30代でイェール大学助教授!"世界が認めた天才" 成田悠輔氏が林修と考える"間違った向上心"から自由になる方法

 
成田悠輔さんはイェール大学の助教なのに、なぜずっと日本におられるのですか?アメリカで講義とかないのかな?通年通してYouTubeやテレビで拝見するので…

『2014年から2017年にかけて幾つかの良いジャーナルで出版していて、それが実績としてイェール大学のassistant professorになったのですが、その論文達も自分がメインになって書いたものじゃなくて、第二や第三者として参加しています。2017年からの実績から見て、良い仲間に恵まれて良い論文への共同作業に参加できたものの自分の研究能力は検証されていません。
2017年からの実績からするとイェール大学で終身教授席保証されるのは絶対に無理で、普通の日本人は学会の評価システムなんか知らないからイェール大学の名前売れる時に売れといて、それで日本の席を取ろうという戦略でしょう。
世界学会の最先端で活躍している日本人の優れた学者は幾らでもいるのにあんな人が天才ぶりをしているのを見ていると腹立ちますね。(英語を訳したので少し表現?ですが)』

この報告を見る限り、イェール大学では成果無しで助教授にとどまれっていることはできないということが、はっきりした。アメリカでは放浪者なんですよ。成田悠輔ひゃ。行き場を失って日本でマスメディアを利用して名前を売り起業したいだけ。卑しい人間って事です。そんな奴に偉そうに語らせることは危険極まりない。話し口調もあのペテン師「橋下徹」と似ている。職業偽証です。
 
 
30代半ばという若さで名門・イェール大学助教授を務める“世界が認めた天才”成田悠輔氏。東京大学経済学部を卒業し、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。現在はデータ分析を駆使し世界最先端の研究を行う経済学者だ。そんな成田氏が、現役予備校講師の林修先生を聞き手に“格差”と“教育”について激論を交わしたインタビューが4月17日の「日曜日の初耳学」で放送された。「一時的に格差を作り出すことが大事」と訴える成田氏、その目に見えている景色とはどんなものか。そして成田氏が考える現代の大学入試の問題点とは。

「いい学校に行くこと」が自己目的化された社会

(林)「経歴を拝見すると、大内兵衛賞(東京大学経済学部の最優秀卒業論文に数年に一度授与される賞)を受賞されているんですね。僕の先輩のすごく優秀な人もたしか受賞しているんです」
(成田)「僕、あんまり賞はどうでもいいかなっていうタイプの人間なんです。人から嫌われるとか興味持たれないぐらいの方が"自分は新しいことをやっている"っていう気がするので。人から理解されたりほめられるような"普通のこと"をやってちゃいけないってちょっと思います」

(林)「今はどんなことを研究されているんですか?」
(成田)「教育の分野で言うと、"努力して優秀な学校に行こうとする"ことに本当に意味があるのかなっていう受験生の疑問に答えるような研究をやっています。たとえば有名な中高一貫の進学校や大学に進学したら、本当にその人たちの未来にいいことが起きるのか。実際のデータや事実としてどうかを自治体や政府、企業の持っているデータを基に調べます。実はアメリカのエリート校といわれる学校については、どうやらほとんど意味がない場合が多い、という結果が出てきたんです」
 
(林)「僕自身も(予備校で)ギリギリ東大に落ちて早稲田大学に合格した子には『浪人は勧めない。(どちらの大学に進むかによって)多分人生に差は出ない』って話したりするんですよ。高校までで得た情報の中で『行きたい』と思っていた大学も、入ってみたら思っていたのと違っていた、なんていうことはいくらでも起きるので」
(成田)「たしかに"優秀とされている学校に入ること"が自己目的化されている感はありますよね。どこかで1年余計に時間を使うんだったら、(浪人するよりも)どういうことを学びたいのかがわかったタイミングで1年そのことを新たに勉強するために使う方が有効な気はしますね」
 
(林)「日本の格差拡大についてのご意見を伺いたいんですけれども」
(成田)「誤解を恐れず言うと、あんまり格差とか気にしない方がいいんじゃないか...というよりむしろ、どうやったら格差を作り出せるかという問題を考えたほうがいいんじゃないかなって思うんです」

(林)「そもそも、格差は拡大しているとお考えですか?」
(成田)「アメリカやイギリスといった国に比べると、実は日本の格差の広がり方ってすごく緩やかです。格差が広がる局面って、たとえば新しいビジネスや産業が作り出された時に、それによって生み出された富を一部の人々に分配する、結果として格差が広がる、これがよくあるパターンです。一方、日本はここ数十年間で大きな産業、新しい富をほとんど生み出せなかった。なので、格差を生み出すっていうことがすごく難しいんですよ。お金持ちも貧乏人も同じように貧乏になっていて、ある種の"一億層貧困社会"みたいなものが生まれてしまっているんです」

(林)「一億総貧困社会」
(成田)「はい。だから弱者と呼ばれるような人たちを救うためにこそ、稼ぎまくって納税しまくる人を作り出し、一時的に格差を作り出して"富を蓄積できる人"を増やすことが大事なんではないかな。中途半端に弱者を助けようとして格差を強調しすぎると、それによって社会全体が貧しくなって、勝ち組も負け組もみんな傷つくみたいな予期せぬことが起きてしまう可能性に注意しなくてはいけないんです」

凝り固まった価値観をキャンセルする方法とは?

対談の中で成田氏が訴えたのは、"気づかないうちに刷り込まれた既存の価値観から、いかに自由になるか"という一点。林との対談も、そこにフォーカスする方向に進んだ。

(成田)「やっぱり、僕たちの中にすごく間違った向上心みたいなものがあるんじゃないかと思っていて。仕事や肩書を手に入れた時に、それを離すまいという強い心が僕たちの心の中にあると思うんです。考えたいのは、そこからどう自由になるか。そうでなければ、その後も同じことがずっと形を変えて人生を通じて繰り返されていくと思うんですよ」

(林)「特に進学校はそれが顕著に出る集団ですよね」
(成田)「そうですね。そこから自由になるために、自分がいる業界と全然違う世界とかかわってみるとか、全然違う世代の人と突然かかわってみる経験が大事だと思うんですよね。そういう経験をすればするほど、凝り固まった価値観を少しキャンセルできるというか」

 (林)「キャンセルできなくてずっと縛り付けられたまま動くことができない状態になっている人がたくさんいるっていうのは、わかる気がします」
(成田)「子どもの頃から、そういうアウェイの環境に飛び込んでいく経験を人生にどう埋め込んでいくかが大事になっていくんじゃないかと思いますね」

理想は評価基準が多様な入試制度..."国立寿司大学"もあり!
(林)「教育の問題に関連して、今の日本の大学の入試制度についてご意見があると伺ったんですけれど」
(成田)「日本の入試ってよく叩かれるじゃないですか。でも実際はけっこういい仕組みでもあるんじゃないかと思っていて。どんな場所に生まれようが、親にお金があろうがなかろうが、受験というゲームを乗り越えさえすれば入学が保証されて、多様な人材を包み込める仕組みになっている。そこはすごく公平だと思うんですよね。ただ、評価の基準は学力をはじめ特定の能力だけを重視しすぎるものになっているのは間違いないので、公平な仕組みは残しながらも、いろんなタイプの能力を測れる、評価の仕方自体が何百個もある入試がいいと思います」

 (林)「本当におっしゃる通りで、評価は客観的に行われるけれどもその基準はたくさんある世の中が本当に望ましいですよね。"国立寿司大学"とか"国立天ぷら大学"があっていい。寿司を握るのがうまい人が国費で学べる組織があっていいじゃないかと」
(成田)「寿司職人もいれば、ヨーヨー少年もいれば、VRアートを作っている人もいるみたいな形で、何百個、何千個と入試が乱立していて、みんながどの基準で評価されたいかを自分で選べるような、そういう社会に徐々になっていってほしいし、なっていくんじゃないかなと」
 
(林)「そうですね。そもそも受験勉強というのは"やらなきゃいけないことをどうこなすか"を自分で工夫する機会を得る場で、そこで得た成功体験はけっこう社会において再現性が高い。それを勉強でやる人もいれば、スポーツとか絵画とか、ほかのジャンルで見つけられる人がいてもまったく問題はない。自分の得意な方向で同じような成功体験を得ることができると思うので」

「こんなインタビューは見るな、と言いたいです(笑)」

 (林)「最後に、これからの時代生きていく若者、日本人にメッセージをいただけますか?」
(成田)「若者に対しては『こんなインタビューなんか見るな』ってちょっと言いたいです(笑)。今の若い人たちに会うとみんなすごく問題意識持っているし賢いし、何か聞くとすごく話せるし、レベル高いなって思うんです。ただ、同時に周りの意見を聞き入れすぎるくらいに真面目だと感じるんです。新しい時代を切り開く人って、既成の勢力とかそんなものぶった切って進んでいくぐらいの人であってほしいですね」

 (林)「このインタビューをメモを取りながら聴いていた若者がいたとしたら呆然としているでしょうね」
(成田)「僕たちは所詮、自分以外の存在にはなれないじゃないですか。お手本にどう近づくかを考えるより、それと自分は違う存在なんだっていう違いを認めて、近づこうとする欲望に抗って、今自分のいるところにある自分の中の自分の個性を見つめ続ける。それを人に向かってどう説明したり、叫んだり、表現したりするかを考える方が重要なんじゃないかなと。どんな人もその人の個性を突き詰めると"変な人"になれるんじゃないかと思います」


※このインタビュー記事は、毎週日曜日の夜10時から放送している「日曜日の初耳学」の人気企画<インタビュアー林修>4月17日放送回の内容をもとに再構成しました。<インタビュアー林修>は、林修先生が"時代のカリスマ"と一対一で対峙する番組人気企画。今回の成田悠輔氏の出演は、林修先生自身のたっての希望で実現しました。
 
 
 
 
「高齢者は集団自決すれば良い」などといった発言で物議をかもしている、米イェール大助教で経済学者の成田悠輔氏(38)について、同大学公式ホームページの同氏プロフィル欄に新たな注釈が、16日までに追記された。
 
成田氏はこれまで複数のメディアで「世代交代」のメタファー(比喩)として「集団自決」という言葉を用いて自身の考えを述べてきた。日本のSNS上でも賛否を呼んだが、2月12日付の米ニューヨーク・タイムズ紙でこの発言が大きく取り上げられたことから、話題は海外にも広まった。
 
こうした騒ぎの後、イェール大学は16日までに公式サイトを更新。成田氏のプロフィル欄に、以下の一文を追記した。
「Professor Narita's opinions on the media and academic work are his own and do not represent the views of the Economics Department or of Yale University.This disclaimer applies to news media reports about his past statements.」
(成田教授のメディアや学問に対する意見は、彼個人のものであり、経済学部やイェール大学の見解を代表するものではありません。この免責事項は、彼の過去の発言に関するニュースメディアの報道にも適用されます。)
 
成田悠輔さんはイェール大学の助教なのに、なぜずっと日本におられるのですか?アメリカで講義とかないのかな?通年通してYouTubeやテレビで拝見するので…
 
この報告↓を見る限り、イェール大学では成果無しで助教授にとどまれっていることはできないということが、はっきりした。アメリカでは放浪者なんですよ。成田悠輔ひゃ。行き場を失って日本でマスメディアを利用して名前を売り起業したいだけ。卑しい人間って事です。そんな奴に偉そうに語らせることは危険極まりない。話し口調もあのペテン師「橋下徹」と似ている。職業偽証です。
 
 
成田悠輔にはイェール大学の本人が行っている助教(?)以外にもう一つの顔がある事を知る必要があります。

実は自前で立ち上げたスタートアップ企業の株式会社半熟仮想の会社経営者でもあるという事ですね。

アメリカ在住の彼がこの一年においてひっきりなしに日本のメディアに引っ張りだこなのはインフルエンサーとして自身の知名度を売って経営する「半熟仮想株式会社」の企業案件を請け負う足掛かりにしているのでは無いでしょうか。
 
 
その上でアメリカを拠点とする彼がここまで日本を拠点とした会社経営とその知名度を向上させるためのバイネーム戦略に注力しているのは、恐らく周囲が思っている以上に現地でのテニュア(終身雇用)獲得を始めとするアカデミックポストの先行きが危ういのでは無いかと予想しています。

 実際に彼が現在就いている助教のポストは一定年数の間のみに採用される非正規雇用の立場であり、この期間内にある一定以上の学術的成果を獲得する事が出来なければ終身雇用のテニュアには辿り着けません。
 
そんな30代の働き盛りで明確な期限付きで研究に没頭して成果を求められる時期において一般的な研究者は海外メディアに引っ張りだこで耳目を集めている暇はありません。

 それも本人が興味が無いと公言する日本の政治に対するコメンテートや著書でそれに対する提言を行うのはちょっと考えれば時間の無駄だとわかるはずです。
 

 

 

加えて本人が発言してから一年越しに本格的に炎上してしまった「高齢者の集団自決」発言も勤務先のイェール大学に英文で問い合わせる人がそれなりに出て来ているので、それらも現地の基準で「ヘイトスピーチ」として認められてしまうと今後の査定に悪しく響いてより将来のポストが厳しいかもしれませんね。

 そう考えると、今のメディアでの露出の激しさは「イェール大学助教」という期限付きの舶来品の肩書が使えるうちに注目を集めておき、現地のアカデミックポストの道が断たれた時には「海外で活躍した日本人」という経歴を利用して半熟仮想の経営者をやりつつ日本のアカデミックポストを狙っているのかも知れません。

海外で活躍のポストを失ってしまった日本人がその経歴を生かした母国に帰国してそちらで糊口を凌ぐ先例はエプスタイン事件で立場を失ってしまった「伊藤穰一」氏のようなケースも過去にもありました。

そうなると日本を拠点としたアカデミックとスタートアップの二足の草鞋という路線では落合陽一あたりの二番煎じ感が出てくるのですが、そこはどう差別化していくのでしょうかね。