やっと金曜日!
本当なら明日はイベントだったはずなのにコロナで中止。息子の体育祭も無観客。
ちょっと気が抜けたので、ずっと受けとめきれずいた出来事を書きとめます。
私は、いつも受け入れ難いことが起こると、
「いったい何の意味があったんだろう?
なぜ、起きたんだろう?」と、どうしても考えてしまう方。
昨年、お世話になった職場の先輩が交通事故を起こしてしまった。
同じ係で、五年くらい一緒に仕事をしたことがある先輩で、大声でガハハと笑うので、ここではガハハ先輩としておきます。
当時の係は全員がすごく仲良しで、異動してもたまに集まって飲んでいたから、安心して相談出来る、数少ない先輩だった。
たまに相談に行くと「なんだ?飲み会か🍻?」とガハハと笑って和ませてくれたのが懐かしい。
仕事は出来るのに、飾らない人柄と人情味のある振る舞いで、どんどん出世したけど、ちっとも変わらない人だった。
それでも数多い部署の中でも要とされる、要職についてからは、今思えば相当な気苦労を抱えていたのではないかと思う。
うちの職場では職員が不祥事を起こすと通達が出る。その日も部長からあまり良くない報告があるから集まるようにと連絡があった。
時間まで少し余裕があったので、ちょっとガハハ先輩のところに寄って油売ろうかな😁と行ったのに、「今日は課長はお休みです」と言われ、仕方なく他で時間をつぶした。
それなのに、部長から伝えられた通達は、まさかのガハハ先輩が前日に交通事故を起こし、相手の方が亡くなったことだった。
ガハハ先輩は自動車に乗っていて、相手の方は青信号で横断歩道を渡っていたと。
紛れもない、ガハハ先輩の過失である。
いつもは電車通勤なのにその日はたまたま、夜の会合があるからと車で来たらしい。なぜなの!といまだに思う。帰る時間が5分違えば、未来は違っていたはずなのに…
要職についていたガハハ先輩の起こした事故は新聞、テレビにも多く取り上げられた。
報道だけでは詳しい事はわからないが、どんな事情があったにしろ、相手が青信号で横断歩道を渡っていたわけだから、弁明の余地はないだろう。
それでも、ガハハ先輩を知る人なら、皆が思ったに違いない。なぜ、あの人が。
間違ったことや、人の道にそれるようなことを決してするような人ではないから。
亡くなった方や、ご家族のことを思えば彼をかばうことは決して出来ないけれど、その人柄がわかるだけに、なぜ彼が一生、事故とはいえ、人を殺してしまったという十字架を背負わねばならなかったのか?
どうしてもその思いが消えないのである。
親しくはあったけれど、先輩であったからプライベートで連絡を取る仲ではないし、事情も事情なので、尚更、連絡を取るのも憚られ、あれから一度も会うこともないまま、もうすぐ一年がたつ。
判決が出るまでは休職扱いだが、恐らくいずれ解雇になるのだろう。
とてもお世話になったので、このままお礼も言えないままかと思うとやりきれないが、さりとて、どう言葉をかけたら良いかもわからない。
ただ、一年近くが過ぎて、今思うことはどんな事であれ、必ず未来を良くする為に繋げていかなくてはならない。
たぶんガハハ先輩を知る人は皆、車を運転するたびに横断歩道で気を引き締めているはずである。
私もいまだに横断歩道では誰もいなくてもブレーキを踏んでしまう。
もしもガハハ先輩に会える機会があっても、いまだにどう言葉をかけていいのかはわからない。
そんな私に出来る事は、同じような事故を決して起こさないことだ。
人生には案外、思いがけない落とし穴があるのだろう。どんなに良い行いをしていたって、過酷な未来が待っている事が結構あるのだ。
だけど、どんな事が起こっても、良い未来に繋げていく。私たちに出来るのはそれだけだ。
そして犯した過ちはあれど、いつかまた彼が心から笑える時が来るようにと祈っています。
