昨夜は何年ぶりかで、仲の良い、昔の職場仲間で集まって、楽しい時間を過ごしました。
彼らと一緒に働いていたのは、20年近くも前。
同じ係のメンバーでした。
当時、私は長男がまだ幼くて、子育てと仕事の両立を上手く出来ずに、いっぱいいっぱいだった。
仕事に自信が持てないとなんとなく、職場の人間関係も築き辛いものだけど、仲間思いのメンバーたちに恵まれて、ちょうど中越大震災の災害対応など、困難な局面を一緒に乗り越えたこともあり皆と仲良くなるなかで少しずつ仕事の自信をつけることができました。
思えば、彼らと一緒に働くことがなければ、今の私はなかったのではないかと感じます。
年齢も近くて、皆、当時は20代から30代と若いくて、本当に楽しい職場だった!
今と比べたら、格段に職場全体に余裕があったからだとは思いますが😅。
そこで起こった中越大震災と怒涛の毎日。職場内を普通に自衛隊の方々が歩いていたし、隣りの高校のグランドには大きな自衛隊のヘリが爆音をさせて着陸し、その度に支援物資を運ぶ人の列が出来る…。
戦争ってこんな感じなのかとさえ思ったくらい、あり得ない光景が広がっていました。
当然、保育園は休園、実家を頼ろうにも実家までの道や鉄道、新幹線は地震の被害で分断され、一週間くらいは4歳だった長男を連れて出勤したっけ。道路がなんとかつながってからも、夫の義母に泊まりこんでもらい、半年くらいは災害対応で休みもなく夜中まで帰れない毎日を過ごしたのも今となっては懐かしい。
それでも、振り返れば、彼らと過ごした時間はやっぱり楽しかった。時間が経つと苦しいことって意外と忘れてしまう。
その後、違う部署になってからも私たちは事あるごとに集まる、良い仲間になりました。
異動して20年近くも集まり続けるって、よほど強い絆がなければ出来ない。
一昨年、そのうちのリーダー格だった先輩が交通事故を起こしてしまい退職。
事故を起こしたのは先輩の過失だけれど、彼の人柄をよく知る私たちはずっと心配し続けていた。
皆が心の中でずっと祈っていたと思う。
あんなにお世話になったのに、挨拶も出来ないままのお別れだったから、心にずっと引っかかっていた…。
今年になり、その先輩が再就職したという話を人づてに聞いた。
そんな時、仲間の何人かと久しぶりにご飯を食べることになり、先輩を誘ってみようかという話が出て、トントン拍子で昨日の会が実現したわけです。先輩を誘ってくれたMちゃん、本当にありがとう😭。
2年ぶりに会った先輩は元気そうな顔を見せてくれました。
「色々とご迷惑をおかけしました」と最初に皆に頭を下げた先輩に、私たちはそれ以上、事故のことには触れなかったし、先輩も前と変わらず、接してくれて、本当に安心しました。
新しい仕事は、確かに収入は減ったけれど思ったよりも良い環境だと言い、当時、うちの職場の要職についていた頃よりもずっと良い顔色をしていました。
今年55歳になった先輩は、
「65歳まで働くことを考えたら、仕事を変えるにはギリギリのタイミングだったと思うよ。」
と笑っていました。家のローンやまだ大学生のお子さん、事故の補償問題など、働かなければならない事情を考えたら、前にきちんと進んでくれて本当に良かった。心を病んでしまってもおかしくないほど、大変だったはずなのに。
当然、昔の職場の仲間に会うのは、勇気のいることだったのではないかと思います。
それでも、誘いを受けて参加してくれた先輩の人としての度量の広さ。
その立場にならなければ到底、わからないだろう困難を乗り越えて、腐ることなく生きていてくれて本当に良かったです。
だからこそ、先輩の今があるのだと思います。
もう、全員がそろう形では会えないかもしれないと思っていた仲間たちと、再び楽しい時間が過ごせたのは奇跡のようだと感じています。
生きてさえいたら
人生には必ず続きがある!
そう思えた、素晴らしい時間でした。
最近、仕事をドライに割り切る人が増えたなぁと感じます。
私も管理職なんかになっちゃって、部下に飲もうよなんて言うと、パワハラか?って思われないかと気を使って控えてます(何よりコロナ禍だからね。)が、職場は1日の大半を過ごす場所だからそこで本当の仲間を見つけられたら、こんなに素敵なことはないって、改めて感じました。
昨日、集まった皆、本当にありがとう。
皆がいたから、私は今も頑張れている気がする。

