一緒に見た閻魔様のねぶた

「裁かれそう…」とつぶやいた私に、彼が「問題ない、俺たちは自分の気持ちに嘘をついてない」と言って、救われた。


かかりつけ医から、6月のホルモン値検査の結果を聞いてきました。

昨年12月の値では「まだまだ閉経のホルモン値じゃないね」と言われていたのに、まさかの女性ホルモン爆下がり…。

確かに昨年12月を最後にもう半年、生理がない。

主治医も「うん、ほぼ閉経だね。一年以上生理が来なくて初めて定義上の閉経だから、もしかしたら突然来るかもしれないけどホルモン値としてはそう」

と言われました。

来月の誕生日で55歳。

平均的な閉経年齢は50歳とされてるけど、今週話した同級生は二人とも昨年止まったって言っていて、意外と閉経年齢が高くなってるのではないかしら?とも思う。


先週、夏休みをとってK君の出張先まで、会いに行ってきました。二度目のデートだった。

日中は彼は仕事があったから、一人でぶらぶら観光をして、夜、二人で青森の街を楽しんだ。

互いの家族は、いつもの一人旅と、仕事だと思っていて、おそらく何も疑っていない。

毎週、仕事で訪れているのに観光地はほとんど巡ったことのない彼と一緒に、津軽三味線を聴きに行ったり、お城の周りを散歩したり、公園で線香花火もした。途中、警備員のおじさんに声をかけられた時は、私たちどういう関係に思われてるのかなとニヤニヤしたり…。 

三日目は仕事がなかったから、彼がレンタカーを借りてくれて二人で観光をした。

以前、出張先から写真を送ってくれた太宰治の生家が見たくて連れていってもらった。

観光客もたくさん来ていたけれど、皆、来ることだけが目的みたいであまり熱心に見ていないから、気づけば私たち二人きりになっていた。

見つからないようにこっそりと、おでこにキスをされて、照れたけど嬉しかった。

昔、叶わなかった恋を30年以上かけて手に入れたK君は、どこか子どもみたいにはしゃいでいて、その真っ直ぐさに私はまた心を持っていかれる。

道ならぬ恋のはずなのに、なんだろう、この明るさは…。

お互いが生活圏でない土地で会うから罪悪感が生じないのか?

50代で、配偶者との関係がただの家族に成り果てているのが互いにわかるから嫉妬心がわかないのか?

正直言って、イメージしていた道ならぬ恋の暗さが少しもない。これはこれでよろしくないのか?


旅が終わってから、K君に「太宰治の富嶽百景を読んだよ。気に入った一文があって、きっとちび子さんもわかると思うから、読んでみて」と言われた。

読んだらその意味がすぐにわかった。

昨年11月にK君に30数年ぶりに再会した時、あまりの変わらなさに私が大笑いしたのだけれど、太宰治に言わせれば、それは私が彼の完全の頼もしさを全身に浴びていた、ということらしい。

『諸君が、もし恋人と会って、恋人が会ったとたんにげらげらと笑い出したら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもしさを、全身に浴びてゐるのだ。』(富嶽百景より)と。

自分の行動を、まさかの太宰治に解説されるとは。



道ならぬ恋とは言え、彼とながめる世界の新しさに、私は今、眼を見張る毎日だ。

今となれば、54歳、彼と再会して告白して付き合うことになった12月まで生理があったことさえ、なんとか彼を振り向かせたくて必死で女性ホルモンを維持していたとさえ思える。すべてがここに繋がっているように感じる。

私は今、新しい自分と向き合っている。