ行く手前の道沿い、
こんもりと社叢が茂る入口に赤い鳥居が建ち、「中将が森」と立て札がありました。
ここ、恋し野の里にも中将姫伝説があり、橋本市の恋野地区の地名はこの中将姫伝説から生まれたといわれています。
(奈良県や和歌山県の有田市にも中将姫伝説があるのです。(;^_^A)
そして恋し野の里には、中将姫にまつわる旧跡があり散策コースも設けられていて、この中将が森もそのひとつです。![]()
中将姫は奈良時代の右大臣藤原豊成の娘として生まれ、5歳の時に母を亡くし、7歳から継母に育てられました。
継母に嫌われた中将姫は命をも狙われそうになり、姫は恋野の雲雀(ひばり)山に逃れ、仏に仕えて住むようになったといいます。
けれど、奈良の都や亡き母を思う心は募るばかりで
「母恋し 恋しの野辺や…」
と中将姫が詠んだ歌から恋野の地名が生まれたそうです。
社叢に囲まれた中央の空間にポツンと佇んでいるのが、
観音堂なのかな?と思ったのですが、
中を覘くと大きな石碑が建立されており、
「大将軍 八幡宮 碑」
と刻まれていました。
由来など無かったのでどうしてあるのかが分からなかったです。
奥の境内隅の方に、まだ新しい小さなお堂がありました。
お堂前の立て札には観世音菩薩とあるので、このお堂が中将姫が祀ったとされる観音様がある観音堂でしょうね。![]()
中将姫は自分の身代わりとなった人々や、嘉藤太夫婦の忠誠心に加えて、里人建ちの庇護と奉仕の温情に対する感謝、並びに恋し野の里の弥栄を念じて、姫の氏寺(五條市栄山寺)のみえるこの森に観音様をお祀りしたとあります。
そして、この森を里人達は中将が森(観音の森)といって大切に保存されているようです。
姫は都に帰るとき、里人達と別れを惜しみつつ、肌身離さず持っていた金の観音様を残していったと伝えられています。
中将姫と思われる人物が描かれた説明板に、
中将姫姿見の池(別名 蓮池)とありました。
池は森の裏の方にあります。
中将姫が蓮を植えて、こよなく愛でたそうです。
中将姫がこの池に姿を写されたそうですが、現在はちょっと無理っぽそうですね。(;´▽`A``
池には白い睡蓮の花が咲いていました。![]()
この後も中将姫のゆかりの場所を訪れたかったのですが、
この時は雨が降ってきたのでここだけとなってしまったのが残念。










